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日本語の起源は解明された Part2

半導体物理学者が解き明かした日本祖語
その実にオーセンティックな謎解き
言語学のドグマから解放されれば、日本語の起源は明確だった!

いろは/五十音を構成するひとつひとつの音節が日本語の原始言語(祖語/プロト言語/proto-language)であることの発見について述べた 小林哲 著・"日本語の起源 Japanese Language Decoded (2022年出版)"の概要を紹介します。


※本記事では、発声の歴史的・地域的なバリエーションや発声の変遷に対する解釈の違いによる混乱を避けるために、発音記号を用いずにカギカッコ付きのローマ字で発音を表記することにしています。

※「やまとことば」の「やまと」は厳密には、紀元後に日本列島に移入し西日本に勢力を拡大した民族のことを指しますので、それ以前から先住している民族の言葉を「やまとことば」と表現するのにはやや難がありますが、本記事では便宜上、古代から使われている日本語を「やまとことば」と総称し、他言語の影響を受けた語も含む「古語」と区別することにします。

※ 特許登録済
特許7125794「情報処理システム、日本語の意味内容解釈方法及びプログラム」
Japanese Patent No. 7125794 (P7125794) "Information Processing System, Semantic Content Interpretation Method for Japanese and Program"

*少々ディープな言葉も解読してみましょう 

・【ケ】【ハレ】【ケガレ】【コトホギ】

  柳田國男が導出したと言われる、ハレとケという対立概念について考えてみま す。古代から日本語には「常態」や「日常」を意味する「ケ」という概念が有り、それと対を成す「非日常」の概念として「ハレ」があるのだという解釈は柳田國男以来、民俗学では広く受け入れられているようです。
  「オケ/ガケ/タケ/シケ/サケ/ハケ」など、音節「ケ」を含む多くの”やまとことば”を集積して、これらに共通する意味内容を解析してみると、「ケ」[ke]は縁がせり上がった桶(basin)状の形状や物、崖のようにそそり立つ形状/地形/構造を表す、という結論を得ることができます。
  ケガレ[ke-ga-le]という言葉の語源は、「そそり立ち/桶状構造」、「オーバーハング」、「収束/結束/集積(物)」を意味する三つの音節「ケ」[ke]、「ガ」[ga]、「レ」[le]が連ねられて、「オーバーハングになるほど積み上がった集積物」を表現しているのだとわかります。必ずしも、穢れていたり汚れていたりするわけではなく、大量に積み上げられたガレであることがわかります。「池(いけ)」[i-ke]も穢れや汚れとは関係なく、「出現する」を意味する「イ」[i]と「ケ」[ke]が連ねられていますので、「(水が)出る桶状形状(の地)」が語源となっていることが簡単に分かります。
  一方の「ハレ」[ha-le]は、「端」や時空の「終わり」を意味内容とする音節「ハ」[ha]と、「集積」を意味内容とする音節「レ」[le]を組み合わせて「物事の終結/収束/収斂/終息」を表現していることがわかります。時を経る内に、デスパレートな状態に対応する「ケ」が「常態」を意味するように変化していき、「収束」を意味する「ハレ」が「寿ぎ(ことほぎ)」に通じる言葉として浸透してきたのであると理解できます。
  この「晴れ」に深く関連する「寿ぎ」。「コトホギ」の発声は「とても/まさに/たしかに」を意味する音節[ko]、「平坦地」を意味する[to]、「突起物」を意味する[ho]、「禾(のぎ)」を意味する[gi]が組み合わされているので、「この地の穂に籾(が実る)」という意味内容を表現していることがわかります。つまり元来「豊穣」を意味する語だったと考えていいでしょう。後世、前半の「コト」が「言葉」を意味すると取り違えられて、「言葉で祝福する」という意味に転じていったことが強く示唆されます。
  強調や特定、確信の概念と強く結びついた音節「コ」[ko]と、桶状構造を意味する音節「ケ」[ke]を組み合わせて発声される「苔(こけ)」の名称[ko-ke]は、葉状体と呼ばれる平らな器官の上に無性生殖のための杯状体と呼ばれる”極めて小さい桶”状の器官を多数形成する「ゼニゴケ」の特徴的な形態から名付けられたと考えられます。

