【Shiny colors × Disney】Another song collection


はじめに

毎度ありがとうございます。格好つけたタイトル付けなどしましたが、何てことはございません。

このnoteは自分の好きなコンテンツである、アイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)、そしてディズニーの二つを組み合わせてみようという、何とも安直な企画となります。

テーマは「シャニマスのアイドルに聞いて欲しい、考えて欲しいディズニーの曲」としまして、シャニマスの登場人物に筆者がディズニーの曲の中から一曲を選出しております。ディズニーといっても、そのジャンルは様々ですが、アニメ、実写、ショーやパレード問わず様々な所を選出対象としています。

当然でありますが、シャニマスとディズニーは異なるコンテンツです。ディズニーの楽曲はシャニマスのために作られたものではなければ、シャニマスもまた、ディズニーの延長線だけにあるようなものでもありません。よって「この曲は正にこの子にピッタリで、この子を象徴する曲だ!」と曲を選ぶのではなく、「自分の好きな彼女達は、自分の好きなディズニーの楽曲に、付随している物語に、何を感じてくれるんだろう」と、ぜひとも彼女たちに聞いてほしい!考えてほしい!と思う曲を選んでみたものになります。自分と似通ったものを見つけたり、逆に自分との決定的な違いを見つけたり、自分で歌いたいと思ったり、もっと聴きたいと思ったり。そんなあるかもしれない彼女達の心の動きを見れるかもしれない曲を、ディズニーで考えてみましょう。

楽曲については紹介も兼ねまして、Youtubeの公式アカウントや、再生によって権利元に還元があるtopicの動画を貼り付けています。筆者の好みで基本は英語版ですが、日本語版もある曲が殆どなので、是非とも聞いていただけると筆者が嬉しいです。主旨の半分くらいはシャニマスプレイヤーへのディズニーの布教も兼ねていますので……、是非とも。

また、今後の記載においては、シャニマスのシナリオ、ディズニー映画の内容などについて、ネタバレとなる記載が含まれます。
特に少しマイナーと感じる作品については、曲の背景となるシナリオの説明が余計に多くなっています。予めご了承ください。

では、前置きはこの程度にしまして、早速始めて参りましょう。



櫻木真乃

A Whole New world

 真乃には映画「アラジン」からこの曲を選出。「アラジン」の中だけでなく、ディズニーの楽曲の全体の中でもトップクラスに有名な曲であり、括りとしては「ラブソング」になるでしょうか。

 高貴な身分として生まれながらずっと王女として城の中で過ごしていたことで不自由を感じ、外の世界へ憧れる王女ジャスミンと、貧しい生まれであり、その日の食料すら盗みで得なければならない不自由を感じているアラジンの二人は、ある日町で偶然出会い、惹かれ合います。アラジンは貧しい身分でありながらもう一度ジャスミンに会うため、冒険で得た魔法のランプを使って身分を王子と偽りながらジャスミンに接近し、二人で魔法の絨毯による広い世界を見る空の旅へと誘います。そして一夜の旅の中で二人は歌のタイトル通りに「まったく新しい世界」を見ていくことになります。

 ロマンチックなシチュエーションではあれど、もちろん真乃は自由を束縛される立場ではなく、彼女を誘ったプロデューサーも、あるいは灯織やめぐるでさえ、魔法の絨毯に乗せてくれるようなことはなく、物理的に世界の隅々まで連れていくこともありません。アラジンたちにはアラジンたちの、真乃たちには真乃たちの生き方があります。しかしそんな中でも、新しい世界をみようと飛び込み、大空へ向かおうとしたこと、そして目にしていく世界の中で、多くの命や営み、夜の中にも輝く多くのものとして見つけたこと、そんな素敵な世界とまだ見ぬ未来を隣で一緒に見つめる誰かが一緒にいることなど、魔法や神秘、冒険やロマンスにあふれた壮大な物語にさえ重なるような真乃の歩みや心の動き、周りの人々を取り巻く世界の在り方について、この歌を通して考えてくれたらいいな、そんな想いからこの曲を選択しました


風野灯織

I see the light

 灯織には映画「塔の上のラプンツェル」からこちらを選出。括りとしては、こちらもまた「ラブソング」になるでしょうか。

 塔の中だけで育ったラプンツェルは、いつか外の世界に出て、一年に一度だけ見れる「空に上がる光」を近くで見ることを夢としていました。そんな折、盗みを働き、追っ手から逃れる為に塔に逃げ込んできた盗人のフリンと共に、ラプンツェルは初めて外の世界に出ることになります。そしてこの歌は、光の正体である、プリンセスの誕生日を祝って国中が光に覆われる光景を、様々な冒険の末にようやく見ることができた時に歌われる、ラプンツェルとフリン、二人の歌です。

 つまり「正に夢を叶えた瞬間」の歌であると同時に、夢を叶える旅路で見つけていた、気づいていた大切なものを再確認する歌でもあります。夢を叶えた=光を見ている(I see the light)という物理的な状況と、大切なものを見つける道筋に光があたることをかけ、「夢の一区切りと、光によって晴れた視界が、本当に大切なものを気付かせてくれた」歌なのです。

 かつて、衝動を満たす為の自己満足としてアイドルを志した灯織。アイドルになるという大きな夢を持ち、ついにその夢を叶えた先に、ヒカリの中で本当に大事な人、本当に好きなものを自覚できた彼女には是非贈りたい一曲であります。彼女は自分を重ねるでしょうか。それとも、彼女自身が誰かが大切なものを見つける為の光たらんと奮起するでしょうか。是非とも考えてもらいたい一曲です。


八宮めぐる

Friend like me

 映画「アラジン」の願いを叶える魔人、ジーニーの一曲。括りとしてはジーニーが初めて登場した時に流れる「自己紹介」の曲になります。

 陽気な魔人ジーニーらしく、そのままでもジーニーの魔法の数々が魅せる色鮮やかな演出に見合う、ド派手で元気な歌なのですが、注目したいのはその歌詞。

 歌のタイトルは直訳すると「私のような友達」。ジーニーの自己紹介とは、願いを叶える魔人としての自分を売り込むことであり、鮮やかな魔法を見せながら「どんな願いも叶える魔法の力を持つ私は、貴方にとってこの上なく役に立つ最高の友達!」と歌っているのです。

