デジタルで古典を読む_ジャケット_

富士川文庫の衝撃

古典を読む環境

古典を読む環境は、ここ数年で劇的に変化していますが、先日『富士川文庫』のアーカイブを知り、その圧倒的な蔵書数に衝撃を受けました。
(「とっくに知ってるよ。」と言う方もいると思いますが。)

その数、なんと4,340余部、、、すごい。

さらに、このアーカイブの素晴らしいところは、蔵書を電子化して無料公開し、世界中の人がどこに居ても読めるようにしていることです。

富士川文庫とは?

富士川文庫は医学博士、文学博士富士川游氏が、大正6年以降3回にわたって寄贈した氏の旧蔵書4,340余部9,000余冊の集書である。〜

〜富士川文庫本は博士がその畢生の大作である「日本医学史」の編纂のため、参考資料として四方に求めて採収した苦心の収書である。文庫は明治以前の和漢の医書と江戸中期以後主として幕末期の西洋医学書の翻訳書より構成されわが国の医学に関する典籍は平安朝より明治初期に至るまで網羅して余すところがないといっても過言ではない。〜

<富士川文庫の電子化事業>
「富士川文庫」の電子化は平成10年度から進められていましたが、京都大学図書館機構では、平成28年度及び平成29年度に採択された大規模な電子化事業により、平成28年度に約2,000タイトル、平成29年度に約2,700タイトルを電子化しました。平成30年4月26日、1,647タイトルを京都大学貴重資料デジタルアーカイブに公開したことで、「富士川文庫」の電子化・公開事業が完了しました。

「富士川文庫/京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/collection/fujikawa

つまりこれって、平成30年に公開された真新しいアーカイブなんですね。ここ2〜3年で(令和2年現在)さらに古典を読める環境が整ってきたということです。数が多すぎて、全てを紹介することは出来ませんが、ざっとあらっていきます。


『黄帝内経素問 9巻』 - 著者不明

言わずと知れた「黄帝内経素問」です。この蔵書は学生の手書きノートばりに解説メモ書いてますね。返点と振仮名、解説までメモ書きされているので白文より格段読みやすくなっています。

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『黄帝内経素問 9巻』(京都大学附属図書館所蔵)image4


『診腹圖説』 - 神戸子祥 著

カラーで書かれた腹診図とかあるんですね。確かに勝手に白黒のイメージしていたなと。他にも『舌艦』『(金瘡産婦痘瘡)五十腹図説』など『〇〇図』とか見ていくだけでも面白いと思います。

もちろん、有名な『腹証奇覧』や「夢分流」の『鍼道秘訣集 2巻』『(夢分正流)古今腹診論 3巻』もあります。

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『診腹図説』(京都大学附属図書館所蔵)image7


『虫鑑 2巻』 - 高玄竜 著・鴻伯解 編

腹の虫。巻末に「どこぞの誰々がこんな虫を下したよ。」とか書いてます。傷寒論にも「虫を吐く」という記載が有りますが、実際に吐いていたんでしょうね。因みに、この本には虫を観察した顕微鏡の構造まで解説してて、ちゃんと虫を観察しています。

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『虫鑑 2巻』(京都大学附属図書館所蔵)image43


『傷寒図説』 - 原元麟(吾堂) 著

傷寒論をチャート化してます。まず、このチャートが正しいのか?ということが疑問になりますが、正しければ傷寒論のアルゴリズムが正しいのか解明できるのではないかなぁとか考えています。どなたか分かる方に見ていただきたいです。また、このチャートが間違っているとしても、どこを修正すれば実用化出来るとか、三陰三陽とかあるから立体的なチャートの方がいいんだろうなとか思ったりもします。

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『傷寒論図説』(京都大学附属図書館所蔵)image9

などなど、、、とても紹介しきれないので、あとは興味のあるものを色々楽しんで読んでみてください。

「富士川文庫のアーカイブ」の一覧がなかったので作っています。

「富士川文庫のアーカイブ」一覧

古典を読むコツとしては、中国で書かれた古いものは別として、江戸時代のものなら原文を読んでください。返り点も書かれていますからちゃんと読めますし意味がわかります。変に書き下し文だけ読んでも意味がわからなくなることがあります。これは古典の不思議なところです。

中にはミミズみたいな”くずし字”で書いてあって、どうしても読めないものもありますが、これも「AIくずし字認識」の技術開発が進んでいるので、そのうち全て翻訳できるんだろうなと期待しています。

あと、わからない漢字の調べ方は、以前の記事を参考にしてください。


「古典」は正しくないのか?

