【小学生観察日記】命
騒がしい教室の隅で、うつむきながらポツンと一人小さく座っている1年生の男の子。
どうしたの?と声をかける。
彼は口をムッととがらせ、眉を八の字にし、潤んだ瞳で私を見上げた。
ひよこみたいにツンと尖った小さな唇を開く。
「命が、痛い。」
命?
え、命?
思わず二回聞き返してしまった。
彼は真剣な表情で、足元を見つめながらこくんと頷いた。
あまりにも真剣だったのでこちらも真剣な対応をしなくてはいけないと思い、(命…とはなんだろう…)と心の中で必死に考えた。
いくら考えても意味が分からなかった。
その様子を感じ取ったのか、彼は小さな声でボソッと何かを呟いた。
え?なんて言った?と聞き返すと
「心が…痛い…」
と言った。
友達に嫌なことを言われたりしたのだろうか。
しかし、よく見てみると、彼は小さな手で自分の胸の真ん中あたりを指差していた。
あまりにも小さすぎて、人差し指がクリームパンのような手の甲に隠れて全く見えていなかった。
思い返してみると「命が痛い」と言った時からこの格好をしていたが、『進撃の巨人』の心臓を捧げるポーズみたいなことしてるな、としか思っていなかった。
そうか、「心臓」という言葉を知らなかったのか。
なんだかよく分からないけど胸のあたりが痛くて、それを必死に「命」やら「心」やらで伝えようとしてくれていたのだ。
それにしても、言葉のチョイスがとても素敵だ。
「ここが痛い」とか、「ドキドキするところが痛い」とか他にも簡単な言い方があるはずなのに、一言で「命」「心」とまとめるセンス。羨ましい。
心臓が命の要であり、心がある場所でもあるということを小学1年生にして理解しているのが素晴らしい。
こういうのは人間の本能に組み込まれているのだろうか。
「心」のある場所に正解はないが、心臓のあたりにある気がする感覚は6歳の男の子でも22歳の私でも同じなのだなと言うことに気づき、なんだか人間の深いところで通じ合えたような気がして温かい気持ちになった。
心臓が痛い理由が分からずあまり苦しそうな様子もなかったのでしばらく横で様子を見ていると、友達が作ったレゴの作品をわざとぶっ壊して怒られていた。
そこは、「心が痛く」なるべきである。
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