 フレンドリーでありながら、「ランプを擦った主人の願いをかなえる道具」であることを誰より自覚している魔人。元気で華やか、(ランプの持ち主にとって)希望に満ち溢れたこの歌に、あるいはそれを歌う陽気でフレンドリー、エキセントリックで賑やかなジーニーに、八宮めぐるは何を見るでしょう。

 もしこの歌を聞いたとすれば、もしこの歌を歌うとすれば、彼女はそこに何を足そうとするのでしょう。どんな言葉をかけてあげたいと思うのでしょう。そんな考えが色々と浮かんでいくこの歌を選出しました。


月岡恋鐘

I am moana

 恋鐘に贈る曲は、映画「モアナと伝説の海」から。主人公モアナの「再起」の曲になります。

 とある壮大な使命を与えられ、海に漕ぎ出したモアナは、旅の果てにある使命を果たすための大事な局面で、ミスを犯してしまいます。自分たちの実力を信じようとした結果の失敗に堪えた彼女は「使命を果たせるのは自分ではない」と全てを諦めようとしてしまいます。この歌はそんなモアナがもう一度立ち上がるまでの一曲となっています。

 恋鐘自身は多くの失敗と再起を経験していますが、「誰かの再起」を一つの歌にある物語として見るとき、何を考えるのでしょうか。
また、ユニットを船に例え、ユニットメンバー、ファンを伴いながら冒険の旅に進む、そうした捉え方を魅せた恋鐘は、数少ない仲間と海に出て、確かなものに支えられ、挫折し、再起し、一つの大きな使命を果たさんとするモアナの姿はどう映るのか。
 WINGの優勝コミュのタイトルで高らかに名乗りを上げる恋鐘は、再起と共に自分の名を叫ぶモアナに何を見るのか。恋鐘の感想がぜひとも気になる、こちらを選出しました。


田中摩美々

Wild enchanted water

 摩美々への曲は実写版「リトルマーメイド」の歌であり、実写版によって追加された、アニメ版にはない曲で、立ち位置としては「ラブソング」となります。
 追加された楽曲ということで特徴的なのは、主人公の人魚姫アリエルの意中の人である、エリック王子が歌うソロ曲というところでしょうか。実写版のエリックはアニメ版と比べ、より「アリエルと対をなす存在」としてキャラクター付けされており、アリエルがまだ見ぬ陸に憧れる様に、エリックも未開の海(enchanted water)に惹かれる姿が描かれます。

 この歌は「海難事故に遭ったエリックをアリエルが救う」という印象的な出会いのシーンの後、エリックが再会を願って歌う歌となります。
 一度助けられただけであり、歌声と海という場所以外に名前もわかるものもない相手に、「もう一度探しに来てくれ」「どれだけ時間が掛かろうと、例え命が危険になろうとも会いたい」と投げかけるこの歌に、かつて「見つけられた」彼女は何を思うのでしょう。
 この歌は実写版の追加曲という、元はなかったはずのものです。エリックというキャラクターと共に「物語に誰かの解釈によって新たに付け足された歌」でもあり、つまるところこの歌そのものが「新しい物語」です。勿論、歌にならずとも歌に込められた想いがないこととはなりません。ですが、歌にすることで、このように提示しやすくなるものではあります。そんな想いと歌の距離に、彼女は何を思うのでしょう。

 元より何かの形にはめられることや、同調せよといううっすらとした流れには否定的な彼女です。簡単に共感も反感も抱いてはくれないでしょう。しかしそんな彼女もいまや、アンティーカという物語を作る側。自分の経験、想いに歌という形で名前がつくことを、彼女は厭うでしょうか。秘めた想いを自ら高らかに叫ぶように表現されているこの歌にも、自分たちで作った物語を広く伝わるものとして表現しているアンティーカの歌にも、そこに生きている物語はあるものです。摩美々は自分の想いとアンティーカの歌について、どのように考えているのでしょう。曲の出来た経緯を踏まえ、摩美々に考えてほしい曲として、こちらを選出いたしました。


白瀬咲耶

Remember me


 咲耶には映画「リメンバーミー」からこちらの曲を。音楽をテーマとする映画の中で複数回に渡って流れる、邦題にもなっている様に最も印象に残るのがこの歌です。
 歌詞は同じながら、流れる度にその立ち位置が変化する歌でもあります。
 そしてその歌詞の内容は、ずばり「別れ」。Remember meのタイトル通り、離れても自分のことを覚えていてほしい、忘れないで、と伝える歌になっています。

 リメンバーミーは家族と死をテーマにした映画でもあり、「死者を忘れないでいること」もまた重要なテーマとして扱われています。
…咲耶にこの曲を選ぶ意味は、もはや言わずとも読者の方は理解されているかと思います。なのでそれと別に付け加えて。

 前述のように、この曲は複数回に渡って使われる曲で、歌う人間も曲調も変化します。大勢の前で歌う、エンターテイメントに振り切った賑やかな曲調から、二人きりの場面で静かに歌う曲調まで。この表現の幅にも少々複雑な事情があるのですが、咲耶ならば、様々な姿を求められながらも、その全ての要求を満たそうと手を伸ばす咲耶であれば、様々な曲調を様々な経緯故に持つこの曲の在り方の全てに想いを馳せてくれるかもしれない。そんな想いから、この曲を選出してみました。


三峰結華

Swept away

 三峰に選んだ曲は、今までの曲とは少し異なります。映画ではなく、東京ディズニーシーにおいて過去に行われた水上ショー「ブラヴィッシーモ!」に関連した歌となっています。

 「ブラヴィッシーモ!」は、現在の水上ショーからすると二代前、2004~2010年の間に行われていたショーになります。この曲はショーの中でも使われている音楽に歌詞が付いたもので、ショーの終了後にかかる歌でもあります。 「ブラヴィッシーモ!」は海と火山という印象的な構造をしているディズニーシーにおける物語として、水の精霊と火の精霊が出会い、恋に落ちるストーリーが描かれます。そのためこの歌Swept awayも枠組みとしては「ラブソング」になっているといえるでしょう。

 Swept awayは直訳すると一掃する・洗い流す、さらわれるなどの意味を持っており歌の中では、二人の出会いによって寂しい過去は「一掃され」、そして二人の間新しい想いの元へ「さらわれる」。そのように使い分けるような歌となっています。

 ショーの公演時間は15分ほど。その間に精霊の登場と出会いを言葉もなく演出するために、他のディズニー映画のラブソングにあるような「今までの二人の積み重ね」を振り返ることはありません。二人は今この瞬間に出会い、この瞬間から二人の時間を始めようとしているのですから。故にSwept awayは他のラブソングよりも「出会い」に重きを置いているとも言えます。