・【ホコラ】【ヤシロ】【ヤシキ】【クラ】

  同じようなモノなのに、その現代語での区別がとても怪しい解釈に基づいている「社(やしろ)」[ya-shi-lo]と「祠(ほこら)」[ho-ko-la]です。俗説では、大きいのがヤシロで小さいのがホコラである...とか、ホコラはホクラ(神庫、宝倉)より転じた語である...とか、またまた怪しさ満載です。
  早速、これらの語の起源を解き明かしてみましょう。冒頭で触れましたとおり、「ヤ」[ya]は「家屋/矢」の「三角形/錐形」を意味することが解き明かされました。「シ」[shi]は「広がり」、「ロ」[lo]は「岩盤/岩塊」を意味しますので、ヤシロの語源は「広い岩盤上の建物」あるいは「岩盤上に広がる建物」であることがわかります。つまり、「ヤシロ」は礎石上に建てられた建造物の呼び名だと考えられます。礎石が用いられる以前の、竪穴住居や掘立柱建物のように「木」を基礎に用いた建物を、「建造物+広がる+木」すなわち「ヤシキ」と表現したこととの対比の意味があったのでしょう。
  一方、「ホ」[ho]は「突起物」を意味すると考えられ、「コ」[ko]は英語ならvery, just, precisely, exactly, right, thisに相当する「とても/まさに/たしかに/じつに/〜べき」等の強調や確信を意味する音節で、「ラ」[la]は「空間/空気/気体」を意味すると考えられますので、これらを連ねた[ho-ko-la]は「まさに突起物のための空間」 ということです。つまり、ホコラは「専ら石神(石棒)を祀るべき空間/建造物」であることが解ります。今では希少な存在になってしまっていますが、神社の摂社や道祖神、馬頭観音と共に辛うじて残っている石神を祀った祠の姿と矛盾しません。

・【モガリ】【ノベオクリ】

  モガリ[mo-ga-li]とノベオクリ[no-be-o-ku-li]の語源を解き明かします。まず、葬式の古語「モガリ(殯)」を音節に分解して、各音節の意味をみてみると、[mo]=「地下」、[ga]=「屈む」、[li]=「堆積」を連ねて「屈葬(墓)」を表していることがわかります。先史時代に多く用いられた、手足を折り曲げた体勢で地中に埋葬する方法です。母胎内の胎児の姿勢を模したモノではないかという考えなど、諸説があります。近代まで用いられていた樽状の座棺に入れて葬る手法も屈葬の類型でしょう。

  葬祭に関わる儀式に「野辺送り(のべおくり)」があります。現代では葬列のことを指します。「野辺」が埋葬地を指すと認識されているので、その地まで「送る」行為と思われているからです。ところが、[be]は「潰す」を意味する音節です。[no]は「野/野原」で、[be]は「潰す」、[o]は「大きい/多い」を意味します。[ku]は「食う/食べ物」、[li]は「堆積/積み重ね」です。「オクリ」を現代語でいうところの「送り」と考えず、「ノベオクリ」全体をひとつながりの文章的な表現と考えてみます。すると、「野で潰したものを大きい/多くのものが喰って埋られる」ことを意味するのだとわかります。縄文から弥生期に行われた”再葬”の前過程「鳥葬/風葬」の作業内容を記述していると考えられます。京都の清水寺の隣接地には、その名が鳥葬との関わりを推察させる「鳥辺野/鳥部野(とりべの)」[to-li-be-no]と呼ばれた埋葬地がありました。

