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花屋の娘が思ったこと

さて、これまでの人生のあらすじは、このお話の前の投稿でお伝えしておりますが、もう少し掘り下げてみてみましょう。

私は鹿児島の花屋に生まれ育ちました。
花屋と言えばなんだかセンスの塊のような気がしますが、墓地の脇の花屋です。
場所柄もあってか、もちろんブーケの需要などなく、もっぱら墓参用の花を販売する日々です。
子供のころから、お手伝いと言えば店番でした。

私が3歳の時に父親は亡くなり、祖父母と母、私と弟の5人暮らし。
あまり裕福ではありませんでしたが、母は、よその家と同じように育てようと父の分までシャカリキに働いていました。
家族で外食したり旅行に行ったりなんて記憶はありません。
今の私なら母の苦労は理解できるものの、子供だった私にはそんな事情などどうでもよいことだったのです。

苦労していた母は常々、「手に職を持ちなさい」と言っていました。
子供だった私は、(うっとおしいな)くらいに思っていたものです。

それでも花屋という職業を理解できることはありました。
売り上げに左右される仕事だと言うことです。
お客さんが来なければ、仕入れた花も咲き進み、傷み、廃棄処分です。
売上がなければ生活できません。

私はいつの間にか、花屋だけはやりたくない職業になっていました。

私は毎月決まったお給料をもらえる仕事を目指すようになりました。
あまり勉強も好きではないので、猛勉強して大学を目指すということもなく、近いという理由で地元の専門学校に通いました。
コンピューターの専門学校です。
私の年齢で当時コンピューターと言えば時代の最先端です。
バブルの勢いもあり、さほど困らず就職口を探すことはできました。
ただし東京です。

時代の最先端であったため、そのスキルを生かす仕事が鹿児島にはなかったのです。
家を出たいという気持ちもあり、さっさと寮の設備を持つ会社に就職を決めてしまいました。
なぜか3年という目標を掲げ、「3年たったら戻ってくる」と不安がる母に伝え、私は就職のために上京したのです。


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