 出会った瞬間に、自分の全てをさらってしまうかのごとく想いが溢れる、ある意味で究極の「一目惚れ」の一曲。

 三峰に選ぶ曲であれば、いっそこのくらい甘酸っぱいラブソングがいいと考えてしまいました。彼女の一目惚れがどこにあるでしょう。今までも追ってきたアイドルか、物語の登場人物か、雨の日に出会ったプロデューサーか、共に歩み、時に剣を交える仲間たちか。強く強く愛を伝える曲が、三峰の色んな好きを考えるきっかけになってくれるとよいな、と考えています。


幽谷霧子

Stories

 霧子にはOVA作品「美女と野獣 ベルの素敵なプレゼント」よりこの曲を。この作品は映画「美女と野獣」の続編でありつつ、元映画のサイドストーリーでもあり、映画の中で季節が経過していく描写から雪景色を切り取り、その季節の中で行われた盛大なクリスマスが描かれます。

 美女と野獣の主人公の一人であるベルは、本好きの少女。物語に心をときめかせる一方、物語にしか興味がない変わり者と周囲にささやかれることもあります。そんな彼女が父を救うために恐ろしい野獣と共に城の中で生きなければならなくなり、共に過ごしていく中で二人には愛が芽生え始め…というのが大まかな本編のあらすじですが、雪景色のシーンはまさにその愛が芽生え始めるシーンで描かれており、二人の距離感もこれから縮まろうとしていく状態なのです。

 そんな時間の中で歌われるこの歌は、ベルが野獣ともっと親交を深めようとする曲であり、その方法として「彼に物語を読んであげよう」と歌います。物語が野獣の心に希望や夢を与える力になると、そして野獣の世界を広げてくれるのだと。

 物語を愛し、その力を信じる歌として、ぜひとも霧子に考えてほしい一曲となっています。霧子はこの歌にある「誰かを動かしうる物語」として、アンティーカを想うのでしょうか。それとも、彼女を子供の頃から支え続け、見守り続ける物語たちを想うのでしょうか。

 因みに霧子については、もう一つ悩んだ一曲がありまして。
 それは「ミスティックリズム」という東京ディズニーシーで2015年までに公演されていたショーであり、歌ではないのですが、ジャングルの営みを精霊として擬人化し、多くの命が作る「命のリズム」を描くステージでした。霧子もよく行っている「擬人化」であり、自然が作る「命のリズム」に対して霧子の感想がぜひ聞いてみたかったのですが、他の選出は全て歌詞のある歌であること、また、残念ながらここで紹介できる公式的な音源がないことから、この場では割愛することにしました。未練がましく記載しています。


小宮果穂

I'll put spell on you

 果穂からは映画「ホーカス・ポーカス」よりこの曲を。このnoteでは初めてとなる悪役(ヴィランズ)の歌となります。歌自体はディズニーのオリジナルではなく、アレンジされたカバー曲となります。

 ホーカスポーカスは、1993年のアメリカで、ハロウィンの夜に300年の時を経て復活した魔女の三姉妹と、それに立ち向かう子供達の活躍が描かれます。

 この曲が流れるシーンは、復活した魔女から逃げる子供達が、街の危機が迫っていることを大人達に伝えようとするシーンであり、子供達によって復活が大人に知られてしまうというピンチに対し、ハロウィンのイベント中であることを三姉妹が逆手に取り、即興のステージを披露することで観客を魅了、遂には踊り続ける呪いをかけてしまい、大人たちを使い物にならなくしてしまう…というものです。

 「呪いをかける為の即興のステージ」のために「呪いをかけてやる!」という歌をアドリブで選んだわけですね。古の魔女でありながら何ともエンターテイメントの勘所を抑えてらっしゃります。ステージで魅せるものとして、アイドルに通ずるものがあるように感じます。

 果穂に選ぶならば、悪役の曲を。逆張りに寄った考えではありますが、せっかくならとそう思っていました。落語の中の死神を「かっこいいもの」と一時は捉えた彼女ですが、悪い魔女が悪い目的のために自分たちのピンチを「歌とダンスで観客を魅了する」ことで華麗に切り抜けていくこの歌を、アイドルとしての果穂はかっこよく思うでしょうか。
 一つのアイドルの形でもありそうな悪役達の姿、それが感じられるこの曲を選出しました。


園田智代子

One last hope

 智代子に選んだのは、映画「ヘラクレス」より、主人公ヘラクレスを指導するヒーロー専門のトレーナー、フィルの歌です。

 曲のタイトルは最後の希望。フィルは「最高のヒーローを育てる」という夢を持っていますが、失敗に次ぐ失敗に挫折し「俺はもう降りた」とやさぐれでしまいます。そんな彼がヘラクレスと出会い、諦めかけた希望をヘラクレスに託して鍛え上げていく、フィルの再起とヘラクレスの成長を描いた歌になります。
 陽気な曲であり、歌の中で細身の少年から筋骨隆々の偉丈夫へ急成長していくヘラクレスの姿も楽しい曲ですが、やはり最後の夢を託す曲として、智代子のことを思わずにはいられません。

 夢を託された人間である智代子は、挫折を繰り返した果てに最後の夢を託そうとするフィルに何を思うのでしょう。託された夢を正に今応え続けている智代子だからこそ、託す側であるこの歌を通して考えて欲しい。また、何度も何度も失敗した先で、もう一度希望を託そうする、応えようとする、そんな姿を見守る智代子が見たいのと、ヘラクレスがメキメキと成長していく姿はプロデューサー目線では智代子に重なっていたりするのかな、など、色々な場面が想像できるこちらを選出。


西城樹里

proud of your boy

 樹里に選んだ曲であるこちらは映画「アラジン」の楽曲……とはいうものの、原作アニメ映画で用意されていた出番がカットされてしまった未公開曲であり、様々な曲目が増えているミュージカル版のアラジンにおいて返り咲いた、少し特殊な歌です。動画はミュージカルでアラジン役を務める役者さんの歌になります。

 内容はアラジンの過去と決意が垣間見えるもので、タイトルの意訳は「自慢の息子」、亡き母親に向けて「今までの親不孝だった自分を省みて、きっと貴方の自慢の息子になって見せる」と誓う歌です。

