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ストリートピアノウルセエ

ヨーロッパ旅行に行った際のトランジット。

旅行疲れでくたくたになっていた時、だだっ広い休憩室にピアノの音が響き渡った。

音の出る方を見ると、青年がストリートピアノに座っている。時差のせいもあるがもう長いこと寝ていない。日本時間で深夜2時だった。

ジャズ、ジャズ、と弾いた後にロック調の曲を弾く。静かな空港をピアノの音色が支配する。

寝られない。イヤホンをしても耳の穴との隙間から音が侵入してくる。

広い空港の中心にあるから聞かざるを得ない。演奏をする青年を突き動かすのはなんなのか。自己顕示欲なのか、それとも純粋に練習したいという向上心なのか。

この空港にはおそらく百人以上の旅行客がいて、何十人もの従業員が働いている。ピアノを聴いているかもしれない。実際に、私は睡眠を妨げられている。

演奏が終わると周囲の数人が拍手を送る。彼の周りに人がわらわらと集まってくる。

照れくさそうに席を立っている。

予想に反してピアノは好評だった。

勝手に決めつけていたのは自分だと反省する。大勢人がいるわけだから、寝たい人もいれば退屈しのぎにピアノを聞きたい人だっているはずだ。

ストリートピアノ一つで何をこんなに、苛立っているのだろうか。いつからこんな人間になったのかと嫌な自己嫌悪に浸る。

社会の中で分断されすぎたかなと思う。イヤホンで自分の好きな曲を聴いて、SNSで自分の知りたいことだけ知って、趣味だって食事だって自分が一番楽しむようにしてきた。

もっとフレンドリーに生きたほうが良い気がする。

他人を受け入れた先に、自分をもっと受け入れることができる。そういう案外単純な構造に気づかない。

SNSでの大学卒業報告とか、何かにつけて開かれる同窓会とか、普段大人しいのに飲み会だけ元気になるやつとか、

もっとフレンドリーにしていかないと。自分をメタで見続けてもこれから楽しいことなんてどんどん減っていくに決まってる。

でも、最低限の自分の感覚の線引きは必要なのかなとも思う。

ストリートピアノで高い技術見せつけて、周りに人が寄ってくるみたいな動画やSNSはうるっせえなって気持ちにどうしてもなってしまう。



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