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T.S.の足の裏

2020年5月27日現在、完成して公開まで至っているトーク・スクリプツの最新作はVer8.0。「出演待ち」になっている方が5人いて、少なくともVer10.0までは製作の目処が立っています。関係舎は「上演を前提としない演劇ユニット」だったはずなのに、すべて短編とはいえ2か月弱で10本も上演した計算になります。とんだ看板に偽りありだよまったく。

ところで当初から予期していたとおり、オンラインで上演する演劇は「演劇」なのか否か? といった議論が4月の中頃くらいから巻き起こっていますね。伝わりやすさを優先して #リモート演劇 というハッシュタグを名乗っているけれど、僕としてはこれが「演劇である」とも「演劇ではない」とも断言する気にはなれなくて、というか別に演劇だろうが演劇じゃなかろうが作品の価値には微塵も影響しないと思っていて、「できると思えた」「やってみたいと思えた」の二本柱のみで駆動しているプロジェクトなので、基本的に「これは果たして演劇と呼べるのか?」みたいな問いかけには一貫して「うるせえな好きにしろ」の態度を顕わにしていきます。こちとら"正しい演劇史"の手駒で働いてるつもりはないんでね。

劇場でやることを金輪際諦めた結果こうしているわけではないし、ましてや既存の演劇を否定するカウンターとして放ったわけでも勿論ないのです。事態が好転して再び人の足が劇場へ向くようになり、一定水準以上の稼働率で「劇場で見られる演劇」が復活したら、このプロジェクトは役割を終えて無期限休止を迎えることになるでしょう(そうなったら僕の本業も忙しくなるだろうし)。

が、とはいえ現実を見ていると、そんな未来は近くて遠いといった印象です。まだしばらくは作り続ける必要がありそうだし、僕自身これを作ることによって精神の平穏と安定を保ち続けているところがある。そして僕は未開の議場オンラインに関するnoteを読んで「一人勝ちしない」というポリシーに深く共感したので、足の裏を公開しようと決断したのでありました。手の内じゃなくて足の裏としたのは、手の内と呼べるほど手綱をコントロールできているわけじゃなくて、今もなお濃霧の中を裸足で探り探り彷徨い歩いている感覚が強いからです。

人選について

出演者は出演希望フォームから募るようにしており、こちらからのオファーは原則として行っていません(「原則」としたのは一人だけ例外がいるからで、Ver3.0に登場した川峰はる香さんのみ、その直前にいただいた別な連絡のバイタリティ溢れるDMを見た僕が勝手に勇気をもらってお声がけした形になっています)。

出演希望者の採用はほぼ先着順ですが、たとえば昼間しか予定が空かない人と昼間仕事している人を組み合わせても詮無いので、参加できるスケジュールや事情を勘案して多少順番を入れ替える場合もあります。

ストーリーについて

「通話が始まって終わるまで」が基本路線ですが、ものによっては「以前から続いていた通話が終わるまで(Ver5.0)」とか「通話が始まって続いていくさま(Ver8.0)」とか「続いていた通話がそのまま続いていくさま(Ver2.0)」を描いていることもあります。いずれにせよ、ある連続した時間を「通話」にかかわる任意の7~8分間で切り抜いてスクラップブックに貼り付ける、的な感覚で作っています。

どういう話にするかは役者の組み合わせが決まった時点で考えるんですが、内容にかかわらず絶対これだけは譲れないというポイントがあります。それは「大事件を起こさないこと」そして「劇中世界にウイルスを持ち込ませないこと」です。

大事件を起こさない、というのは自身が主催する「架空のプレ稽古」でも再三言ってきたことなので若干説明を端折りますが、ものすごく簡単にいうと「やっぱり猫が好き」とか「くらげが眠るまで」みたいなイメージの、世界観よりも個人にフォーカスを当てて面白味を発掘していくあの感じです(余談ですが「くらげが眠るまで」は傑作なのでみんな見てください、イッセー尾形と永作博美が夫婦を演じる二人芝居です)。ただ、これらの先行作品は僕が以前からずっと影響を受け続けて骨肉となっているというよりは、やっているうちに共通点を見出して徐々に好きになっていったというほうが正しいかもしれません。この本だって最近買った。

