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【創設者インタビュー】情熱をもってクリエイティビティを活かす vol.1#インタビュー

今回は、現ミネルバ大学の社会人向け教育副学部長であり、Project MINTのCo-founderにも就任しましたGloria Tam氏にインタビューを行いました。

Project MINTでは、Gloria氏がChief Academic OfficerとしてMINTの没頭ラーニング体験のカリキュラムを学びの科学を軸にしてデザインしていきます。

彼女はどんな人生を歩んできたのか?
自身の経験や人生の転機とは?
これからどのような世界を目指しているのか?
そして、Project MINTで実現したいことは何なのか?

早速伺っていきましょう!

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Gloria Tam
香港生まれ、アメリカとイギリスで教育を受け、現在アメリカ東海岸在住。最高教育責任者としてProject MINTのプログラムが人生を変えるきっかけとなり関わった人たち全員をインスパイアするプログラムにするという目標のもと、学習コンテンツ、メンタリング、Moonlighting (複業参画)のデザイン、開発を担当。
また、ミネルバプロジェクトのプロフェッショナルラーニング部門のアドバイザーとして、教育イノベーション、リーダーシップ開発におけるグローバルで講演活動を行う。これまで、同大学の副学部長として社会人向け教育の戦略をリード。今必要とされている実践的な智慧を持ったリーダー育成をすることで社会のポジティブな変化を創ることに情熱を注ぎ続けてきた。これまで組織のリーダーたちがより良い世界を実現していくために、目的を見つけ、行動習性、マインドセットや文化をハックすることができる人材開発の専門家として活躍。その前はイェール大学の経営学センターで顧客インサイトの上級ディレクターを務め、Fortune500企業の顧客インサイト、ブランドマネジメント、顧客体験などを担当。コンサルティングファームのマッキンゼーにて、グローバル社内教育のリーダーを務め、毎年200以上のプログラムを3千人の新人コンサルタント研修を行う。
これまでのキャリアのジャーニーの中で、転機となる経験を何度も作りあげてきた。8年間経営コンサルタントとしてグローバル企業の経営幹部へ組織変革について助言をしていた時期から、起業家育成学習、ミネルバ大学でEdtech(教育テクノロジー)のイノベーション分野へ携わるなどと転換してきた。また、最近では彼女自身のゴールである「世界のために智慧を持ったリーダーを育成すること」を追求できる複数の場で、”意義のある複業”を自身でも実行中。

ー「もっと学びたいから」と言っていた先輩の言葉

ーー幼少期はどのような子どもだったんでしょうか?

 体が小さく、家で静かに過ごしているような子でした。母は仕事で忙しかったので、叔母が私と一緒に過ごしていました。学校では、真面目で優秀なごく普通の生徒でした。
 私の大きな転機となった出来事は、17才で香港を離れ、アメリカのUWC(United World Colleges)に入学したことです。高校の時に、UWCのキャンパスで説明会があり、興味があったので行ってみたんです。そこでUWCの2年年上の先輩が、自分は数学コースでかなり難易度が高い数学の授業を取っていることを話してくれたんです。なぜ難しい授業を受けているのか理由を聞くと、彼女は純粋に「もっと学びたいから」と言っていたんです。テストのためとかではなく、彼女の内面から発せられたその言葉にとても大きな刺激を受けました。そして、UWCに行くことを決めたんです。

ーーUWCでの生活はどうでしたか?

 まず、英語には苦労しました。毎日英語で生活し、コミュニケーションをとることは出来たのですが、議論を行うことはとても大変でした。
 そして、UWCには世界各地から生徒が集まってきていたので、歴史、文化、価値観がみな全く違う環境にとても戸惑いましたし、カルチャーショックも受けました。例えば、私のルームメイトはクロアチア人だったのですが、彼女はお母さんと新しい住処を求めてほんのちょっとのパンを持って山を越えて逃げた経験を話してくれました。また、毎月誰かが自作の詩を読んだり、歌を歌ったり、ギターを弾いたり、とタレント揃いでしたし、そのことにとても情熱を持っていました。私はそれまで勉強だけしてきて、何かに情熱を傾けたりしたことがなかったのでショックを受け、「私って何だろう?どういう人間なんだろう?」と悩みました。

ーーそれはとても大変でしたね。

 UWCには本当に色々な人がいて、ダイバーシティを実感しました。そんな環境で自分を出しいくのは大変でしたが、逆に謙虚であることなど、アジア人、中国人であることの誇りを持つこと、独自のアイデンティティを持つことの大切さに気付くことが出来ました。
 ワンタンを作って多国籍のクラスメイトみんなにご馳走したり、ハイキングでチャーシュー麺を作ったり。 アメリカの田舎のWalmartでなんとか豚肉を見つけて、アメリカっぽい麺を買って、なんとか完成させたのは良い思い出です。

ーー楽しい事ばかりではなく、辛いことも多かったと思いますが、逃げ出したくなることはなかったんでしょうか?

