自由と、リベラルアーツと、torch
どうも、深海からこんばんは。noteではお久しぶりです。Yas: うつぼでございます。
なんやかんやと、みんな大好きCotenラジオから影響をインスパイアされまくっておりますw
僕がリベラルアーツとはなんぞや!みたいな話をしても薄っぺらいので。torchという活動を通じて、常日頃から考えていることを書いてみようと思います。リベラルアーツという概念がある方がきっと分かりやすそうなので、敢えてこの言葉を使っていまふ。僕個人がゴリゴリのリベラルアーツの信奉者ではありませんし、その成立ちや手法に精通しているわけでもありません。そこはあしからず。
議論が大事
僕が大事にしたいことの1つに議論が大事ってのがあります。torchの活動の中でも「れきし右往左往」はまさにこの事を意識してやり始めたことだったりします。
一方的な議論というか意見の押し付けみたいなのはあんまり好きではありません。「あまりにも、それは不勉強ではないか?」と思われる事柄については断じてしまうこともありますが、基本的に僕のスタンスは「貴方はどう思う?」です。結論を出さなきゃいけないときには出来るだけ折衷を試みます。
だって、誰しも全否定なんかされた日には落ち込んでしまうものだからです。
人を傷つけたくないという消極的なところに、この発想は端を発しています。が、最近はそうではないと言うことに気付きました。何に気付いたのかというと、アナタの意見が聞きたいです。人は誰しも自分の意見を言ってもかまわないです。例えそれが極端な主張であっても、一向に構わないと思っています。そう思うのは自由であり、発言することも自由だからです。
「表現の自由」なんて言ったりします。昨今の世界の潮流を眺めていると、結局、主要なメディアを使って真逆のこと=言論の弾圧をしているだけのように思えてならないのです。
しかしながら、いざ議論になると途端に何も言えなくなる人がいらっしゃいます。半分ぐらいは僕が喋りだすと止まらない、完全に僕の問題でもあるのですが…。そうではない場合、要するに自分の主張があるのに黙している状態に出くわすと、なんだか寂しい気持ちになります。全ての人が議論が上手である必要はありません。そして、全ての人が哲学者のように朗々と自分の意見を披露できるわけでもありません。それでも、僕は議論は大事であると言いたいです。議論って言うと聞こえは良いですが、その実ただの質疑応答の繰り返しなわけです。そして、その繰り返しの中で己の意見が研鑽されていくと固く信じているタイプの人間が、僕です。
感情はどうするんだ?
感情を殺して冷静に……というシーンは社会人やってると結構あります。結果、その鬱屈とした感情はどこかでケリをつけるしかありません。そのために酒を呑むことをしていたんだろうし、趣味に興じるのも溜まったエネルギーを放出する作業なんだと思います。
シンプルに好きなことして憂さ晴らせるならそれでも良いじゃん!とも思います。僕のような仕事人間は、仕事で晴らすのも一つでしょう。音楽を聴く、演奏する、歌う、読む、踊る、子どもと遊ぶ。何でも良いんだと思います。負のエネルギーだけは溜め込んじゃダメなんです。ソウルジェム濁っちゃうから……。
だから、感情と折り合いをつける方法として「趣味」を持てと言うのがあるのでしょう。ただ、これは新しい人間関係を産みます。そっちでもダメという嫌な連鎖があるということも覚えておかなければいけないんだと思います。
じゃあ、どうするんだい?
当然の疑問ですよね、僕は語彙が大事なんじゃないかなと思っています。♬言いたいことも言えないこんな世の中じゃ♬ なんですけど、言いたいことを言えるために必要なこと。それは語彙じゃないかなと思います。
言ってやった!
論破したった!
実は、これは簡単なんです。だって、出来るだけ知らないところに直接的な言葉を打ち込めば良いだけなんですから。でも、「あれ?これ、もしかしてこんな事言いたかったんじゃない?」という含みを持つ表現や、詩的な引用は相手の教養レベルにも左右されますが、日本人的にはめっちゃくちゃカッコ良いんです。いや、カッコよかったんです。和歌での応酬なんてまさにそれですよね?忘れちゃいけない、日本人としての語彙がまさしくそこにもあるような気がしています。
知ること
時に知ることは絶望をもたらします。知らなけりゃ良かったことがたくさんあるのも事実です。不都合な事実、不条理なこと、不道徳なあれやこれや。知らせることで益を得てる人間がいるので、無理して開示しているわけだったりするんですよね。その与えられた情報によって、仮にそれが偽りであったとしても、人間は右往左往してしまうものです。
無知の知、ソクラテス先生はおっしゃいました。色んな解釈が実はできるんじゃないかと思っていて、「知らないことを知る」ということがスタート地点だというか、驕りをかなぐり捨てて真摯に向かい合え!というのが原義だと理解していますが、これ「知らぬが仏」とも言えるんじゃないかなと思っています。仏様に歩み寄ってくる人たちがたくさんいて、有象無象に揉みくちゃにされているのが現代人だとも言えるので。「あー、テキトーなんやなー」ということさえ理解すれば、そっ閉じしても良いんです。偽りに対するフォローアップは大いなる偽りなので、どこまでいっても真実には辿り着かないですから……。
じゃあ、一層のこと色んな「語彙」を増やしにいくのが良いんじゃないかな?とも思うわけです。ある意味、経験から得られる知識というのは自分の「芯」になりますからね。
torchのアプローチ
torchは、「好きなことを好きなようにやる」というのが基本スタンスです。学びたいから学ぶ、他の人がやっていることが楽しそうだから混ぜてもらう、もちろん傍観するのも自由です。目的は、ただ一つ。「大人でも遊ぶ、ただアウトプットは忘れずに」です。キャリア教育、エンジニアリング、雑草食べてみるから「農業」へ、配信やってみよう、工作してみよう、歴史語りをしてみよう。ヲタクで良いじゃない!そう、垣根も何もない自由なコミニティがtorchです。
そして、これはGifted Pocketの掲げる「拡大家族の再生」に寄与します。てか、そのものです。難しいことは何もなくて、「カッコええ大人がおらんかったら、カッコええ子どもなんて育たない」です。虎の威を借る狐ではなくて、アンタが虎になりなよです。
リベラルアーツ?
僕の中の勝手な解釈で、リベラルアーツ的であると言った由です。そのための唯一の方法は、人間としての「語彙」を増やすこと。これが、混迷だって言われている今を生き抜く一つなのかなぁと思っています。
僕は教祖様でもなんでもなく、何十年もダイエット出来ないポンコツ野郎ですが……、それは多かれ少なかれ皆さんが感じる事と似通った後ろめたさだと思うのです。
でも、「語彙」は裏切らない。
そう信じてこれからもやっていこうと思います。
torchでなんかやりたいな
どなたでも大歓迎です、ただ、顔が見れないのは嫌なので最低限オンラインでしっかり僕とお話ができる人、自分のやりたいことをしっかりお持ちの方のご参加をお待ちしております。
皆様の人生の「語彙」を増やすお手伝いが出来れば幸いです。「torchというコミニティは最高だった!」と臨終の時に思いたいものです。
はじめの一歩は文化祭
torchの唯一の年中行事である、文化祭を今年もやります。11/23。勤労感謝の日。祝日の数時間を僕らなりのリベラルアーツで彩られた、珍奇な時間を皆様と分かち合えれば最高です。オンライン開催で、アーカイブも残りますが、リアタイで是非ご視聴くださいませ。異彩決まりましたら、noteで報告いたします。興味ある方は是非どうぞ!
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