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映画『顔のないヒトラーたち』戦争犯罪を裁き続けるドイツ社会と、忘却の日本天皇と裁判所『顔のない天皇たち』

【訳詞(口語体)】

1. 善き力に囲まれて
守り慰められて
遥かなる君よともに
ゆこう新しき年へ

2. 古き年,悪しき日々は
我らをなお苛む
ああ主よ,あなたの望み
それは我らの救い

3. たとえ苦い杯を
受けねばならなくとも
あなたの御(み)手からならば
恐れず受け取りましょう

4. この地上で喜びを
再び見られるなら
悪しき日々も御(み)恵みの
思い出となるでしょう

5. 燃え輝けよろうそく
私たちの闇夜に
よ(夜/世)の暗さ極まるとき
主が灯された明かり

6. 静けさ世を覆うとき
聞かせてください主よ
見えないあなたの子らの
高らかなほめうたを

7. 善き力に守られて
待ち望もう,静かに
夜(よ)も朝もいつも神は
我らとともに在(いま)す

【訳詞(文語体)】

1. 善き力われを囲み
守りつ慰むれば
われらきょうともにありて
ともに迎えん新年(あらとせ)

2. 悪しき古年(ふるどせ)われらを
いまだ責め苛むも
主よ汝(な)が望みたもうは
われら救わるること

3. 満てる苦き盃を
受くるは避けがたきも
主よ汝(な)が御手(みて)よりならば
恐れずこれをも受けん

4. 遠くなりにし喜び
よみがえることあらば
悪しき日々をも覚えん
すべては主の御(み)恵み

5. 燃え輝けよともしび
我らがくらき夜(よる)に
闇夜の極まりしとき
主の灯しし明かりよ

6. しじまうちひろがるとき
聞かせたまえかの歌
見えざる光の子らの
うるわしきほめうたを

7. 善き力に守られつ
待ち望まん安けく
夜(よ)も朝もいつも神は
われらとともに在(いま)す

見どころ

第2次世界大戦下のナチスドイツによる罪について問われた「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」の初公判までの経緯などが描かれたドラマ。終戦からある程度の期間がたち、人々の関心が薄れている状況で、アウシュビッツの真相を究明するために若き検事らが生存者の証言集めや実証を重ねていくさまを活写する。主演は、『ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』のアレクサンダー・フェーリング。数々の圧力に見舞われながらも、ドイツ人が自分たちの手でアウシュビッツの真実に迫る姿に圧倒される。

あらすじ

1958年の西ドイツ・フランクフルト。第2次世界大戦の終結から10年以上が経過し、復興後の西ドイツではナチスドイツの行いについての認識が薄れていた。そんな中、アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、規約に違反して教師をしていることがわかる。検察官のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)らは、さまざまな圧力を受けながらも、アウシュビッツで起きたことを暴いていく。

「あの手口学んだらどうかね」は看過できないというすごい意見広告を見たばかりで早朝から、映画「顔のないヒトラーたち」を観ました。ジュリオ・リッチャレッリ監督です。
ドイツでは、ナチスやヒトラーに関する映画を、いろんな角度から、撮り続けています。また国として過去の歴史を記憶し続け、二度と過ちを犯さないと努力を続けていることに感銘を受けました。

ドイツ人のナチスドイツに対する歴史認識を大きく変えたとされる1963年のアウシュヴィッツ裁判を題材に、真実を求めて奔走する若き検事の闘いを描いた物語です。
戦後13年のドイツでは戦争犯罪を見つめようとする姿勢はまだなかったようです。そのころの20代の若者が、アウシュヴィッツは知らないと答えるの
に驚きました。今の日本でも南京虐殺や、従軍慰安婦を知らないというのとよく似ています。

新米検事のヨハンは、新聞記者のグルニカから「元ナチの親衛隊員が教員をやってるんだ、こんなこと許されていいのか?!」と情報が寄せられます。検察庁では誰も相手にしません。戦後の経済復興が進むさなか、戦時下のナチス・ドイツが、アウシュヴィッツで、どのようなことをしたのかは、ほとんど闇の中でした。ナチスの残党として生き残った多くのドイツ人は、沈黙し、犯した罪を忘れようとしていました。
ヨハンは新聞記者のグルニカや生き延びたユダヤ人のシモンと共に調査を開始します。様々な圧力にさらされながらも、収容所を生き延びた人々の証言や実証をもとに、ナチスドイツが犯した罪を明らかにしていくのです。
ヨハンが検事総長から「事実をもみ消すほうが民主主義に反する」という言葉に背中を押されて、膨大な資料にあたっていく姿がいい。その中で、恋人の父や自分の父もナチスだったことを知り、人を裁くことなどできないと自暴自棄になる姿も描きます。

2年前に観た「ハンナ・アーレント」でハンナはナチスの戦犯アイヒマンの裁判を傍聴して、人間の中に「悪の陳腐さ」を見ました。諸悪の根源は、人間が思考を停止し、悪や暴力、大量殺人を生むのだと訴えました。この映画でも、アウシュヴィッツで行った残虐な行為をした人とはおもえないほど普通の市民として、パン職人や教師として生きていました。その事実が不気味で怖かったです。

チラシに2015年1月のドイツのメルケル首相が追悼集会での発言がありました。「ナチスはユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツです。私たちドイツ人は恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのは、ドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を記憶しておく責任があります」。

ハンスらの地道な検証があってドイツの歴史認識を変えたのです。過去を記憶することがどんなに大事なことか。地味な映画でしたが、じわりと胸に沁みました。ドイツはすごい国ですね。

