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人は一人では生きられない!

生かされている自覚

皆さん御存知の通り人の文字は、
人に支えられて成り立ちます。

古より日本では、
人と触合う際、自らの安全・保身、
他人の目、他人の思惑を優先して
思考する傾向があり可否やYes
やNoの返事を曖昧にすることを
美学とする独自の国民性があります。

そして現在社会は、
「個」を優先し、個々人の安心・安全、
保身を大切にする傾向があります。

この「個」を何よりも一番に考えること、
言い換えるなら一人称である利己的な
要素や起因を如何にして解消し人間は
個人、即ち一人だけで生きて行けない
と国民みんなが意識し行動する社会に
して行くかが今後の少子高齢化の進む
日本全体の課題と思われます。

同時に、
多少に関わらず生き方や人間関係に
不安を持っている人達が、一番先に
求め望むことは相手を認めると共に
互いが安心感を与え合うことと自覚し、
心に留め置くことではないでしょうか。

その様々な不安を解消するための為の
キーワードの一つとして、
相手を思い遣る利他心とも言える、
先ず他者を想い、その人を大切にする
と言う意識を持つことが挙げられます。

それは、人として相手を認知することは
勿論のこと、人を大切にする心と行動、
即ち人の原点である『思い遣り』と
敬意のある『優しさ』の心を備え持ち、
周りの人々に触合うことだと思います。

心を繋ぐ利他の心

その一つのとして、
互いが様々な安心感のキャッチボール
に心掛けることであると考えます。

日々の人との触合いやビジネス上でも、
互いが安心感を与え合うことは大切です。

それは、やがて信用・信頼に繋がり、
人として大切な絆や愛を生み出します。

無意識の内に何気なく発した一言が、
相手に不安を与え強いては自分の不信
や損失に繋がることもしばしばあると
色んな場で体験しました。

特に面識や繋がりが希薄なその人との
初期の段階は、注意しておくべきです。

・寂しがり屋で孤独な人
・受け身で積極自発性に乏しい人
・自信や信念の持てない人
・自分の外見に自信がない人
・孤独な人や不遇な人
・子供や老人
ほど、
この安心感のキャッチボールを求めます。

また、この安心感は人々を幸せに導き、
同時に犯罪を減らすことに役立ちます。

大切な人ヘの安信感・利他心

例えば、
🔻相手に伝わるように、
 「はい」の返事をする
🔻家庭、職場や会社心からの
 挨拶を日に一度は交わし合う

🔻 些細な挨拶でもされたら必ず返す
🔻 日に一度は、
   心を込めて挨拶を交わす

🔻互いに感謝の言葉「ありがとう」
     を心から伝え合う
🔻質問や問いに、適時適切に答える

🔻 相手のことを何故の心を以って、
      観察察知する
🔻メールは、一言だけでも即レスをする

🔻 相手から依頼されたことは、
  断りや承服できないことを
  曖昧にせず伝える
🔻 報連相を確り行う
その他、
何らかのキッカケで御縁を頂いた方
への挨拶メールもその一つです。

御縁が得られるネットの様々なSNS
のツール(Twitter・Facebookなど)で、
面識のない見ず知らずの人からの
挨拶メールの有無でその人のこちら
に対する意識や心(姿勢)が量らている
場合が多いと意識し受止めてることも、
時に必要なのではないでしょうか。

💑心が表れるレスポンス

挨拶のレスの有無に、
取組姿勢や自らの利害意識が如実に
表れると体験して来ました。

その一例を挙げますと、
自分に何らかの形で役立ちそうな人、
著名人、ビジネスに繋がる可能性が
ある人などの方には進んで挨拶の
メッセージやコメントを送りますが、
自利利己的な意識で関心のない人は
シカとして平気で無視・スルーをする
傾向があるということもあると感じます。

意外と忘れがちな繋がりを生む、
このようなネット上のツールでの、
「初めまして、宜しくお願いします。」
の一言の挨拶メールを交わすことです。

このようなことは、
相手を一人の人間として「認めること」、
互いが認知=「認め合う」こと表れであり、
それを表す「安心感」のキャッチボールで
あると同時に「安信感」の原点です。

また、断る勇気の大切さを自覚し、
自分に関係ないと思われるイベントの
お誘いやお願い事などを無視しないで、
ハッキリ「辞退します」とか「出来ません」
と断ることも、相手へ不信を抱かせずに
済みますし逆に安心感を与えその人への
思い遣りを表わし伝える結果になります。

安心感のキャッチボール

常々このような安心感のキャッチボール
が出来るように心掛けて生活することは、
その人の人間力自利利他の心を育みます。

この心と活動は、
自分や自社だけの利益を考えるのこと
でなく一番に損得を考えずに、先ずは
自己犠牲を払ってでも相手やお客様に
尽くそうという心身の活動=精神であり、
人間として最も尊く、美しい心です。

捉え方を変えるとこのような行為態度は
安心感≒安信感に繋がります。
※安信感は、
 安心と信用・信頼を言い表すこと。
 私見の熟語です。

日常生活上での承認認知活動である
認める心、認め合う心行為態度
思い遣りを表現する一つの手段です。

例えば、
ビジネス上でクライアントに接する際
自己事情や己の甘えや要望を優先した
言動や其の場凌ぎの調子の良い会話、
手間を惜しんで楽に逃げてしまったり、
目先の利益だけを考え追いかけること
それは相手を大きな視野(視点)で捉える
ことが出来ず相手やクライアントの奥に
隠れ潜んでいる可能性や無数のマーケット
を見逃してしまう場合があります。

このようなことの無いようにするには、
相手やクライアントを大切にする心、
その人(会社)への安心感のキャッチボール
と気遣いと心配りの心を備え持つことです。

また相手やクライアントに、
思い遣りの「ものさし」である時間を作り、
取ったりする心身の活動が出来るかです。

この思い遣りの心の大小により、信用や信頼、
絆が生まれるか否かが決まるとも言えます。

そこで、当て字になりますが安信感を、
常に意識することをお勧めします。
」は安らかな心と安全、
」の文字の組立てから、
人への心を口」から発すると解します。

安心感は、優しさと同様に、与えた人と
与えられた人の心の中に生まれる
ものです。

そしてその人への安信感(信頼、信用)は、
思い遣りと同様に相手に自らの思いを
相手に伝え届ける心身の活動であり、
様々な思いを発信するを表わす言葉です。

安信感を発信すること、
相手を信じることと共に「」の熟語
信用・信頼・信念・信条】の語句を
意識し、表現し、言動することです。

但し、この安心(安信)感は、
利他の心から生まれることであり、
見返りを望んだり、求めたりすること
で無いと強く自覚しておくことが肝要です。

利他の心-自利利他

※利他心は他人の利益を重んじ、
 それを得られるように振舞う人を
 心から思い遣る心を表わす語句です。





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