 アラジンは貧しい生まれであり、盗みやそれに伴う小競り合いは日常的なことでした。歌の中でアラジンは、今までの自分の行いや、それにより時間を無駄にしてきたことを悔いています。樹里の過去は何もアラジンの様に盗みや喧嘩に明け暮れるようなものではありませんが、自分と別の人生経験の中で、決して褒められたことではない行為に手を染め、後悔を抱えながらそれでも「誰かにとっての誇り」になろうとする歌に、思うところはあるのではないでしょうか。また、やりたいことができなくなっても様々なチャンスを周りの人たちの優しさによって恵まれた樹里は、「いつかなるべき姿」を歌う彼にどんな言葉をかけたくなるのでしょう。

 樹里とは別の人生を歩んでいる男の後悔と決意について、樹里の考えを是非聞いてみたく、この曲を選出しました。


杜野凛世

You'll be in my heart

 凛世に選んだのは映画「ターザン」よりこの曲。映画を代表するようなこれまた王道のラブソングになります。

 凛世に宛てるならラブソング。安直ながらもそう考えてしまうのですが、しかしラブソングといっても数多くの種類があるディズニーで、何を選ぶべきだろう。秘めた思いを歌うものがいいか、苦悩を歌うものが良いか、暑苦しいくらいベタベタなものがいいか。
 そんな風に考えた結果選んだのがこちらになります。

 タイトルにもある通り、「貴方は私の心の中ににいる」という歌なのですが、野生児ターザンと動物研究家のジェーンという、まったく違う世界で全く違う生き方をしながらも、寄り添い合える二人に宛てた曲であるためか、「心の中に貴方がいる」という言葉が、相手のことを常に思う、という意味だけではなく、「必ず貴方を守る」「泣かないで」「だって貴方は私の心の中にいるから」と生い立ちの全く違う二人の心と心を最も近づける様な表現として使われてるのも印象的です。

 常日頃から想い人を心の中に置いていると言えるかもしれない凛世に、状態は似ていても、そこからさらにその想い人に対して「自分がいるから泣かないで」と伝えるこの歌を勧めてみたくなり、この選出となりました。ディズニー映画の(あるいは海外の映画の)特徴として、相思相愛であることを微塵も疑わない自信の強さを持つ曲は多かったりするのですが、そうしたちょっと大胆だったり、強い言葉で愛を伝える歌は、是非とも凛世に聞いてほしいものになります。


有栖川夏葉

A star is born

 夏葉には映画「ヘラクレス」より、映画の締めを飾るエンディング、及びスタッフロールで流れるこの曲を選出。

 物語の終わりに誰もが認める本当のヒーローとなり、愛する人と結ばれ、自分の生きる道を定めたヘラクレスへ贈られる「新しいスターが生まれた」という祝福の歌です。

 夏葉にこの歌を宛てた理由は、彼女の「アイドルという物語の一区切り」について考えたかったからです。「本当のヒーローになるまで」が描かれる映画の締めくくりであるこの歌は「物語の終わりの大団円」であり「ヘラクレスの功績を讃える歌」ながら「本当のヒーローの誕生」というスタート地点であり、「これからの人生もヒーローとして生きていくヘラクレスへのエール」でもあります。

 夏葉にとってもいつの日か「世界に認められるようなアイドルになる」など、「物語であれば区切りがつく様な終わりの日」があるとして、夏葉はそこから何を始めたいと思うのでしょう。この曲の様に新しく豪華なスタートでしょうか、それとも、静かなスタートでしょうか。一人の男の功績を祝い、関わる多くの人を祝福し、一つの映画を締めくくる元気で豪華なエンディング曲を通して、夏葉が迎えるどこかの区切りと、周りからの反応を考えてくれたらいいな、とこの曲を選出しました。


大崎甘奈

How does the moment last forever

 甘奈には実写版「美女と野獣」からこの曲を。はっきり言って、この曲を誰かに充てることはほぼ最初に決めていて、しかしだからこそ誰に充てるかを悩み続けた一曲です。

 タイトルを直訳すると「どうして一瞬は永遠になるのか」となるでしょうか。映画では数回流れるこの曲は、場面ごとに今もう失ってしまった妻へ、母へ、それぞれの想いが歌われます。動画はスタッフロールで使われたもので、あたかも語り継がれる「美女と野獣の物語」自体を歌っているようにも思えます。オリジナル版から続く、楽曲「美女と野獣」の中では語り継がれる物語や歌のような運命的な出会いを歌ってくれていますが、そんな運命的な物語や歌は、かけがえのないはずだった「かつての一瞬」を「永遠」にしていく工程なのだと。そんな文脈を載せてくれるかのような、実写版により「追加された」楽曲です。

 この曲を誰に宛てたものにするか、大いに悩みました。この歌の歌詞を見て、多くのシャニマスのシナリオを思い出した方も多いと思いますが、今回は、甘奈にこの曲を。

 「歌は生き続けていく」という想いや、「一種の思い出をまるで永遠のように感じる(感じていたい)」という想いが、確かに今につながる歌として存在していることも踏まえて、前に進むこと、留まること、そこに在る人の想いについて、改めて考えるきっかけになってくれるかな、と思います

 ディズニーの楽曲に、あるいはディズニーそのものに対するイメージとして、「子供向けの御伽噺」「ハッピーエンドの物語」といったイメージが持たれていることは、常々感じていることではありますが、ディズニーとしてはそんなイメージを前提として、「あの日確かに貴方を揺さぶった物語」や「ハッピーエンドは続くのだろうか、いや、続いてきたのだ。」といった切り口の曲も結構多かったりします。そんな「それでも」と物語や歌の力を信じる姿勢こそ、シャニマスに通づる要素の一つであるのかもしれません。


大崎甜花

Heaven's light/Hell fire

 甜花に選出した曲は、映画「ノートルダムの鐘」の曲。タイトルは二曲分ですが、シームレスに曲が繋がる為、サウンドトラックなどでは一曲扱いだったりもします。タイトルを見てわかるように対比となっているこの曲は、主人公カジモドと悪役のフロローの二人が、同じ女性への想いを歌う歌となっています。ヴィランズの歌としては、果穂に続き二人目ですね。

 歌ではそれぞれ、カジモドは醜い自分に微笑んでくれた女性への想いを歌い上げ、フロローは自分を誘惑する女性への暗い情念を歌い上げます。どちらもある意味「初恋」の曲なのが面白いところです。

