見出し画像

おじさん「PROTEAN HIRO」の誕生!

41年間勤めた会社をいよいよ退職する日が来ました。60歳で定年となり、3年間の再雇用を経て、4/1付けで再雇用満了退職いたしました。

再雇用を2年早く切り上げた理由


本来ならば、あと2年再雇用を続けることができるのですが、以下の理由で早めに切り上げることにしました。

  • やりたいことが多すぎて、8時間の会社生活と両立できない

  • まだ、同期の人たちが出向や再雇用で活躍中であり、仕事をする際に彼らに頼ることができるかもしれない

  • 63歳から年金がもらえる

退職前の3ヶ月


退職を4/1に控え、有給休暇が3年分の60日間残っていたので、これを全て消化することにしました。「毎日が日曜日」の事前練習です。

暇かと思い、色々な資格や講座に申し込んだのですが、必要時間と可処分時間の計算を全くしていなかったため、仕事をしている時よりもはるかに忙しい日々を過ごしました。結果として、どれも中途半端に終わってしまいました。

大きく違ったことは、スケジュールが白紙状態の中で自分で主体的に埋めることです。現役時代は、トイレに行く暇もないほど会議スケジュールが入っていたこともあったのですが、いざ、自分で埋めることになるとなかなか馴染めません。

時間管理が全くうまくできないことから、30年以上使っているフランクリン手帳の使い方を勉強しなおしたり、樺澤紫苑先生の「神・時間術」を読んだりと色々試しました。

退職までの最後の1週間


4/1(金)付けでの退職でしたが、それまでの1週間は怒涛に飲み込まれるような日々でした。

3/23(水)自分の属する部での挨拶
コロナ禍で部員全員(約150名)が集まることはこの2年間全くありませんでした。それゆえ、退職者がいても全員の前で挨拶をするといったイベントは物理的にはできません。また送別会もありません。この日は、わざわざ出社してくれたグループ員10名ほどとのランチ会。そして、TEAMSによるオンラインでの部内会議で紹介され、挨拶をしました。

その後、出社している40名ほどの部員と記念撮影、お決まりの花束贈呈式。同時にWEBで集めた寄せ書き集をいただきました。100名以上の人からの寄せ書きでしたが、半分ぐらいの人が「いつも笑顔で接してくれて嬉しかった」と書いてくれました。自分自身は全く意識していなかったのですが、学生時代のアメリカ留学時につけられたニックネームの「スマイリーヒロユキ」が40年以上続いていたのだと、改めて気付かされました。

TEAMSでの部内会議とは別に、退職者に45分の時間が与えられ、ベテランの「語り部の会」が開かれます。この日、41年間の会社生活を振り返り、自分自身が学んだことや後輩に伝えたいことなどをパワーポイントで発表しました。

3/28(月)本社での感謝状贈呈式
大きな会社ですが、退職の際に会社のトップから直接感謝状をいただくという昔ながらのよき風習が残っています。コロナ禍のため、人数を絞って何回かに分けて実施されているようです。

そんな一生に一度の大行事なのに、私は大きなミスを犯しました。それは、通勤にかかる時間を読み違えて、危うく遅刻することになったのです。自宅から本社までは45km。昔は地道しかなく1時間半はかかる道でした。今は、高速道路が発達したため40分弱で行くことができます。日頃は、名古屋の支社にパーク&ライドで通っており、車で本社に向かうことは滅多にありません。

感謝状贈呈式の日、余裕を持って開始の1時間半前に家を出ました。ところが、いつもならば5分以内で行ける最寄りのインターチェンジまでの道に大型トラックが数珠つなり。これは、高速道路の発展により、近隣が物流センター化して多くのトラックが集まるのと、物流拠点の建設ラッシュが起こっているためです。やむを得ず迂回していくも、渋滞は他でもありました。トップからの感謝状贈呈式に遅刻するという会社人生最大の過ちを最後に犯すのかとヒヤヒヤドキドキでした。結局、開始の5分前に待合室に到着。ずいぶん前から待っていたと思われる他の参加者からの冷たい視線を感じました。