フィクションは現実の映し鏡、なんてことをよく言います。コロナ禍が演劇や実写映画など「生身の人間」をメディアとするフィクションに与える影響は絶大で、そもそも人と人との距離が近いことにさえ過剰なほどの「意味」がくっついてきてしまう。だからこそ離れていても会えるZOOMで演劇をやろうという流れになったわけですが、まずZOOMごしに会話をしているだけで「コロナ以降の画」になってしまうし、直接会わない理由・家から出ない理由に整合性をとるためにはコロナ禍について言及せざるを得ない。これは苦しい、現実とは違うことが可能なはずのフィクションまでコロナに侵蝕されるのは我慢がならぬ、というわけで僕の場合は徹底して虚構からウイルスを排除する方向へと舵を切りました。この世界線にはコロナウイルスはもちろんのこと、インフルエンザウイルスも恐らく存在しません。怪我をしたり貧血で倒れたりすることはあるかもしれないが、伝染性のある病気に登場人物が罹患することは決してない…そういう世界を創造し、そして守り通すことに決めたのです。虚構の水際作戦です。

撮影環境について

ZOOM上で会話している画面をそのまま配信するパターンではないため、「通話用」「演出用」「撮影用」と合計3つものデバイスを必要とする点がネックではあります(ネックだという自覚は大いにあります)。多くの場合はPCにインストールしてもらったZOOMで打ち合わせをして、自前のスマートフォンからLINEで電話をかけ、それをiPad等で別アングルから撮影する…という使い分けが主流でした。

リモートワーク全盛期だけあって私用携帯と社用携帯の2台で挑む猛者もいれば、PCが古くてすぐフリーズするとかいったトラブルも結構頻発していて、その都度ああでもないこうでもないと抜け道を探しまくることに。特に、ZOOMの映像をオンにしたままだと動画撮影ができないケースに出くわすと、僕はもう「演出家なのに劇場へ入れてもらえなかった人」の仮装をして10分ただ待つ以外に為す術もなかったんですが、Ver6.0以降は二人の通話をLINEのグループ通話にする(開始キューと同時に自分だけミュートする)ことで少なくとも音声はモニタリングできると発見し、「こうして僕らは一つずつ賢くなっていく…」と成長を実感するのでした。

リップシンク処理について

さて、そうして撮った2つの映像を手元で1つにまとめる作業、こいつが最後に残っています。2人が使う機材のスペックは全然違うので、送られてくる動画の解像度もファイル形式もまちまち。まずは画面サイズを揃え、mp4形式でないものはmp4形式に変換。ここまではいいんです、ここまでは。最大の難関はこのあとの「動画内に流れている時間軸を同じにする」作業です。動画にはタイムスタンプがついていません。撮影開始のボタンを押した時刻も同時ではありません。だから、二人の会話を聞きながらタイミングを揃えて編集を施す必要があります。

具体的にどうやってるかというと、まず片方の動画のボリュームをぐっと上げます。そして電話口から微かに漏れ聞こえてくる相手の声を聞き取ります。たとえば「もしもし」と言ってたら、「もしもし」の「し」言い終わりで映像を止めます。編集ソフトでその位置に目印をつけます。そして今度はもう片方の動画を再生、同じく「もしもし」の「し」言い終わりで停止、さっきの目印に再生位置を合わせます。あとは同時再生と停止をひたすら繰り返しながら、会話のテンポに違和感がなくなるまでミリ秒単位で微調整の繰り返し。

この作業メチャクチャ大変ですけど、実は誰にも手伝わせたくないほどメチャクチャ楽しいのです。ばちっと会話のシンクロがはまった瞬間の喜びは「作品が完成したぞ!」の達成感に直結しているので。

非登場人物紹介

トーク・スクリプツでは毎回、意図的に非登場人物を登場させています(語義矛盾)。二人芝居が二人だけの世界で完結してしまわないように添えるスパイスのようなものですが、これはまあ今までの話に比べたら「おまけのおまけ」みたいな感じなので投げ銭特典にしておきます。気になる方はVer0.0~8.0の映像とともにお楽しみください。出演者も知らない裏設定が結構あります。

淡島輝生(Ver0.0に非登場)

【あわしま・てるお】イラストレーター。求められた原稿のテイストに応じて、鉛筆画からCGまで自在に使い分ける。世間での知名度こそ高くはないが、雑誌の挿絵のみで生計を立てるベテラン。60代。顔は宮崎駿似。

福沢唯(Ver1.0に非登場)

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