 そんな対照的なラブソングを何故甜花に宛てたのかというと、それはタイトルが必殺技みたいでかっこよかったから……では勿論なく、「好き」という気持ちが別の方向に溢れ出しているこの二曲によって、「色んな好きの形」に触れてほしいと思ったからです。
 アルストロメリアは様々な形で「好き」や「恋」というものについて考えてきましたが、甜花に関していえば、直接的な男女の恋愛そのものについて他の二人ほど取り上げたことはないようにおもいます。そこで、男女間の恋愛を全く違う方向性で取り上げる二曲を通して、甜花本人の「男女の恋愛という意味での好き」についてどういった考えを見せるのだろう、という興味からこの選出となりました。


桑山千雪

Once upon a time

 千雪への曲は東京ディズニーランドで2017年まで実施されていた、シンデレラ城を使ったプロジェクションマッピングショー、ワンス・アポン・ア・タイムからの選出です。

 タイトルは意訳すると御伽噺でよく使われる「むかしむかしあるところに」となるでしょう。多くのディズニーキャラクターが登場するこのショーは、その一つ一つが語り継がれ、お馴染みの言葉で始まる物語として扱われます。

 ところが、歌詞の内容はそうではありません。歌詞のonce upon a timeは、個々の物語についてでなく、読み手である「貴方自身のむかし」についての歌詞となっています。自分の歌を作ってみたり、星に願いをかけてみたり、そんな読み手にあったかもしれない読み手自身の「むかしむかし」を祝福する、そんな暖かい歌詞となっています。

 これはやはり千雪に是非とも宛てたい曲であります。もちろん彼女自身、自分の「好き」を今でも大事にして生きているのは間違いないのですが、祝福や後押しはいくらあってもいいものだと自分は考えています。この歌の力が、千雪の背中をもっと押してくれるかもしれない。そんな期待を込めて選出しました。


芹沢あさひ

コンパスオブユアハート

 あさひに選んだ曲は東京ディズニーシーのアトラクション「シンドバッド・ストーリーブックヴォヤッジ」でアトラクションを通して流れる歌、コンパスオブユアハートです。

 歌のタイトルは歌詞でも、アトラクションで描かれる冒険の中でも繰り返し言及される、主人公シンドバットの「心のコンパス」のことであり、シンドバットの行き先を決める指針です。シンドバットはこれを頼りに、心のままに宝探しの冒険に出ることになります。

 冒険やコンパスという、あさひのコミュと関係は勿論、今回この歌をあさひに選んだのは、この歌が「冒険の始まりから終わりまで」を描いたものだからです。アトラクションはシンドバットの航海、遭難、戦い、出会いと別れを描き、最後には冒険で出会った友といつ何よりの宝を得る、そんな物語が描かれます。「冒険の中で得た友こそ宝」というのは、使い古された文句の様に見えますが、実際に旅を始め、旅を見つめ、旅の終わりを語る歌を聞いた時、あさひはどう思うのでしょう。そんなことが気になるために選んだのがこの曲です。

 あさひは普通に暮らしているだけでも多くのものに惹かれ、多くに支えられながら冒険をしています。あさひに限らず、人生とシンドバットの冒険とに共通点のない人間は少ないともいえるでしょう。さて、シンドバットの冒険は、あさひの興味を引くでしょうか。数多くの冒険の果てに「友こそ宝」とする結論は、納得のいくものでしょうか。「一つの冒険を終えた先輩」の歌を聞いた時、あさひはどうも思うのでしょう。また、あさひ自身が自分の冒険を歌うなら、どういうものになるのでしょう。そんな反応が見たいがため、この曲を選出しています。


黛冬優子

So Close

 冬優子には映画「魔法にかけられて」からこの曲を。「魔法にかけられて」は実写とアニメーションを織り交ぜた映画となっており、アニメーション世界のプリンセスであるジゼルが、実写世界、つまり現実世界のニューヨークに転移してしまうというストーリーで、夢見がちでロマンチスト、正に「物語のプリンセス」らしく生きてきたジゼルと、理性的で現実的な幸せを求める離婚専門の弁護士ロバートのロマンスが描かれます。

 この歌は、そんな正反対の二人が舞踏会で踊る際に歌われる歌であり、互いに別の婚約者のいながらも惹かれあってしまう二人の、近くて遠い複雑な心の距離が歌われます。

 この歌を冬優子に宛てたいと思ったのはやはり歌詞から。御伽噺を最もメタ的に扱っているといえるこの映画の例に漏れず、この曲もまた御伽噺のような「ロマンティックな夢」「ハッピーエンド」に触れ、それら現実では叶わないはずのものが、貴方と二人であれば…と歌います。

 自らの最初の物語の始まりを「ハートフル・フェアリーテイル」、締めくくりを「まるで陳腐なハッピーエンド」とした彼女は、「御伽噺を貴方となら現実にできる」という歌に何を思うでしょう。プロデューサーやユニットメンバー…も勿論あるかもしれませんが、個人的には御伽噺を現実にして見せたふゆと冬優子の二人に送ってあげたい歌です。


和泉愛依

Reflection

 愛依には映画「ムーラン」からこの曲を。「ムーラン」は中国を舞台に、体の悪い父親に代わり、性別を偽って徴兵される主人公ムーランの活躍が描かれます。

 この歌は、まだ軍隊に入るなど考えてもいなかったムーランが、良家に嫁いで家に名誉を齎すために出向いた見合いの準備で、盛大に失敗してしまった後の場面。鏡に映る見合いのための化粧だらけの自分を見て、本当の自分はどこにあるのかと問いかける歌になっています。

 愛依にとっても他人事ではない「自分を偽る」という行為について、只管に苦しく、嘆かわしいものとして捉えるこの曲ですが、結局この後もムーランは、自分を偽り、「ピン」という男として軍隊に馳せ参じることとなります。

 いずれは家族のため、戦いの為に覚悟を決めもう一度自分を偽る道を選ぶ彼女が、その前に溢していた嘆きを見て、愛依は何を思うのでしょうか。もしかしたら愛依は愛依本人に加えて、愛依の友人たちを思うのかもしれません。彼女たちの目には、こうした嘆きが映っていたのでしょうか。そんな愛依がかつてを振り返るきっかけになりそうなこちらの曲を選出しました。


浅倉透

I'm still here (Jim's Theme)

