精神科病院で泥棒を捕まえた話

 いずれ精神科病院に入院していたころの愉快な面々の話は別に書こうと思うのだが、まずは泥棒を捕まえた話をしようと思う。
 その前に、最近はわざわざ精神科病院と「科」を入れないといけないのが何ともむずがゆいところだ。入院していた者としては「精神病院」で全然構わないし、「科」を入れたところで何が変わるというのだ。全く面倒な世の中になったものだ。

入院生活

 私にとっての2度目の精神科病院への入院は、4人部屋での生活だった。最長90日間の急性期病棟への入院の理由は、休職中に生活リズムを崩さないことと、服薬管理をしてもらいたいからだった。結局この病院では私の服薬は自己管理ということになったが、まあそれはいい。
 入院生活が始まって割とすぐに、新型コロナウイルス感染症が流行し始めた。楽しみにしていたクラシックのコンサートがお流れになり、精神的なダメージを負った。病棟での面会も禁止されたが、まだ病棟外で誰かと会うことについては比較的寛容だったので、病院の1階のホールとか、病院外の喫茶店などで妻と会うことができた。
 入院生活では、運動量が落ちて肥満が進むおそれがあったので、散歩をするようにしていた。病棟は5階にあったのだが、エレベーターを使わずに階段で1階まで降り、病院裏の駐車場が病棟5階分くらいの坂になっているのでそこを昇り降りし、また階段を使って病棟に戻る、というのを午前・午後と1回ずつやった。普段運動する習慣がある人間ではなかったので、なかなかにきつかったし、冬だというのに汗だくになって帰ってくるのにも閉口した。この病院ではシャワー室を予約すれば毎日でも好きに使えるので、このような運動をすることもできた。
 あとは自分のスペースにこもり、漢和辞典を片手に漢字を分類する作業に明け暮れた。友人の医師にこのことを話したら「全然興味がなさすぎる」と言われたので詳細は割愛するが、多分一番効率よく漢字が覚えられる方法だ。よく使いそうな漢字約3,850字の読みとピンインをスマホを使ってスプレッドシートに落とし込む作業は入院中でなければできなかったろう。全然興味がなさすぎると思うが。
 「○○さんってストイックですよねー」と看護師に言われたのが強烈に印象に残っている。そんなこと言われたのはこのときが初めてだったからだ。

押し寄せてくるコロナの波

 新型コロナウイルス感染症を甘く見ていた私は、「どうせみんな感染して、それが一周したら終わりでしょ」くらいに思っていたのだが、コロナの感染が次第に深刻になっていくと、病院の警戒態勢も強くなっていき、まず外出が制限されるようになり、毎日の散歩も「ストレスが溜まってどうにもならなくなったとき」以外は自粛するよう要請された。
 外出届さえ出せば外出は比較的自由で、病院のバスで街まで行き、そこから地下鉄に乗って繁華街のラーメン屋でニンニクをたっぷりきかせたラーメンを食べてくるなどということも可能だったのだが、よほどの理由がなければ外出は禁止になった。
 院内外での面会も禁止され、必要なものは妻にレターパックで送ってもらうという生活がしばらく続いた。
 いきおい、部屋に閉じこもって過ごす時間が増えた。部屋を出るのは主に作業療法の時間だけで、人とのコミュニケーションに難がある私はデイルームに出て過ごすこともなかった。テレビはデイルームにしかなかったが、NHKの朝ドラは妻がタブレットで撮影したものをUSBメモリで送ってくれた。
 このころ、4人部屋はひとりが退院して私と、Mさんという年配の方が隣にいるだけだった。

アイツがやってきた

 そんなある日のこと。われわれの4人部屋にDという男がやってきた。個室から移ってきたようだが、看護師の「何かお困りのことはありませんか」の問いに「寒い」と答えた。私にとっては軽装でも十分暖かい部屋だったが、Dの訴えにより空調の設定温度が上げられ、病室は猛暑となった。暑くて暑くてたまらなかったが、こちらの言い分だけを通すわけにもいかない。病室よりも涼しいデイルームでDがTシャツ一枚でテレビを見ていたときにはさすがに軽く殺意が湧いたが、そのうち「いくらなんでも暑すぎる、何とかしてくれ」とこちらが訴え出て、設定温度は下げてもらった。それにDが気付いた様子はなかった。
 そして、Dがぼちぼち退院ですね、という話が聞こえ始めた。

たまたま

 Dの退院が目前に迫ったある日のこと。私はいつものように漢和辞典片手に漢字の分類作業に明け暮れていた。いつもはイヤホンでスマホから音楽を聴きながらやっているのだが、なぜかは今でもわからないが、たまたまその日は音楽を聴かずに作業していた。
 すると、隣のMさんのスペースからかすかにカーテンを動かす音が聞こえた。Mさんは週に二度の入浴介助の日で、入浴に行っている。そしてMさんはカーテンを勢いよくサッと開け閉めする癖のある人なので、これはMさんが帰ってきた音ではない。
 変だと思った私は、Mさんのスペースを見に行った。するとそこにはDがいて、Mさんの床頭台の引き出しを開け、財布から一万円札を抜き取ろうとしていたところだった。
 「何してるんですか?」と声を掛けると、札を財布に戻し、引き出しを閉め、「いやいや、まあまあ」とか何とか言いながら自分のスペースへと戻って行った。とりあえず未遂に終わったことだし、事を荒立てることもなくその場は収めたのだが、その数分後。
 Dのスペースのカーテンが少し音を立て、再びMさんのスペースのカーテンが少し音を立てた。私はすぐMさんのスペースに向かうと、Dがそこでキョロキョロ見回しているところだった。「だから何してるんですか! 看護師さんに言いますよ」と言うと、Dはまた自分のスペースへと戻って行った。
 私はそれから、2通のメモを書いた。1通はMさんに対して。「泥棒に遭いそうになってるから、入浴の際は床頭台の鍵を必ずかけて」と。1通は看護師に対して。「あとで話があるから呼んでくれ」と。いずれも声に出して言えばこちらの動きがDにバレてしまう。仮にスタッフに事実を告げたとしても、ここは精神科病院。Dにそれは私の妄想だ、嘘だと主張されては意味がない。密かに事実を告げ、現行犯を押さえるしか方法はないのだ。
 Mさんが入浴から戻ったら静かにメモを渡し、検温に回ってきた看護師(主任さんだった)に無言でメモを渡した。

