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持続可能であること

私の父はそれなりの資産を持っていて自分の好きな事業をして、余裕のある生活をしている。
でも父は私たち子どもたちには金銭を渡すようなことはしないし、
おそらく資産を残そうとはしていないと思う(私も期待していない)。

若いころは疑問に思ったこともあった。
なぜ親は裕福なのに私はそれを享受できないのか?
(実際は金銭ではない部分で存分に享受しているのだが)
大学時代は仕送りはおろか奨学金とアルバイトで自活していたし、
授業料も自分持ちだった。
(今考えると自分のための学びなのだから自分持ちであって当然)
卒業後も普通のサラリーマンをしているし、
親から贈与があるわけでもないし、
実家も離れているのでそれほど頼ることもできない。

でもその代わり、親は老後、私たち子どもに負担をかけないことを約束してくれている。

自分自身も親になり、大人になった今、それぞれが自立した状況であることに私はとても満足している。

親からすれば金銭を子どもに渡すのは簡単なことだ。
しかし何故そうしないのかと言えば、その方法が持続可能なやり方ではないから。
その金銭は渡して消費されて終わるだけ。
なんの対価もなく手に入ったお金をうまく使える人は少ないのではないか。お金を使うことに覚悟を持てないから。

私の親はそうしない代わりに、お金がない状況も、お金がある状況も、自分でお金を生み出す姿勢も見せてくれた。

親は親、私は私だから、親がいくら豊かな生活をしていようが、それは親のものであって私のものではない。
でも、自分の親が実現しているから、それが自分にとって手の届かないものだとは思わない。
豊かさがどんなものかも知っている。
知っているから具体的に自分の将来なりたい姿も頭の中に描くことができる。
もちろんそこに到達するためにはどんなに親が苦労したか知ってるからこそ、困難がつきものであることも覚悟できる。
そのうえで、やっぱり自分も何かやってみようと思うわけだ。

このような気持ちを子どもに抱かせること。
子どもが自走できるようにすること。
自らの力で人生を動かしていこうと思えること。

それを今度は自分の子どもに教えていきたい。
そのために私は自分の人生を誰かに託すことなく切り開いていく必要がある。
子どもは親が育てたようにしか育たないから。

親も、私も、子どもも。
それぞれが自立していることで、
持続可能な幸せを手に入れることができるのだと私は思う。



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