生きること、生きのびること

他の人のnoteを読んで、僕と決定的に違っていることが1つある。それはどの文章も僕より感受性が豊かな人によって書かれているということだ。僕はエッセイや日常のエピソードを読むのが好きでよく読んでいる。日常の些細なことから自分の思っていることやまた別の出来事へと話が進んでいくような構成のものを読むことが多い気がする。それは僕が苦手としていてその書き方に憧れがあるからだと思う。そもそも家で過ごしている時もどこかに出かけている時もそうだが、僕は何かを見て何かを思うことが全然ない。それ以前に身の回りで何かが起こっていてもおそらく気づいていない。

以前読んだ本の中に、ご飯を食べることや寝ること、お風呂に入るなどの生きのびるために必要なことではなく、降りるべき駅で降りずに電車で遠くまで行ってみたり何となく夜更かししてみたりなどの生きのびるためには必要がないが生きるために必要なことが俳句や歌では大事になる、といったニュアンスのことが書かれていた。僕はたぶん、生きのびるためのことしか今までしてこなかった。真面目だから真面目に生きのびようとしてた。これからは真面目に生きよう。


一昨日は十五夜だった。月は見たが団子は食べなかった。

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