 浅倉には、映画「トレジャー・プラネット」から、主人公ジムのテーマ曲を。トレジャープラネットは、宇宙を渡る船により星同士の交流が盛んな世界で、主人公ジム・ホーキンスがある日莫大な宝が眠る惑星、トレジャープラネットへの地図を手に入れ、冒険の旅を始める物語です。小説「宝島」をモチーフとした作品であり、フリント船長など、小説の登場人物と同じ名前のキャラクターも出演します。

 さて、そんなトレジャー・プラネットにおけるこのジムのテーマは、シナリオ中盤に彼の内面を掘り下げる歌として歌われます。
 優れた才能を持ちながらも、何を目指すこともなく危険行為をしては指導を受け、少年院行き一歩手前というジム。子供の頃からの憧れであったトレジャープラネットへの地図を手に入れた彼は、かつての夢を追いかけるため、また母への恩返しのために旅立つことになります。

 旅の中、彼は地図の持ち主にも関わらずコックのシルバーの元で船の雑用係になってしまいます。この曲は雑用係として働くジムとシルバーとが交流を深めるシーンで流れ、ジムの内面に迫っていくことになるものになります。

 この曲を浅倉に宛てた理由としては、浅倉が縛られない自由、大人への反発、自己実現への欲求、信頼できる人間への感情、そうしたものを叫ぶ「若さの発露」のようなこの曲を前にどう思うかが気になったからです。浅倉は時折様々な物語の目に留まったワンフレーズを、身の回りの物事に当てはめる姿がみられます。そんな浅倉が、自分と一致しないまでも「誰も自分のことをわかってくれない虚しさ」「自分のことを一人の人間として認めてくれる相手がいた嬉しさ」などを歌うこの曲に、何を思うのでしょう。共感あるのか、優越感があるのか、奇妙な友情を感じたりするのかもしれない。そんな浅倉からジムへの感情が大いに気になるため、この歌を選出してみました。


樋口円香

Poor unfortunate souls

 樋口に送る曲は、3個目のヴィランズソング。「リトルマーメイド」の海の魔女、アースラの歌です。
 アースラは全ての海の支配を目論む魔女であり、その為に海の支配者トリトンの娘である、主人公アリエルに目をつけます。そして、陸と、そこにいるはずの王子に焦がれるアリエルを言葉巧みに誘い「アリエルに足を与える代わりに声を奪い、3日後の日が沈むまでに王子とキスできなければ、アリエルの所有権を得る」と契約を結びます。この曲はアリエルとアースラが初めて対面するシーンの後から契約のシーンまでを描いた、自己紹介も兼ねた歌となります。

 歌に乗せながら「自分は不幸せな魂(poor unfortunate soul)を助けてあげるのだ」と語り、アリエルの衝動をくすぐりながら、安くない代償を強いていく様は、正に悪役の歌と言えるでしょう。

 樋口円香と契約、といえば一つのシーンが思い浮かびます。言葉巧みに綺麗事を並べて、「本当にやりたいこと」をある意味で人質に取り、代償を強いてくる…。彼女が我々の思うように思ってくれるとは限りませんが、「悪い魔女の甘言に乗り、自ら契約をしてしまう」アリエルの姿は、今の彼女にどう映るのでしょう。考えて欲しい曲として選ぶなら、と今回はこの曲を選んでみました。


福丸小糸

A girls worth fighting for

 小糸への曲は、映画「ムーラン」より。性別と名前を偽り軍隊に入った主人公ムーランが、仲間と共に戦場へ向かう時に歌われた歌です。とても命懸けの戦場に向かっているとは思えない明るい曲ですが、内容もお気楽そのもの。厳しい修行を乗り越えて強くなった兵士たちが「戦に勝てばきっと女の子にモテるぞ!」と盛り上がる歌なのです。各々の好きな女性のタイプ、これから待つ運命の出会いを気ままに歌う彼らにムーランも苦笑い。修行や戦いの間を埋める、ほっこりとする歌になっています。

 小糸に何故この曲を宛てたのかといえば、小糸に考えて欲しいことが、「自分へのご褒美」と浮かんだ為です。この歌を歌う兵士達は、皆その前のシーンで、生半可な覚悟では耐えられない厳しい特訓を乗り越え、凄まじく強くなる場面が描かれます。そんな頑張りに頑張った彼らが、何ともお気楽に「自分へのご褒美」「戦うに見合うだけの価値のあるもの」を歌う姿が、小糸にどんな影響を与えてくれるのでしょう。勿論、小糸自身が功績の対価として恋人を求めることはまずないのでしょうが、わがままで、浅ましく、考えなしで、俗っぽさに溢れた彼らの思い描く「ご褒美」に、何かを感じてくれたらいいなと思い、この歌を選出しました。


市川雛菜

Happily ever after

 雛菜に選んだ曲は、フロリダのディズニーランドで行われるプロジェクションマッピングによるショー「happily ever after」から、同ショーで流れる歌となります。

 happily ever afterは、意訳するなら「いつまでも幸せに暮らしました」。日本のプロジェクションマッピングによるショーである「once upon a time」と見事に対になっているとも言えるタイトルになっています。歌詞の内容も異なり、「once upon a time」がかつて惹かれた夢、かつて描いた願いへの祝福を歌うのだとすれば、「happily ever after」は今この瞬間から新しい明日に向けて踏み出していく、「始まったばかりの物語」の中で「貴方のhappily ever afterを見つけてくれ」と祝福する歌になります。

 物語は今からでも始めることができ、奇跡を手に入れるのは正にこれから、手を伸ばして幸せを探しに行こう。そんな輝くような言葉を持つ曲を、是非とも雛菜に聞いて欲しいと考えました。

 この曲が、雛菜にとってはどういうものとなるでしょう。個人的な願いとしては、「雛菜の生き方」への真っ直ぐな応援になってくれたら…と、余計なお世話に過ぎないかもしれませんが、真っ直ぐ雛菜を応援するような曲が存在することが、雛菜にとって嬉しいことの一つになってくれたらな、と思うばかりです。


七草にちか

Part of your world

 にちかには映画「リトルマーメイド」から、主人公アリエルの曲を。曲としてはunder the seaと共に、同映画で最も有名な曲となるでしょう。

 人間の住む陸の世界に憧れる人魚アリエルが、陸由来の品を集めに集めた自分の隠れ家で、陸の世界でしたいこと、見たいもの、知りたいことと、溢れ出す憧れを歌いあげます。足がない為に、決して行けない陸の世界。行けないとある理解していながらも、どうしても諦めきれないアリエルの想いが籠った一曲になっています。