・【キサラギ】

  陰暦の2月を意味する「如月(きさらぎ)」の語源について、広く知られた”「着物を更に着る季節」の意味の「衣更着」だ”という俗説があります。”まだ寒さの残っている季節なので頻繁に衣替えする(あるいは重ね着する)”という解釈は、個人の嗜好や判断に依存する行為に基づいていて、季節の表現として必要な普遍性がなく不自然です。そもそも古代には個々人の衣類の所有状況は大きく異なっていたはず です。さまざまな環境に影響される行為には普遍性が無いと言わざるを得ません。
  さて、語尾の音節「ギ」[gi]は禾(のぎ)のような涙滴状の形状を意味内容とし、植物の葉芽や花芽、イネ科植物の穂を表現している音節と解せます。「キ」[ki]は「木 /樹木/樹木様の直立するもの」、「サ」[sa]は「上がる/登る/差し出す」、「ラ」[la]は「空気/気体/空間」を意味内容とする音節ですから、この語全体を音節の意味で読み解いてみると「木/苗+登る+空中+芽/穂」ということになります。意訳すれば「芽生え/出穂(しゅっすい)」の時期ということでしょう。食物の収穫に直結する植物の成長に関わる変化を季節の名とすることには普遍性が有り、季節の認識の共有はコミュニティーの政治的な要求にも応え得る言語表現であるといえます。

・【ヒジリ】

  「聖(ひじり)」[hi-ji-li]という語は、「掌(てのひら)」を意味する音節[hi]と「静止状態」を表す音節[ji]に、「重ねる」ことを意味する音節[li]を連ねて構成されています。「掌をジッと重ねる」という意味と解せます。手指を折り曲げるか伸ばすかに関わらず、現代でも、種々の文化的な背景をもつ人々が何かを祈ったり願ったりするときに掌と掌を重ねます。多くの古代文明の遺物の絵画や彫像に「合掌」していると思われる描写が認められます。先史時代から人類の思念に密接に結びついてきた行為であると考えられ、この行為を表現した発声[hi-ji-li]が、神聖視される物や人物、行為を表す語として継承されているのだと考えられます。

・【ホ】【ホフリ】

  屠畜を意味する語の「屠り(ほふり)」は、「突起物」特に狭義で「石棒や独鈷石」等を意味すると考えられる[ho]と、「踏む/押し付ける」を意味する[fu]、「重ねる」 を意味する[li]を連ねて「石棒を振り降ろす」ことを意味していると考えられます。縄 文遺跡から発掘される大型石棒の殆どが炙られ破損している事実は、石棒類が屠畜/食肉処理関連のために使用された道具であったことを示唆しています。この語源は、現代でも家畜の食肉処理を意味する俗語「ツブス」にも通じています。

・【マレ】【ホマレ】

  縄文遺跡から発掘される石棒と同様の石神は近代まで民間で崇められていました。現代化の風潮の中で打ち捨てられる等して、今では稀な存在になっている石棒[ho]ですが、「地/鉱物+集束」を意味する音節で構成される「稀」[ma-le]の語源 は「柱状節理」であると考えられます。高千穂や東尋坊等、現代でも観光名所にな っていることが多いこの稀な地形は、人々の「誉」[ho-ma-le]であったことでしょう。
  「石棒状の岩が多数束ねられた」構造の柱状節理は「稀」で「誉」だったわけです。

・【ホトケ】

  「仏(ほとけ)」[ho-to-ke]という言葉は、仏教の開祖の人物「ゴータマ・シッダールタ(紀元前5~7世紀?)」つまりブッダを指したり、仏教に関連した偶像を意味する場合もあれば、ひろく故人を意味する場合もあります。日本への仏教の伝来時期はザックリと紀元後5~6世紀と考えられますが、「ホトケ」という語は、仏教用語などのサンスクリット語を起源としてはいないヤマトコトバと考えてよいでしょう。早速、日本祖語のレキシコンを元に語源を解読してみることにします。
  この語を構成する音節[ho+to+ke]のセマンティックをそれぞれ連ねると「突起物+平坦地+桶」です。一つ目の音節と対応する概念「突起物」に対して、多用される言語的意味は「石棒(石神)」ですので、「ホトケ」の語源のあり得る解釈としては、物理的な配置を上から順に「石棒があり、その下に地面があり、その下に桶がある」を表していると考えられます。つまり、"石棒"は環状列石などで墓標として用いられた「立石」であって、地面の下にある"桶"は「棺桶」でしょうから、合理的な理解としては、「ホトケ」は「墓所」を表していた語であると考えて良さそうです。