そもそも、「富士川文庫」が検索でヒットしたのは、「二火弁妄 - 芳村恂益 著」を検索していた時でした。

この本は正徳5年(1715年)に書かれたとされ、「君火・相火」「胞絡・三焦」について詳しく解説されていて面白いのでオススメです。鍼灸学校では、「心包・三焦」は曖昧で昔の人の空想のものなんじゃないかと習いましたが、全くそんなことはなく、バイタルサイン、情動の発動、海綿動物の水溝系(canal system)とか繋がることがたくさんあり、なぜ「名有りて、形無し」なのかについても、医学史上に現れた数々の後世の説を妄説として否定し、「素問・霊枢・難経」と照らし合わせながら、なぜそうなのかを詳しく読み解いて書かれています。

因みにこの「二火弁妄」、内藤希哲が「医経解惑論」の中で「これはいい本だよ。」と薦めていました。内藤希哲も芳村恂益も「これはダメな考え!」「これは合ってる!」とかズバズバ書いてるのでわかりやすいのですが、二人とも「素問・霊枢・難経」は”正しい”としている点で(内藤希哲は「傷寒論」推し。)共通しています。

芳村の面白いところは、『私は半生を「名有無形」の四文字に費やしてきたけど、もし”越人”の霊がいれば必ず「それそれは徒労だったな」と笑われるだろう。』としていることです。

これって、”越人”が辿り着いたその「理」に、”後世のお前たちは、あーだこーだ言いながら何百年もかけて辿り着いているのか?ご苦労なことだな。”と言っているようで、その過程は、ある物事を後世の人が否定しようと、そのあと何百年後の人がその否定をさらに否定してやはり正しいのだとし、それぐらい「理」は確かにそこに”ある”もので、必ず「理」へ還っていくのだと証明しているかのようでもあります。

「古典なんて古いもの読んでなんの役に立つの?」という方もいると思いますが、先日、ある講義で「古典医学(東洋医学)の不思議なところは、古いもの(主に「素問・霊枢・難経」)が正しいという考え方があることです。これは、西洋医学が最新のものが正しいということに比べれば、現代では不思議な医学だと思います。」と聞いて。なるほど。確かにその通りだ。古典医学はより本質へ向かう医学であるから、古典を読むのだと。

古典書物はその性質上、時代を超えて転写される際に、錯簡、脱簡が起こったり、歴史の中で書物自体が失われたり(実際、「素問」は全81章あるうちの「72」と「73」が失われています。)、後世に解説書が書かれる際にも著者の捉え方の違いや勘違い、さらには勝手な持論が入ったりして違うものになっていたりと、未だ本当の正解にたどり着いていないものです。

それでもずっと正しいとされているのは「素問・霊枢・難経」だ、ということはどの時代でも変わっていません。「素問・霊枢・難経」が何かについてはここでは詳しく言及しませんが、きっとその当時の全ての知識と経験とテクノロジーがなしえた、人類の到達点なのだと思います。これは、言葉が経験を次世代に伝え知識となり、知識が文字となり世紀や場所を超え、簡策・絹帛・紙などのテクノロジーに出会うことでようやく形になったもので、そこには人類史10〜15万年間で変わらず(変えようがなく)残ったもの、つまり「理」として”ある”ものなのだと思います。


テクノロジーと伝統

『〜テクノロジーを”ギフト”のように受け取りながら大きくなった世代〜』

~MANAMI MATSUNAGA「LIKE AN INFECTIOUS SPIRIT」(「WIRED」 vol.34 pp125,コンデナスト・ジャパン,2019~

これはある雑誌の引用ですが、”ギフト”を最初は『贈り物』だと思っていたのですが、今回のようなことに出逢うと”gift”のもう一つの意味である『才能』と解釈した方がしっくりくるようになりました。これは、現代の我々が0歳の赤ちゃんから100歳の老人まで須くテクノロジーによってこの才能を持ち合わせた世代なのだと。

