やっぱり私も輝きたい
ここ数日で急に自分が走り出した。
そんな気分なので、言葉の通り、リッツ(犬)と久しぶりに散走してみたら、50メートルくらいしか走れなくて身体は衰えたなと思ったけれど、とても心地よい気分になれた。
走れないのに心地よい気分になるのは初めてだ。
急に走りはじめたのは起業系の無料セミナーに出たのがきっかけだけど、どうしてそんなのに出席したんだっけ(結局有料には進まなかったけど)。
私は高校2年生くらいからずーっとモヤモヤしてきた。
小さい頃は世界に何か自分の傷跡を残すのが夢だった。夢というか責務に近い感覚だった。
そうしなきゃ生まれてきた意味がないって。
でも自分にそんなことができると信じられたのは高校1年くらいまでだったんだと思う。
自分はなんでもできると思ってた。
全能感。
(昨日調べたら全能感は子どもの発達段階においてしばしば見られる現象だそう。終わるのは当然だと知って驚く)
何でその時期までだったかというと、
ずばり大学受験がうまくいかなかったから。
人生初の挫折。
自分より成績が低かった人にどんどん追い抜かされていく感覚を初めて味わった時期で、ものすごく負けず嫌いだった自分を捨てた。
私の出身は地方ではあるけれど、県内で頂点を争う進学高に通っていたため、周りには優秀な人がとても多かった。
今振り返ると、高校2年以降、成績をキープできる人や急に盛り返してくる人は、やりたいことやなりたい自分の姿が明確な人や、大学の先の将来の目標が決まっている人、もしくは勉強すること自体が好きで勉強することが苦じゃない人だと思う。
高校受験までは地方の公立であれば特殊な問題が出題されることは少なく、範囲が狭いのでそれなりに勉強していればできる。でも大学受験となると、やはり何か熱い思いや目標が定まっていないとモチベーションが維持できない。
いい大学に入って得意顔をしたい程度の気持ちでは太刀打ちできない。
やらない理由をみつけずにはいられなくなるから。
あわせてこの時期の私の人生の分岐点は文理の選択で、それが失敗におわった原因は見栄重視で自分と素直に対話することを蔑ろにしたから。
当時、文系は理系が苦手な人が進む道、と思っていて理系の方が頭がいい人いくという偏見を持っていた。
間違いなく私にとっては文系科目が得意で楽しかったのに。
『見栄重視で自分と素直に対話することを蔑ろにした』ために私は度々誤った選択をその後もすることになった。
重ねて私は損切りが苦手で、学んだ専門領域がミスマッチであったことに気がつきながらも、その後進む道を変更できるチャンスで大きな切り替えをできなかった。それでいて専門領域もあまり役立たないような中途半端な世界で生きることを就活のときに決めてしまったのも後悔している。
それゆえ、私は今、何でこんなことしてる?という仕事についている。
流れに身を任せていたら、思ってもみない場所に流れ着いた。
とはいえ、一応大企業勤めだし、素敵な夫と結婚し、念願の子どもも二人授かって、とても幸せな状況だと思う。
結婚して2年は不妊治療しても子どもができず、他には何もいらないから子どもが欲しいと願っていた。
でもそれが叶ったら、今度は自分が何者でもないという感覚にもやもやする日々。
私は贅沢で、貪欲だ。
このとても幸せで恵まれた状況にたどり着くことがどんなに大変なことか。
そうなったのは偶然ではなくて、私がこれまで経験してきたすべてがここに導いてくれている。
これまでかなり色々な困難は乗り越えてきたのだけど・・・
それ故私はもっと高い山を登りたがってしまっているんだ。
子育てはとても有意義で困難で仕事と遜色ないやりがいのあることだとわかっているけど、でもその主役は子どもだ。
やっぱり社会に私は居場所が欲しい。
企業勤めの私をとったら私には何が残る?
特筆すべき技術も資格もなく。
企業という傘の下で、私は雨に降られることもなくのうのうと仕事をこなす。
何度考えても、何度自分を納得させようとしても、それじゃ足りないんだ。
子どもにはずっと目を輝かせて生きてほしい。そして色鮮やかな人生を織りなしてほしい。
そんな気持ちを二人の子どもの名前にこめた。
こどもたちがそんな風に生きるためにはどうしたらいい?
親の背中をみせること。
私自身も親の背中をずっと見てきたし、今だって見てる。
親が卑屈な時は私も卑屈になった。
親がいきいきしている今は、私も自分が輝きたいとうずうずしている。
自分が輝くために必要なこと。
社会で自分を活かし、役に立つこと。そしてそれで対価を得ること。
自己肯定感は低いけど、できることや自分の特性はあるはず。
まだ道は見えてないけれど、動くことがとにかく大切。
そういう決意を示すために、ここに記録を書き留めていく。
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