*擬音語でもなければ擬態語でもなかったオノマトペ

  擬態語や擬音語、最近はオノマトペと言ったほうが馴染みがあるかもしれませ ん。幼児向けの教育コンテンツでも盛んに取り上げられる様になってきています。
本研究では、日本で口頭伝承されてきたオノマトペの多くが具体的な意味内容を持つ言葉である例が次々と示されています。本記事でも、日本語のオノマトペの多くが確定的な意味内容を持つ言語表現であり、人間の感性と語感が結び付くことで出来たのでは”ない”ことがハッキリわかる例を見てみることにします。

・【スイスイ】【フワフワ】

  まず挙げる例は「スイスイ」です。魚のように滑らかに、上手に泳ぐ様子を表現するときに用いられます。水泳に伴って発生する音を真似た擬音語でないことは明らかです。一方、泳ぐ状態を真似た擬態語と解釈されてきた根拠は何かと問われ ると、日本語に親しんだ話者の多くは「上手に泳ぐイメージに合っているから」と考えることでしょう。漢字”水”の音読み「すい」や、英単語”swim/swimming”の日本語訛り「スイム/スイミング」にも通じるので尚更です。
  [su]と[i]の二つの音節を並べて繰り返して発せられる声が与える”語感”は上手な水泳と”感性”で結び付いているのでしょうか?単に日本語話者の幼児期からの学習プロセスで刷り込まれたイメージにすぎないのではないでしょうか?「フワフワ」、「スクスク」、「ガタガタ」、「フラフラ」、「ガミガミ」...他の多数のオノマトペと同様に、厳格な言語的意味を直接言い表した語である匂いがプンプンします。
  早速、本研究で得られた”辞書=レキシコン”で解読してみます。「スクスク」にも現れる音節[su]は「消失/消去/不可視(化)/透明」を意味します。「スッと消える」がプロト言語と現代語の二重表現であると考えると、この音節の原始言語としての意味がわかり易いのではないでしょうか。音節[i]は「発現/出現」を意味するので、これらを組み合わせた「スイスイ」の意味が「消える+現れる+消える+現れる」であることが分かります。つまり、息継ぎの度に水面から頭が現れては水面下に消えることを繰り返す様を表しているのです。いわゆる”バタ足”のように「バタバタ」あるいは「バシャバシャ」と水しぶきを上げる様子ではなく、滑らかに泳ぐ様を水上からの視線で的確に客観的に描写していることが分かります。

  擬態語やオノマトペと言うと、すぐ思い浮かぶものの一つに「フワフワ」があります。復元力がありながらも柔らかな羽毛や羊毛などの優しい手触りを表現したり、浮力を持ったものが空中に浮かんだり漂ったりする様子やスポンジ状の物体の弾性を表現するときに用いられる擬態語であると信じられてきました。
  本記事で記す理論が著されるまで、このようなオノマトペは語感に基づいて発声の選択がなされた結果であって、表現されるモノの物理的な特性を表現する”感 性”の発現であるというような解釈がまかり通ってきました。
  日本語を使い慣れている人にとっては、そもそもフワフワな触感や視覚的な印 象と「フワフワ」という発声が直接結びついて脳に刷り込まれているので、このような誤解を生んできたのだと思います。フワフワに限らず、日本語のオノマトペを用いた言語表現は対象の物性に対する感性の発露であるという認識が全くの誤解である事は、本研究で得られた”音節の辞書(レキシコン)”を用いれば簡単にわかります。
  日本語の音韻に関係する学界では、音韻とオノマトペの与える感覚との相関を探る研究が多数なされています。残念ながら、このようなアカデミズムからの"語感によって作られたオノマトペ"の喧伝は、日本語のオノマトペ=擬態語/擬音語という誤った図式の補強に大きな影を落としているといえます。これらの研究成果は、本来定義されていたオノマトペを構成する各音節のセマンティックを、現代語でオノマトペが使用される状況から想起されるイメージや感情(つまり語感)を通して間接的に見ていたわけです。ある程度の相関関係が見出されるのは当然でしょう。にもかかわらず、音韻のイメージとオノマトペの語の構成の相関を見出したのだと喧伝するような、大きな過ちを犯してしまったわけです。オノマトペを構成する音節のセマンティックは、あくまで確定的です。
  「フワフワ」[fu-wa-fu-wa]を構成する2つの音節[fu]と[wa]のプロト言語としての意味内容は、それぞれ「踏む/押し付ける」と「割れ目/裂け目/掘り/溝/割る/破れる」です。つまり、「フワ」の言語としての意味は「溝を踏む」であることが解ります。歩いているときに溝の存在に気づかずに踏み込めば、当然、フワッと宙を踏むような浮遊感とともに落下しますね。