 まず、新しい環境で英語にも慣れていかないといけなかったというのがあります。成績が優秀であることだけではなく、「自分が何者なのか」探り当てたい気持ちもありました。UWC入学当初は家族と国際電話をしていたこともあったのですが、その当時とても高くて頻繁に連絡を取ることが出来ず、それまでの環境からの変化を大変に思うことはもちろんありました。でも、これは私に限ったことではなくみんなが同じ境遇でしたし、それよりも新しい環境に慣れていくにつれ、周りからとても良い刺激を沢山受けたこともあり、退屈したり逃げ出したくなることはありませんでした。
 それに、都会から離れていた学校の立地のおかげで貴重な体験も数多くしました。ネイティブアメリカンのサポートをするボランティアをして金石を見せてもらったり、とてもエキゾチックな体験もありました。自然の美しさや雄大さに沢山触れる機会もあり、私にとってUWCでの2年間は大変意義深いものでした。

ーーUWCでの刺激的な日々を経て、その後どのような道を歩まれたんでしょうか?

 ケンブリッジ大学で自然科学を学び、遺伝学で博士号を取得しました。脳科学の分野で遺伝子について研究していました。しかし、研究のかたわら自己探索もしていました。科学の知識は沢山あったけれども、それが得意だとは思えなかったんです。夫も科学者だったんですが、彼はとても几帳面な性格で、私とは違いを感じました。研究者の道を進むには、とても地道に長い時間をかけて一つのことを研究していかないといけません。成功する道はとても厳しく、研究結果が出るのには何十年と時間がかかります。私は自分が情熱を持ち続け、かつ結果が出るまで長い時間を待てるタイプだとは思えませんでした。

ーマッキンゼーでの経験が大きな転機に

ーーなるほど。研究職からなぜマッキンゼーへ行こうと思われたのでしょうか?

 まずは、これまでとは違う業界に挑戦してみようと思いました。製薬業界か金融業界か、あまり分かっていませんでしたが、コンサルティングはとても幅広いことができると知ったのでマッキンゼーへ勤めることに決めました。結果、この選択は私にとって大きな転機になります。

ーーマッキンゼーではどのような仕事をされていたのでしょうか?

 香港を拠点にアジア各地に出張し、その後EMEA(中東、ヨーロッパ)の政府ヘルスケアプロジェクトに携わりました。その他、航空会社、冷蔵庫の圧縮機などを売る会社、南アフリカの病院、インドネシア政府ともプロジェクトを行い、本当に幅広く働けたことで私自身とても成長できました。自分の能力を最大限に発揮することや、ロジカルに批判的な立場に立って発言することが常に求めらる環境であることも大きかったと思います。また、働いているうちに「自分が何者なのか」だんだん明確になってきたことも嬉しいことでした。

ーー世界各地で色々なプロジェクトに関わっていたんですね!

 そうですね。気付いたら8年間くらいコンサルティング業に携わっていました。そして、結婚を機にアメリカへ移り住みます。大学院博士課程在籍中にイギリスで出会った夫がアメリカに住んでいて、それまでは遠距離で関係を続けていましたが、旅が多すぎるライフスタイルに疲れを感じ始めていたこともあり、私も一緒に住むことにしました。これもまた私の転機ですね。
 しばらくはアメリカを拠点に同じコンサルティング部門で働いてたんですが、あまり魅力を感じることが出来ず、マッキンゼー社内部での仕事を探します。転職も考えたのですが、社内研修の仕事にとても魅力を感じ、新人コンサルタント教育の仕事につきます。カスタマーニーズに合わせてプログラムをつくり研修を行いました。8週間~3ヶ月と1つ1つがかなり長いタームでのプログラムになり、その効果を検証するのにも時間がかかりましたが、自分でカリキュラムをデザインして、効果が出せることにとても喜びを感じました。

ーーこの経験が教育の道へ進む原点になったんですね。この社内教育に魅力を感じた理由は何だったんでしょうか?

 まずは、プログラム受講者の近くにいて、自分の考えたプログラムに対する反応を間近で感じられることがとても楽しかったからです。あとは、クリエイティビティです。自分で考えた新しいプログラムを実施したり、何か創り出せることにとても魅力を感じました。研究職を歩んでいたこともあり、自分は論理的な性格でクリエイティブだとは思ったことはなく、むしろ「クリエイティブな人=デザイナー」のように思い込んでいたんです。ですが、この教育プログラムを作ることで「私もクリエイティブになれている」と自信がわきました。

UWCでの刺激的な日々、マッキンゼーへ入社したことで初めて教育に携わり、さらにクリエイティブな新しい自分を発見したGloria氏。

次回、ミネルバ大学と出会い、自信がさらに成長することで見えてきたビジョンについてお聞きしたいと思います。

vol.2に続く

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