(8) Facebook

地球環境憲法草案構想 ワールドカフェ Global environment draft constitution でシャアされていました。

映画「顔のないヒトラーたち」を見て
「アイヒマンを追え」の映画見て、「顔のないヒトラーたち」を見たくなった。早速見る。
社民党員で、ユダヤ人で、強制収容所に送られた経験のあるフリッツ・バウアーは、フランクフルトのある州の検事総長。アイヒマンを捕まえ、刑事裁判にかけることに執念燃やし、実現をする。

アイヒマン逮捕と裁判は、「ハンナ・アーレント」の映画でも描かれていた。

アイヒマンは、ドイツではなく、イスラエルで裁かれる。

ドイツでこそ裁かれるべきだ、そのことが、ドイツが、過去に向き合い、未来作っていけることになると考えるバウアーは、がっかりする。

1950年代後半から、1960年代前半のドイツ。

アイシュビッツのことを多くのドイツ人は知らない。強制収容所から生還した人たちは、肉親が殺されたり、壮絶な体験のため語れない、語りたがらない。

経済成長にみんなの関心があり、過去に触れたくない。

ナチスの残党は、いたるところにいるのだ。

過去に向き合い、事実を明らかにすることができない。

バウアーは、若いヨハン・ランドン検察官を起用し、アイシュビッツの蛮行、加害者を裁こうとする。

アイシュビッツ裁判である。

捜査は困難を極める。カレンダーがあるような生活を強制収容所に入れられた人たちはしていない。また、自分の父親たちを裁くのか、そんなことは意味がない、あるいは、みんな仕方がなかったのだという声に阻まれる。

ヨハンは、アメリカが膨大なナチスの資料を保存しているところに行く。

本当に膨大な資料。

ナチスは資料を焼く暇がなかったのだと思った。

これに対して、日本は、敗戦と占領軍が来るまでの間に時間があり、日本中で、様々な資料は焼かれたのだ。

アイシュビッツにいたドイツ人は8000人。

加害者追及と被害者の証言が始まる。

様々な犠牲と努力を払って、ようやくアイシュビッツの問題が、ドイツにおける共有認識になるのである。

このようなすざまじい努力なくして、過去に向き合い、未来を開くことはできなかったのである。

これに対して日本はどうか。

日本でも例えば横浜事件がある。�

第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて生じた、雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、拷問が行われ、約30人が有罪となり、4人が獄死した事件である。

判決は、何と戦後の1945年8月下旬から9月にかけて出されている。約30人が執行猶予付きの有罪判決である。政府関係者は、当時の公判記録を全て焼却した。その後、当時手を下した元特高警察官30人が告訴され、うち3人が有罪となった。しかし、日本国との平和条約発効時の大赦により全員免訴となった。

戦争中の加害行為は、アイシュビッツ裁判のようには、裁かれていない。

「白ばらの祈り」「アイヒマンを追え」「顔のないヒトラーたち」の映画で描かれている人たちは、極めて困難ななか、歴史のなかで使命を感じ、奮闘をした人たちである。

もちろん会ったこともない。

しかし、歴史のなかで、燦然と輝き、時空を超えて、本当に励ましてくれる。キラキラと光りながら、多くの人たちを、今を、見守ってくれている。

歴史に向き合うとはどういうことか。

歴史のなかで、責任を持って生きるとはどういうことか。

歴史のなかで責任を持って生きるということはどういうことか、とにかく考え続けながら生きていきたい。

Mizuho Fukushima

『顔のない天皇たち』の被害者。戦争犯罪は?

https://x.com/fseiichizb4/status/1782763654989156716

新生讃美歌73番の「良き力にわれ守られ」は、1944年クリスマス、処刑される半年前に獄中のボンヘッファーが婚約者のマリヤに送った詩である

「良き力に真実に、静かに囲まれ、すばらしく守られ、慰められて、私は現在の日々をあなた方と共に生きようと思う。そして、あなた方と共に新しい年へと歩んでいこう。/古い年はなおもわれわれの心を苦しめようとしており、悪しき日々の重荷は、なおもわれわれを圧迫する。ああ、主よ、われわれのとび上がるほど驚いた魂に、救いをお与え下さい。あなたはそのためにわれわれを造り給うたのですから。/そしてあなたが、重い杯を、苦い苦しみで今にも溢れんばかりに満たされた杯をわれわれに渡されるなら、われわれはそれを、ふるえもせず、あなたの良い、愛に満ちた手から受けよう。/だが、あなたがもう一度われわれに喜びを、この世界について、その太陽の輝きについての喜びを下さるおつもりなら、われわれは、過去のことを覚えよう。そしてその時、われわれの生はすべてあなたのものだ。/今日はこのろうそくを暖かく、明るく灯らせておいて下さい。それはあなたがわれわれの闇の中にもって来て下さったものなのです。もしできることなら、われわれがもう一度会えるようにお導き下さい。われわれは知っています。あなたの光は、夜輝くのです。/静けさが今、われわれのまわりに深く広がるとき、われわれにあの豊かな音を聞かせてください。目には見えなくてもわれわれのまわりに広がる世界の豊かな音を、すべてのあなたの子らの高貴なほめ歌を。/良き力にすばらしく守られて、何が来ようとも、われわれは心安らかにそれを待とう。神は、夜も朝もわれわれのかたわらにあり、そしてどの新しい日も必ず共にいまし給う」(『ボンヘッファー獄中書簡集』 470頁)


#アンネの法則の山下安音です。私のライフワークは、平和学研究とピースメディア。VISGOのプロデューサーに就任により、完全成果報酬型の教育コンテンツと電子出版に、専念することになりました。udmyとVISGOへ動画教育コンテンで、世界を変える。SDGs3,4の実現に向けて一歩一歩