・【バタバタ】【バサバサ】

  「バタバタ」[ba-ta-ba-ta]を構成する一つ目の音節[ba]は「拡散/撒き散らし/放出/ばら撒き」を意味内容とすると考えられます。植物の「荊/茨/薔薇(いばら)」や「ばら撒き」にある「バラ」[ba-la]の「バ」[ba]で、一見すると擬音語の様に用いられる「バッと〜する」も同源と考えてよいでしょう。二つ目の音節[ta]は「掲げる/挙げる」という意味ですから、二つの音節を連ねた[ba-ta]は「(シブキを)撒き散らす+(手/足を)挙げる」を表現していることがわかります。「バシャバシャ」は、水のシブキが迸り舞い上がる様を表した音節「サ」を用いた「バサバサ」と同一だと考えられ、「(シブキを)撒き散らす+舞い上げる」を表現していることがわかります。
  「(イ)バラ」では、「気体/空間」を意味する[la]が薔薇の花が持つ強い「芳香」を表現していると考えられます。[ba]と組み合わされて「強い芳香を放つ(もの)」の名称としていると考えると合理的です。同じ音節を用いた表現でも、繰り返すことで構成される「バラバラ」[ba-la-ba-la]では、音節[la]は「空中/空間」を指し、語としての意味は「空中や辺り一面に撒き散らす」がオリジナルであったと考えられます。語頭に音節「イ」[i]が付く場合も付かない場合も、ともに「薔薇/荊」を意味する訳は、この「発生/発現」を意味する音節が、単に「バラ撒く」意味の強調に用いられていることに起因していると考えられます。
  オノマトペだと信じられていたこれらの語も、また、言語としての厳密な意味を持つ文章的な表現であることが示されました。

・【クラクラ】【フラフラ】

  オノマトペの「クラクラ」と「フラフラ」は、似ているようで、日常会話でも明確に使い分けられています。これらの語も、慣用的な表現として伝承されている一方で、そもそも”語感”というか”音感”で特定の音韻が選択されて作られた語だと信じていた人は多いのではないでしょうか。
  しかし、[ku]=「食べる/食べ物」、[la]=「空気/気体/空間」という厳格な意味内容が定義されたプロト言語によって、[ku-la-ku-la]が「空気を喰らう」つまり「口をパクパク喘ぐ」を意味することがわかった今、”音感”や”語感”で選択されて作られた語ではないことが明らかになりました。
  フラフラ=[fu-la-fu-la]の一つ目の音節[fu]は「フワフワ」のフと同じ「踏む/押し付ける」で、二つ目の音節[la]の意味内容はクラクラのラと同じ「空気/空間/気体」ですから、「フラフラ」は「空気(空間)を踏む」です。千鳥足でフラフラ歩く様は確かに宙を踏むという言語表現は的確だと思います。
  慣用的な表現として根付くと同時に、移入民族の言語表現との相互作用を経て、原始言語の意味が忘れ去られるなかで、日本語を話す民族の”語感”を醸成する元になった事実も封じ込められて、現在の”感性の発露としてのオノマトペ”という大きな誤解が定着したのだと思われます。

