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繋がりを生む利他心と安心感(≒安信感)

失敗や挫折は「もう懲(コ)りた」体験を
【忘己利他】の学び繋いでみました。

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🙏天台宗の教え

己を忘れて他を利するは
慈悲の極みなり。

「一隅(いちぐう)を照らす」
最澄の教えとされている。

【語訳】自分のことを忘れ、
    他の人々のために尽くせ。

現代社会は複雑多様化の一途を辿り、
人間としての心の豊かさ【人間力】
がどこかに置き去りにされている
のではないかと受け留めています。

🙏人は決して一人では生きられない!

互いに支え合う🙏の文字

人の文字は、
人に支えられて成り立っています。

古より日本では、人と触合う際、
自らの保身の為や他人の目、他人の
思惑を優先して考えてしまう傾向があり、
可否やイエス・ノ-の返事を曖昧にする
ことを美学とする国民性があります。

そして現在の社会環境は、
個々人の「個」を優先し、安心・安全
保身をと大切にする傾向があります。

この「個」を何よりも一番に考えること、
言い換えるならば、一人称である
利己的な要素や起因を如何に解消して、
人は個人、即ち一人では決して生きて
行けないと皆が考え行動する社会に
して行くかが今後の日本の課題と
言えるではないかと受け留めています。

同時に、
多少に関わらず生き方や人間関係に
不安を持っている人達が一番先に
求め望むことは相手を認めると共に
安心感を与え合うことだと自覚し、
心に留め置くことではないでしょうか。

心と心を繋ぐ

その様々な不安を解消するための為の
キーワードとして相手を思い遣る心
=利他心とも言える、先ず他者を想い、
その人を大切にすると言う意識を
持つようにすることが挙げられます。

それは、
人として相手を認めることは勿論のこと、
人を大切にする心と行動、即ち人の原点
である『思い遣り』と『優しさ』の心
を備え持ち、周りの人に触合うことです。

その一つのとして互いが様々な
「安心感のキャッチボール」
心掛けることであると考えます。

安心感のキャッチボール

人との触合いやビジネス上でも、
互いが「安心感」を与え合う
心身の活動はとても大切です。

それはやがて信用・信頼に繋がり、
心の結び付き、絆や愛を生み出します。

無意識の内に何気なく発した
一言が相手に不安を与え、
強いては自分の不信や損失に
繋がることもしばしばあります。
特に面識や繋がりが希薄な人との
初期の段階は、注意しておくべきです。

🙏寂しがり屋で孤独な人、
🙏受け身で積極自発性に乏しい人、
🙏自信や信念の持てない人、
🙏自分の外見に自信がない人、
🙏孤独な人や不遇な人、
🙏子供や老人、と言う人ほど
安心感のキャッチボールを求めます。

また、
この安心感は人々を幸せに導き、
同時に犯罪を減らすことに役立ちます。

例えば、
相手に伝わるように、
🔴はっきりと「はい」の返事をする
🔴家庭、職場や会社内では心からの
 挨拶を日に一度は交わし合う

🔴些細な挨拶でもされたら必ず返す
🔴日に一度は、心を込めた挨拶を交わす

🔴互いに感謝の言葉「ありがとう」を、
 アイコンタクトし心から伝え合う
🔴質問や問いに、適時適切に答える

🔴相手を何故の心で観察察知する
🔴メールは、一言でも即レスをする

🔴相手から依頼されたことなどについて、
 断りや承服できないことを曖昧にせず伝える
🔴報連相を確り行う
🔴その他、何らかのキッカケで御縁を
 頂いた方への挨拶メールのレス
も大切なその一つであると思います。

ひと言のレスポンス

些細な御縁が得られるネットの
様々なツール(Twitter・Facebookなど)で、
まだ面識のない見ず知らずの人からの
挨拶メールの有無で、その人のこちらに
対する意識や心(姿勢)が量られている
場合が多いと考えてみることも、
時に必要なのではないでしょうか。

日々の挨拶のレスの有無に、
自らの取組姿勢や利害意識が
如実に表れると考えられます。

その一例を挙げますと、
自分に何らかの形で役立ちそうな人、
著名人やビジネスに繋がる可能性がある人
と言った方には、挨拶メッセージや
コメントを積極的に送ったりしますが、
利己的な意識で関心のない人はシカとし
既読スルー無視する傾向があります。

意外と忘れがちな、
このようなネット上のツールでの、
初めまして、宜しくお願いします。」
の一言の挨拶メールを交わすことです。

このようなことは、
相手を一人の人間としての認知活動、
互いが「認め合う」こと表れであり、
即ち「安心感のキャッチボール」である
と同時に「※安信感」の原点であると思います。

また、断る勇気の大切さを自覚し、
自分に関係ないと思われるイベントの
お誘いやお願い事などを無視しないで、
ハッキリ「辞退します」とか「出来ない」と
断ることも、相手へ不信を抱かせずに
済みますし逆に安心感を与えますし
その人への思い遣りを表わし伝える
ことになると思います。

常々この「安心感」のキャッチボール
が出来るように心掛け生活することは、
自利利他の心を育みます。

この心は、自分や自社だけの利益を
考えるのではなく一番に損得を考えず、
先ず、自己犠牲を払ってでも相手や
お客様に尽くそうという精神であり、
人間として最も尊く、美しい心です。

捉え方を変えてみると、
このような真摯には「安心感」
≒「安信感」に繋がります。

※安信感は、安心と信用・信頼を
言い表すことを意味する自作言葉。

日常生活上の認知活動
「認める心、認め合う心」と「態度」は、
思い遣りを表現するひとつの手段です。

例えば、
ビジネスにおいてクライアントに
接する場合や場面での自己事情や
甘え・要望を優先した言動や
其の場凌ぎの調子の良い会話、
手間を惜しんで楽に逃げたりし、
目先の利益を追いかけるなどして、
相手を大きな視野(視点)で捉える
ことが出来ず相手やクライアント
の奥にある多大な可能性や無数の
マーケットを見逃すことがあります。
ミクロで捉えないでマクロを意識する。

このようなことの無いようにするには、
相手やクライアントを大切にする心、
その人(会社)への安心感のキャッチボールに
気遣いと心配りする心を備え持つことです。

また、相手やクライアントに思い遣りの
「ものさし」である時間を取ったり作ったり
出来るか、と言う取組み姿勢です。

この思い遣りの心の大小により、
その後の繋がりが決まると言えます。

そこで、
当て字になりますが前記の「安信感」を、
意識し取組むことをお勧めします。
「安信感」の
「安」は安らかな心と安全、
「信」の文字の組立てから、
「人への心を口」から発すると解します。

安心感は、優しさと同様に、与えた人
と与えられた人の心の中に生まれます。

そしてその人への安信感(信頼、信用)は、
思い遣りと同様に相手に自らの思いを
相手に伝え届けることであり様々な思い
を発信することを表わした言葉です。

同時に安心感を発信すること、
相手を信じることと共に、
「信」の熟語である
【信用・信頼・信念・信条】
の語句を意識し表現することです。

但し、この安心(安信)感は、
利他の心から生まれることであり、
「見返りを望んだり、求めたりする」
気持ちではないと自覚認識すること。

※利他心は他人の利益を重んじ、
それを得られるように振舞う
人を思い遣る心を表わす語句です。

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