そして、以下へ。

<伝統を受け継ぐということ>
 ある民族が残した伝統を受け継ぐということは、その残された伝統の本質を理解し、それを現代的に生かして次代へ伝えることだ。
 民族の残した伝統という以上、それは打っても叩いても自滅せず、歴史的に生き残って来た自力を持っているもので、その自力のないものは伝統というほどのものではない。いつの間にか死滅して跡形もないだろう。
 日本の漢方医術、鍼灸医術を見よ。明治初年、完全に死滅の淵へ追い込まれたが、大衆の中に頑として生きているではないか。
 勿論、ものにはすべて栄枯盛衰がある。伝統といっても栄枯盛衰は免れないが、それにもかかわらず時代を超えて生き伸びる自力をもっているのだ。その自力があればこそ、時期が来れば復活する。自力のないものは、それを復活させようとしても無駄のことだ。
 伝統を一応完成されたもの、固定したものと考えている人たちがある。それは間違っている。伝統は常に流動的なものである。流動的だから生きているのである。固定したものは死んだものだ。死んでいるものは、もうどうしようもない。伝統は流動的だからこそ、歴史的にある時期が来ると、その時代に生きることができる。伝統は現代的に生かして、それを次代へ渡してやらなければならない。
 われわれは素問・霊枢・難経を中心として鍼灸術の古典の本質を理解し、臨床体系とそれを支えている柱の東洋的ものの見方・考え方を把握し、その上にそれを、この国の現代に生かそうと考えたのである。
 だからわれわれはこの伝統的鍼灸術を古典鍼灸術とはいわず「経絡治療」という新しい名称で呼んだのである。
 「古典鍼灸術」として固定したものは、すでに骨董品である。実用的には死んでいるものである。死んだものはどんな時代が来ても生かすことは出来ない。それはもう伝統ではない。歴史的には死滅しているものなのである。
 伝統を流動的で歴史的に生き伸びる自力のあるものと考えたわれわれは、一応は復興という形で復活させ、それから、それを現代的に生かして次代へ伝えようとしたのである。その場合、伝統的鍼灸術の本質である経絡経穴を基本とした随証療法であること、診断と治療は虚実と補瀉の概念で処理すること、その他必要のものは、それを受け継いでいるのである。
 われわれが「経絡治療」と、特に素問・霊枢・難経にもない呼び名を使った理由は、そこにある。
 固定したものは死物だ。流動的のものは生きている。
 われわれは素問・霊枢・雑経の本質を正しく理解しようと努力し、そして、それに準拠して、この伝統医術を現代的に生かす努力をしたのである。
 再びいう。伝統を固定したものと考えるのは間違いである。流動しているのだ。だから復活の時期があるのである。
 伝統を受け継いで、新しく生かして次代へ伝えようとするは、そのことに対し意欲を燃やし、そして使命感を自覚した人たちがいて、客観的に可能性を分析綜合しつつ、可能性を現実性へと転化せしめるための実践を飽きずやらねばならぬことはいうまでもない。(昭和四四年八月一九日 病床にて)

~竹山晋一郎「私の中の漢方」(「漢方医術復興の理論 改槁版」pp31-33,績文堂出版株式会社,1975)~

インターネット、AI、我々の世代が今できること。世界中の人が解析して本質へいける環境を作ること。多言語化、まずは英語圏へ。


最後に

二千年以上前に現れた天才集団が「黄帝内経」を著したことにはじまり、数多の書物を集め寄贈した富士川游氏、蔵書をデジタルアーカイブして公開へと尽力された関係者の皆様、そしてこれまで古典書物に関わり我々の世代へと伝えてくれた全ての人々に感謝とリスペクトを。


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こんにちは「にしずか Labo」です。 私たちは、鍼灸、古典医学、経絡治療、東洋医学の普及・伝承のため、電子コンテンツを活用し、出版社や部数にとらわれることなく少人数を対象にした情報発信や、販売部数の読めない若手・新人などの発掘・育成に努めてまいります。

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『図解よくわかる経絡治療講義』の著者、大上勝行による電子研究所。電子書籍・ビデオ配信などにより、鍼灸・古典医学・経絡治療・東洋医学の情報配信を行います。[HP]https://www.nzlabo.com
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