・【ズタズタ】【スクスク】

  シート状のものを引き裂く行為を表現するときによく用いられる擬態語と信じられてきた表現に「ズタズタ」があります。
  紙などを「ズタズタ」に引き裂く時の手順を想像してみます。一方の手で、紙の端辺上にある引き裂き始めたい箇所のすぐ横をつまみ、持ち上げます。もう一方 の手で同じ端辺上の引き裂き始めたい個所を挟んだすぐ脇をつまみます。次に、一方の手を下向きにさげ、同時に他方の手を持ち上げます。「ズタズタ」は、この動 作すなわち手を「下垂状態」=[zu]にすると同時に「持ち上げる」=[ta]ことを表現した語だったことがわかります。

  日本語には豊富な擬態語があると言われてきました。”擬態”とは言っても擬音 語とは異なって”真似る”わけでもなければ”似せている”わけでもないのに”擬”と表現するのは妙な話です。他の項にも記したように、物事の状態に対する人間の”感性”と”語感”が結び付いてオノマトペができたのでは”ない”ことが本記事で記す研究で明らかになってきました。
  ここで取り上げる「スクスク」は、子供が健やかに急成長する様を表現するときに用いられますが、当然、子供が成長する際の音を真似たのでもなければ、観察 すべき過程も長時間に及ぶので、擬音や擬態と考えるのにはそもそも無理ある”オノマトペとされてきた語”の代表的なものの一つです。
  ここでも、本研究で得られた”音節の辞書(レキシコン)”を用いれば簡単にわか りますので、早速本来の言葉としての意味すなわち語源を解読してみましょう。音 節[su]のプロト言語としての意味内容は「消失/消去/不可視(化)/透明」です。もう 一方の音節[ku]は「食べる/食べ物」ですので、これらを組み合わせた「スクスク」 の意味は「消失+食物」、つまり意訳すれば「食べ物を消費する」であることがわかります。食べ物をパクパク食べることと子供の成長が早いことを関連付けた結果であることが明確に示されました。

・【ムカムカ】【ムラムラ】【イライラ】

  憤怒を抱いた状態に用いる「ムカムカ」[mu-ka-mu-ka]や、劣情を抱いた状態に対して用いる「ムラムラ」[mu-la-mu-la]、また、焦燥や苛立ちを抱いた状態に用いる「 イライラ」[i-la-i-la]は、拍動を意味する[mu]や発現を意味する[i]に、不快感を意味する[ka]や、空気を意味する[la]を組み合わされた表現です。それぞれ「ムカムカ」は 「拍動(心拍)と不快感」、「ムラムラ」は「拍動と荒い息遣い(鼻息?)」、「イライラ」は「荒い息遣い(溜息/嘆息)が出る」という生理反応を具体的に表現したものであることがわかります。

・【ガタガタ】【スカスカ】

  ここまで述べてきた様に、音感が感覚的に事物の様子を表すのにふさわしいか ら選択適用されていると思われてきた擬態語の音韻が、実は確たる言語的意味内容を持った単語を構成しているのだということが分かってきました。
  一方で、擬音語はどうでしょうか?擬音というからには、当然、物(生物)が発す る音(鳴き声)を模倣して、特定の音韻を選択しているのだろうと思われてきました。 ところが、「ガタガタ」や「スカスカ」をプロト言語で解読してみると...
これらの語を構成する音節は [ga]=「屈む/前屈」、[ta]=「持ち上げ/掲げ」、 [su]=「消失/不可視」、[ka]=「苦難/辛苦/失望」なので、「ガタガタ」は「体を倒したり起こしたりを繰り返すこと」で、「スカスカ」は「無くてガッカリ...」という意味内容を、それぞれを確定的に表現していることがわかります。
  同じ音節「ス」と「カ」を用いたオノマトペでも、爽やかな気分を表現するときに用いる「スカッと」では、苦難を意味する音節[ka]は、消失を表す音節[su]の目的語のように用いられて、「つらいことの解消」を意味内容とする語を構成しているのがわかると思います。
  「奥歯ガタガタ言わせたる!」や「何ガタガタぬかしとるんぢゃぁ、ボケェ!」あたりの表現から刷り込まれたのでしょうか?これらの語は”擬音”ですらなかったのです。すっかり音を模倣した語と誤解されてきたのですが、確かに奥歯が「ガタガタ」音を立てたことはありませんし、「ガタガタ」話している人に出会ったこともありません。


つづく



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