贈呈式自体は、とてもフレンドリーなものでした。トップ役員3名が参加されたのですが、どの役員も自分との仕事の関わりがある方で、和やかな会話ができました。そして、いただいた感謝状は、同僚たちに私のエピソードをヒアリングした上で書かれたもので、それを会社のトップが読み上げていただいたので、感動もひとしおです。

その後、私が41年前に広報部員として配属された本社の展示場に行って記念写真を撮りました。その写真を撮ってくれたのが、その部署の新人の女性。私の仕事のバトンタッチをしたことになり、何か奇跡のようなものを感じました。

3/30(水)最終出社日
この日は、もう一回分用意してもらった「語り部の会」で、部員のキャリアを考えてもらうための「プロティアンキャリアについて」のプレゼンを実施することでした。若い部員たちにはあまりピンと来なかったようですが、年の近い人たちが、自分達のキャリアについて今後相談したいと言ってくれました。

あとは特にイベントもなく、関係者への最後のお礼のメッセージメールを書き、出社している同僚たちと最後の会話を交わすだけの淡々とした日でした。最後に、従業員証を返却する際に特に親しい同僚たちが、エレベーターに乗るまで見送ってくれたことがとても印象に残りました。

4/1(金)退職日
この日は、会社に行くわけでもなく、4/5(火)に予定されている引越しに向けて家財の箱詰めをしていました。退職絡みの準備・イベント等で全く準備ができておらず、悲壮な思いで取り組みました。30年前に7人が住む二世帯住宅として、大工の棟梁をしていた父に私が資金を出して建てもらった田舎の純和風建築です。両親が他界し、2人の子供が外に出てしまったので、もう少しコンパクトな終の住処に引っ越すことにしたのです。

夕方になって眩暈がし、妻に救急外来に連れて行ってもらいました。「41年働いた後の最初の日に脳梗塞か」と一瞬不安がよぎりました。レントゲン・CT・MRIの3点セットで検査をしたのですが、結局原因はわかりませんでした。退職前のプレゼン準備、他のセミナーの宿題等で夜遅くまでPCに向かっていて、睡眠時間が毎日3時間ぐらいしか取れなかったことが遠因なのだとは思います。検査を終え、特に問題がないと分かったのは深夜。健康保険証を返却してしまったので、全額自費負担で5万円弱を払って帰宅しました。

結構、とんでもない会社員としての最後の1週間を過ごしました。でも何となく、私の会社生活を早送りで再現したような感じでした。

4/2(土)PROTEAN HIRO 誕生!
この日から、フリーランスの個人事業主として出発です。7つの仕事の顔と7つの趣味の顔を持つおじさんプロティアンの「PROTEAN HIRO」として、このnoteで活動報告をしたいと思っています。

ちなみに仕事は、①改善コンサルタント ②キャリアコンサルタント ③英語教師・翻訳・通訳 ④日本語教師 ⑤写真家 ⑥キャンピングカーシェア ⑦個人投資家、等々です。

趣味は、①写真 ②旅行 ③マラソン ④山歩き ⑤自転車 ⑥読書 ⑦カラオケです。他にもたくさんありますが、とりあえずこのあたりに集中しようと思っています。

退職後の決意


3ヶ月間の退職インターンでの経験を踏まえ、今後以下の心構えで臨みたいと思っています。
・家族を何よりも大切に。妻と子供たちとの会話をできる限り増やす
・朝型に切り替え、午前中に企画やアウトプットを行う
・約束時間にはできる限り1時間前に到着して、心の余裕をもつ
・人に任せられることは任せ、自分にしかできないことに集中する
・自分の仕事のプロセス改善を実施。特に徹底したDX化を行う
・資格試験・セミナーは、「やってみたい」や「見栄」ではなく、PROTEAN HIROの戦闘力を高めるものだけに集中
・「いつ死んでも後悔のない人生」を送る

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございます。折々、コメント・アドバイス等いただければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?