 そして、そんな曲を考えてもらうならば、アイドルの世界に憧れ続けたにちかがいいな、と考えました。彼女もまた、安易に物語に共感したと口にしてくれるタイプではありませんが、「入ることが叶わない世界への憧れ」が美しい音楽と共に語られることに、どの様な気持ちになるのでしょう。にちか自身が過去、溢れる憧れを語る時があるとしたなら、それは「そうだよ」といった彼女の背中を押す音楽と共にあったのかもしれません。そんな「音楽という光が当たった、一人の女の子の憧れ」に対して、少し考えて欲しいなという思いでこちらを選出。


緋田美琴

Go the distance

 美琴には映画「ヘラクレス」から主人公ヘラクレスの歌を選出。「ヘラクレス」では、凄まじい怪力を持つが故に、周囲に馴染めない主人公ヘラクレスが、自分の居場所を求め旅に出て、「神の息子である」という出生の秘密を知り、自分の居場所である神の座に返り咲く為に「本当のヒーロー」を目指すお話です。

 この歌は、居場所のない少年のヘラクレスが、「どこかにある自分のいるべき場所」を想って歌う歌になります。タイトルのgo the distanceは「遠くに行く」と直訳ではなりますが、歌詞の中ではI canがつき、意訳では「遠い道のりでもやり遂げてみせる」ともいえるものになります。

 美琴は283プロのアイドルとして生きていく中で「自分の生きたい場所」を見つけることができました。そんな彼女に「自分のいるべき場所を探そうとする歌」はどのように聞こえるのでしょう。

 この歌の中でヘラクレスの求める居場所は、誰もが暖かく迎えてくれて「ここが君の居場所だ」と声が聞こえる場所。それはどこか、美琴の今いる場所に近いものがある様に思います。

 自分のパフォーマンスが必要とされる場所を求めた美琴、自分の力が受け入れられる場所を求めたヘラクレス。二人のそんな違いについて美琴はどう思うのだろう。主観的な感想にはまだ慣れていないかもしれない美琴ではありますが、こと歌や映画という作品であれば、もしかしたら何か新しい考えが生まれるかもしれない。そんな想いからこちらの曲を選出しました。


斑鳩ルカ

Feed The bird

 ルカへの曲は、映画「メリー・ポピンズ」の一曲。
 「メリー・ポピンズ」は、児童文学を原作とし、実写とアニメーションを組み合わせた映画となります。厳格な銀行家の家族のイタズラ好きの子供の、元に不思議な魔法を使う教育係メリー・ポピンズが現れ、子供達に不思議で楽しい体験をさせながら人生で大切なことを教えていき、家族の絆さえも取り戻してしまう、そんなお話となっています。

 「メリー・ポピンズ」の歌には、メリー・ポピンズが子供達に教える「考え方」についての歌がいくつかあり、このFeed The birdもその内の一曲になります。

 タイトルは直訳すると「鳥に餌を」、邦題では「2ペンスを鳩に」。パン粉の入った鳩の餌袋を2ペンスで売っている老婆を取り上げた歌です。

 歌の内容としては、メリー・ポピンズが子供達にこう教えるのです。
 大聖堂の前の老婆が、鳩の餌を売っている。「どうか2ペンスで餌を買い、鳩に餌をやってください。鳩に思いやりを示して欲しい、そうすれば自分の行動に、貴方は嬉しくなれるのだ」、そういう老婆の周りは鳩に囲まれ、誰かが餌を買い、思いやりを示す度、聖堂の聖人達も笑うのだと。

 それまでの不思議で元気な作品のイメージから唐突に出てくる、ただの餌売りの老婆の話はメリー・ポピンズが子供達に最後に教える「本当に大切なもの」の歌になります。

 さて。ここまでが大まかな説明となるのですが、シャニマスのコミュの中で、どうにも思い当たるものがある方がいるかもしれません。

 いつかのゲームの結末を知らずとも、故郷の鳥に餌をやっていたルカ。彼女にとって、その行動は大切なものになりうるのでしょうか。考えるきっかけを与えられるなら、とこの曲を選出。


鈴木羽那

Color of the wind

 羽那には映画「ポカホンタス」からこの曲を。
 「ポカホンタス」はアメリカ大陸に住んでいる先住民と、開拓者の邂逅を描いた映画で、先住民の長の娘である主人公ポカホンタスと、開拓者の一団に加わっている冒険家のジョンの出会いに焦点が当たります。

 ポカホンタスとジョンが知り合った後、二人は全く違う世界で生きてきた人間ながらもお互いの言葉を学ぶなど、距離を縮めていきます。そんな中、ジョンはある時「より進んだ文明を持つイギリス人」として、「何も知らない」ポカホンタスに色んなことを教えようとします。しかし、それに顔を顰めたポカホンタスは、「何も知らないと貴方はいうが、貴方には知らないことはないのか」とジョンの知らない様々なことを語り始めます。この時に流れる歌こそこの歌なのです。

 タイトルの意味は「風の絵の具」。これもまた、ジョンの知らないものの一つとして描かれています。

 自分の常識には全くない体験、自然の中に見つかる様々な奇跡、そうしたものを教えてくれるこの歌を、自分は羽那に宛てたいの考えています。

 現状、羽那についての情報はそこまで多くなく、自分自身、羽那について何か正鵠を射ることが考えられてる、とも思い難いのですが、とあるコミュで羽那は「あるものに対して考えられていないこと」を突き付けられる描写があり、そんな彼女に考えて欲しいものとして突き付けるとするならば、我々がすぐには理解できない、常識にすらないもの、「風の絵の具」のような存在こそ、何かの鍵になってくれるかもしれない。そんな想いから、こちらを選出してみました。


郁田はるき

Snuff the light

 はるきに選んだ曲は、恐らくこのnoteで最もマイナーな曲となるでしょう。映画自体も中々マイナーな上に、曲もカットされてしまった未収録曲なのですから。
 全編に渡ってコメディ色が強い映画「ラマになった王様」の悪役、老婆イズマが歌うこの歌は、彼女の過去と生き様についてを語る曲となっています。

 「ラマになった王様」は我儘放題の王様クスコが主人公であり、彼は村を潰してリゾートにしようとしたり、気に入らない者は老人だろうと放り出したりという酷い王様なのですが、ある日クビにした部下の恨みを買い、薬でラマに変えられてしまいます。ラマになってしまったクスコは、先日潰そうとした村の農民パチャと共に珍道中を繰り広げることになるのです。