報告

 スタッフの仕事も忙しく、なかなか話をする時間を取ってもらえずやきもきしたが、詰所にこちらから顔を出して、主任さんと話をする場を設けてもらった。
 かくかくしかじか、こういうことがあった。ついては、看護助手が入浴の迎えに来るときは静かに連れて行くか、床頭台に鍵をかけたことを確認させてくれ、と注文もつけた。
 主任さんは「事件の報告をしてくれるばかりでなく、解決策まで考えてくれるなんて、どうしてですか?」と聞かれたが、せっかくMさんも週2回の入浴を楽しみにしているだろうから、その入浴の隙に泥棒にあったらかわいそうだからとか何とか答えておいた。自衛策を用意するのは当然のことだと思っていたから、理由を聞かれて逆に困った。
 その夜は、泥棒と同じ部屋で寝ることになる。Dに夜中に首でも絞められるのではないかと正直私は怖かったが、入院中一番ぐっすり寝られたのは、なんとその晩だった。

決着のとき

 次の日。Dからすれば退院の前日だ。だから、まさか泥棒などするまいと考えていた。Mさんの入浴もその日はないし、その機会もないだろうと。
 午後のことだ。Mさんのところに作業療法士のTさんがやってきて、廊下の手すりを使って歩行訓練を始めた。そして、私にはシャワー室の予約時間がやってきた。いつものようにバスタオルと風呂道具を持ってシャワー室に向かうと、部屋の入り口で部屋に戻ってきたDとすれ違ってしまったのだ。
 一瞬マズいと思ったが、Dと鉢合わせしたからきびすを返すなどという行動をしていては、却って一悶着の原因にもなりかねない。私は急ぎ足で脱衣室に風呂道具を置き、誰が見ているわけでもないのに風呂道具の点検をした。そして大事なものを忘れたというていで、脱衣室を出た。はやる気持ちを落ち着かせながら、部屋に向かう。Mさんは作業療法士のTさんと訓練中だ。
 そして部屋に入ったそのとき、案の定というか、DはMさんのスペースの中にいた。
 私は外にいる作業療法士のTさんに聞こえるように、「何してるんですか!」と大声を出した。Dが出てこようとするので、そこに立ちはだかるようにして、「今ここから出てきましたよね!」というと、作業療法士のTさんが「ここから出てきましたよね! 出てきましたよね!」と加勢してくれ、「看護師さ~ん」とステーションまでスタコラサッサと駈けていった。
 温厚なMさんが「ふざけるなよ、この野郎!」とDに向かって怒鳴っている。あ、この人怒るんだ。
 現行犯の現場をスタッフに押さえてもらった私の役目は終わったと思い、そのままシャワー室に向かった。シャワーの時間が無くなってしまっては困る。

 私がシャワー室から戻ってきたときには、Dは荷作りをさせられているところだった。明日までおとなしくしていれば普通の退院だったのに、強制退院を喰らうとは、みじめなものだ。家族にはどう説明するのだろう。

 Dが退院していったあと、Mさんや看護師と話したところによれば、なんだかガタガタと不審な音がするのは作業療法士のTさんも気付いていたのだそう(ガタガタと不審な音がしたのはMさんが床頭台に鍵をかけていたかららしい)。訓練中でMさんの体を支えているので手が離せない時に、私が戻ってきたということのようだ。主治医は「あー、退院だ退院!」と即決、事件から1時間もしないうちにDは姿を消した。

 この病院のスタッフの連携にも頭が下がる思いだ。いち病人の与太話かもしれないのに、それをきちんとスタッフ間で共有してくれていた。それが作業療法士のTさんの警戒につながり、Dの強制退院の即決につながった。見事なチームワークだ。

終わりに

 Mさんは私よりも数日早く病院を退院していった。「いろいろあったけど、良かったですね」と声を掛けてMさんを見送った。Mさんは息子さんと一緒に笑顔で病院をあとにした。

 私はその後も日々の日課を勤め上げ、退院の日を迎えた。いろいろなことがあった入院生活だったが、この入院期間中に当時の職場でしてきたことと自分の気持ちをテキストにまとめあげ、気持ちの整理をすることができ、無事に職場を辞める決心ができた。

 その後のことは、こちらの記事にまとめてある。

 病院での日々は決して無駄な日々ではなく、意義のあるものになった。今でも病院の主治医やスタッフには感謝の気持ちでいっぱいだ。そして上記の記事に書いたように、私には素敵な後日談が生まれた。さらに、会社を辞めたことに関しては、もう一つ素敵な後日談があるのだが、それはまた稿を改めて紹介したい。

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