少しの配慮で変わる相手の世界
これが言葉の本質なのかもしれない。
と思った出来事。
昼間に大雨の中運転をしていた時の話。
昼間の大雨は薄暗い。
大雨の運転は周りが見えにくい時がある。
そんな中前方の車がテールランプを付けていてくれたらかなり助かる。
その後続の車に対する優しさに心が温かくなる。
前方の車との距離感、斜線の位置など
後続を走る車にとってはかなり助けになる行為だ。
だから、ボクも雨降りは昼間でもそんなに暗くなくてもテールランプを付ける。
それは、テールランプが見えることで雨降りの運転の不安が少しでもなくなればいいなと思っての配慮だ。
これはボクが実際に感じたことであり、
思ったことそして
実際にやり続けていることでもある。
何の話だと思いますか?
これは“優しさ”の話。
“優しさ”とは
“考えること”
ではなく
“考える行為”
だと感じた。
誰にも求められてはいないが、
ランプが付いていたら
周りが見やすくなるだろうな。
この感覚が“優しさ”だろう。
この少しの配慮が
後続の車両にとっては助けになる。
“優しさ”というものは、
自分自身にとっては少しの配慮かもしれない。
が、受け取った相手の心には大きく映る。
“優しさ”というものは
少しの配慮で良いのかもしれない。
相手を助けようとする行為は
“優しさ”とは違った別の好意なんだと思う。
こういった少しの配慮を
日常の他の出来事でも
出来るようになると
人柄が変わる体験をすることが出来る。
今回も最後までお読み頂き
ありがとうございました。
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