 そんな物語で、クスコをラマにした張本人こそイズマ。長年相談役として王を支えてきたにも関わらず自分を切り捨てたクスコを始末し、自らが王になろうとします。この映画の登場人物の例に漏れず、彼女も大いにコメディチックであり、滅茶苦茶な登場人物に振り回されるツッコミ役であったりもします。因みにクスコがラマになったのは、彼女がノリノリで用意した毒薬とラマエキスを部下が間違えたせいです。

 とはいえ悪意は本物。生きているクスコをラマの内に始末する為に暗躍するのが劇中のイズマです。さて、そんなイズマの未公開曲、どれほどギャグっぽい曲なのかというと…。そこには強かに生きる、一人の女の姿がありました。この映画はシナリオが制作途中に変更となり、多くの曲が未公開となりましたが、この曲もその一つ。シリアス路線だった頃の名残…とも言われています。

 歌のタイトルは「光を消し去れ」。見た目はかなり年配のイズマは若さと美の敵であるとして太陽を敵視していると語る所から始まり、彼女にとっての敵である太陽を消し去り闇の時代を作るのだと歌う、悪役らしくかっこよく決まる一曲となっています。

 はるきは物事を考えすぎるほど考えてくれます。その為、どんな曲を聴いても真摯に向き合ってはくれるかもしれません。その上で、ある1曲だけを贈るならば、美と若さ、権力と闇に執着する、一人の女の人生を歌うこの歌を贈りたいと思いました。彼女と全く異なる人生を歩んだ一人の女の闇。そこにはるきが何を感じてくれるのか。楽しみを感じながらの選出となります。


七草はづき

Baby mine

 はづきに贈るのは、映画「ダンボ」より、主人公ダンボの母、ジャンボが歌うこの曲。「ダンボ」はサーカスで生まれた耳の長い象のダンボが、その耳を活かして空を飛び一躍スターになるまでが描かれた物語です。

 ダンボは耳の大きすぎる象として生まれますが、その姿を母以外の象からは揶揄われてしまいます。そしてサーカスの見世物として衆目に晒されると、今度はその耳故に人間の子供たちから悪戯を受けてしまい、これに怒って暴れたジャンボは、牢屋に閉じ込められてしまいます。母と離れ離れになりサーカスではピエロとして笑い者にはされてしまうダンボが、牢ごしにジャンボと一時の再会を果たした時に歌われる歌こそこの歌となっています。

 そして、離れ離れになった我が子への愛を歌う子守唄であるこの歌をはづきへと選びました。

 正直に言えば、はづきについて分かっている情報はそう多くありません。好きな音楽や物語についてもミシェルちゃん人形の一件から、子供の頃は「そういったもの」を普通に好んではいた、と推測できる程度です。故にどうしてもその境遇ゆえの選出となってしまうのですが…

 そもそも彼女は、物語をどのように捉えるのでしょう。歌われる愛や、夢や、怒りや、嘆きや、生き様や、冒険や、陰謀は、彼女にとって何になりうるのでしょう。彼女が好む音楽はもしかしたら、自分の慰めのようには決してならない曲なのかもしれません。まるで実験のようではありますが、まずはこの歌を。彼女がこの歌に対して何を思うのかを知るために選出しました。


天井努・プロデューサー

Evermore

 少し卑怯になるかもしれませんが、この二人にそれぞれ考えて欲しい曲として、実写版「美女と野獣」よりこの曲を。実写版を挙げているということでもうお分かりかもしれませんが、こちらもアニメ映画版にはない新曲となります。

 アニメ版ではなかった「野獣のソロ曲」であるこの曲は、物語の中、野獣とベルの別れのシーンで歌われます。野獣とベルは、共に過ごす中で愛を育んでいきますが、ある時野獣は自分が引き離してしまったベルの父親の様子を見せる為、自分の持つ望むものを映してくれる魔法の鏡を見せます。ベルは父の今の姿を望みますが、「娘は恐ろしい野獣に攫われた」と吹聴した為に精神病院に送られようとする父の姿でした。野獣は人質としての軟禁を解きベルを家に戻します。野獣は呪いによって姿を変えられており、ある期限の内に、真に愛し愛されることを知らなければその呪いは解けません。そんな呪いを解くまであと一歩のところでありながら、それでも彼女を愛するが故に手放してしまう野獣。

 この歌は呪いを解ける期限が迫りつつある中で、呪いを解く唯一の手段ともいえる最愛の女性を見送る際に、野獣が想いを歌う歌となっています。

 手元から離れていこうと、視界から消えることはない愛する女性の姿と、それだけ彼女に心を奪われてしまった自分の姿、そして彼女を想い続けながら永遠に待つと歌うこの歌を、プロデューサーである(であった)二人にこそ捧げたいものとなっています。


 努にとって、かつて自分の元から離れていった少女は、今でも彼の心の中にいるものでしょうか。未練を歌い待ち続ける野獣の姿に、彼は何を思うのでしょう。

 プロデューサーにとって、いつか来るかもしれない彼女たちとの別れの時、彼を惹きつけた28人の女の子に対して、彼は何を思うのでしょう。アイドル達と別れてしまった彼の姿はゲーム内でも見ることが出来ますが、あれはアイドルと引き裂かれた後の彼を見ることが出来ただけ。今正に彼女たちと共にある彼は、「彼女を思うが故に彼女を手放す」この歌に、何を感じるのでしょう。

愛の一つの終わりの形であるようなこの歌を、二人の男に選びます。



おわりに


 如何でしたでしょうか。ディズニーより30もの曲を紹介させていただきました。このnoteを見て、読者は何を考えてくれるでしょう。

 「考えて欲しい」「どう思うのだろう」とある種投げっぱなしの文章ばかりですが、この文書から、「解説ではこう言ってたが自分の解釈は違うぞ」「自分ならこの歌はこの子に考えて欲しい」、「歌わせるならこの歌を、聴かせるならこの歌を」と自分の好きなディズニーとシャニマスについて、考える人が増えてくれるならこれ以上の喜びはありません。

 私たちが生きていく人生の中で、シャニマスやディズニーというコンテンツが喜びや思考の機会を与えてくれるように、シャニマスの世界で彼女達が生きていく中で、ディズニーの歌や物語が、何かを与えてくれたらいいな。そんな勝手な祈りを、二つのコンテンツへの感謝と共に残して、このnoteを閉じさせて頂きます。

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