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日本人らしさ≒日本人の人間力

日本人の心の礎(土台石)(1)

▣躾 とモラル

現代社会に合った新たな「躾」

今、求められる大人】
 (=親)の意識改革


🔶今、一部の自制心欠如の大人
 から『子供達を守る活動

コロナ禍の中、
政治家や行政機関従事者を始め、
モラル意識欠如の若者の言動や
日常生活に於ける自制心欠如に
因ると思われる大人のマナー違反、
人として成してはならない様々な
事件・犯罪の行為が大きな社会
問題となって来ています。

現在日本は、
高齢化による人口・労働力減少
ばかりか、コロナ感染症による
死者の増加、自殺や殺人と言った
日々の生活の中不本意な死亡者が
日々増えつつあります。

そして、
これからの日本の社会を担い
牽引する大切な子供達や若者達に、
一部の大人の自制心欠如による
多様な人的災いが降りかかつつ
あるのではないかと思いいます。

この様な正常な社会活動を
妨げる行為を起こす要因・
原因・要素を見つけ出し、
それに合ったルールや条例
などの法令化も不可欠です。

勿論、子供達にはそれぞれの
生活環境に見合った自分を守る
意識の植え付ける躾=周りの人に
迷惑や心配をかけないことなどや
何らかの制裁め罰を受ける行為を
教えるなどと言った時代に合った
心の育成も必要と思われます。

古より、
「子は、親の背中を見て育つ」
「子は、親を写す鏡」 
「子は、親の心を実演する名優である」

と言われる一方で、
子共は「マネ」の名人で、
親の言うことは聞かなくても
親の「やること」は見事にマネ
をする。

と言われるように、殆どの子供は
親の姿を見てその真似をし育ちます。

戦後
日本は団塊の世代、バブル世代
などと言われその世代夫々に独自
の特徴があります。

今の小中学生の殆どの親は、
団塊二世とも言われ豊かなバブル
時代を体験している人々が大半です。

このバブル世代から、個人を中心、
プライバシー優先の社会生活環境が
目立つようにいるように思えます。

そして震災前まで、
数多くの様々な報道がなされていた、
「核化社会」「無縁社会」となどと言う
社会現象に表れています。

いつの時代も、良し悪しに関わらず
「今の子供は」と言う言葉を聞きます。

このような社会環境の中で生活し、
育って来た今の子供達は、

★自分自身のことを中心に思考する
★自己中心的思考で、思いやりがない
★言葉や行動が乱暴である

★大きな声で話せない
★意思決定や意思表示が上手く出来ない
★相手による態度の違いがある

★人間は一人では生きて行けない
 ことの自覚のなさ、「生かされている
 という教育不足
★自の安全安心の意識が極めて強い
★挨拶や躾と言った基本的な生活習慣
 が身に付いていない

★自転車通行に顕著に
 表れているように「モラル」の低下
★認められることに対する意識過剰
★思い通りにならないと腹を立てる

★友達との関わりでガマンができない
★挨拶をしても返事をしない
★外見を気にし過ぎる
★自分の非は認めず、周りのせいにする

このような今の子供達になっている
要素に次のようなことがあるのでは
ないでしょうか❓

*欧米文化普及に伴い、
 その悪いところも見習た
 (欧米への憧れ)

*物が溢れ「足るを知る」の意識
 を忘れている(当たり前の大切さ)

*人と接する機会や場が少ない。
 (核化・少子化・一人遊び)

*人との関わりを積極的にしない。
 (核化・少子化・無縁化)

*見習うべきモデルが
 「自己中心的」である。
 (親が自己中心的)

*見習うのに良いモデル
 が身の回りにいない。
 (無関心・孤独・放任)

*したいことは何でも出来る。
 欲しい物は何でも手に入る。
 (自制心欠如・甘やかし・知足)

*子どもの行動を親が決める。
 (情報過多・過干渉)

例えば、
幼稚園では
上手く挨拶が出来ていたのに年齢
が上がるにつれて出来なくなる。

恥ずかしいのが優先してしまう
のかも知れませんが、チョット頭を
下げて、礼を示すことがどうして、
何故出来ないしょうか❓

本当に身に着く迄、
親としても大人の責任として指導する
必要があるのではないでしょうか❓

と同時に、
大人や親により大切なことは、
大人がもっともっと自らの態度
や言動を指さすこと自分達大が
当たり前にしていることを振返り、
これで良いのかと見直してみる
ことを積極的に行うと共に、
自らの考え方や意識を見つめ直す
新しい時代の意識改革に取組む
必要があると思います。

十数年前、2011年年末の「絆」
一文字で表わされたは、
私達がこのようなことを改めて深く
思考する「ターニングポイント」
として意識する絶好の機会であり
その活動をすると言われました。

その為に、何をどうすれば良いか
を私達大人のひとり一人が考え、
自ら意識改革に取組み、
直ちに行動に移す時である考えます。

個人主義の正しい理解➡【罪の意識と躾】

しつけ

20世紀末頃迄は、
日本人は人の目人種と言われ
子供は親や肉親から、
人様に対する「恥」を柱に

「そんなことをすると人
 (誰々さん)に笑われますよ」

「我が家の恥になる
 ようなことは止めなさい」

「みっともないから、
 やめなさい(してはいけません)」

と言ったように人の目や思惑を意識した
「恥の躾」で育てられて来ました。
この意識からか、
現代社会は「ネット≒SNS」
を気にするようになりました。

この恥に対し、欧米の子供の躾は
キリスト教の教え「善悪」を前提にし
「それは悪いことだからしてはいけません」
「人に迷惑をかけると罰せられます」
「それは、良いことだからしなさい」

と言う躾られて育つとされてます。

要約すると
20世紀末頃迄の日本は「恥の躾」、
欧米は、「罪の躾」であると言える
と考えられます。

21世紀に入ってからの我が国
の社会環境では、自らが進んで
他者を認知せず≒認めず(認知せず)、
個人の考え、意志、利益・保身、
安心安全を優先し認めて欲しい、
承認されたい、利己的な思考を
する人、即ち、「自己中心≒保身意識
が躾の柱になっているように思えます。


従って、
子育ては、個を主に捉え、
自己顕示のパフォーマンスや
自分だけ、自分さえ良ければ、
楽しければと言う考え方、
信念が無く上辺だけ褒められる
ばかりでぬくぬくと育てられ、
結果、些細なことでも打たれ弱く
自分の感情を自性せず、キレ易い
感情の儘に言動する体質になり、
自己中の当たり前を信じ、モラル
やマナーを低下させ人を思い遣る
心の欠ける結果になる、ことを
気付かないと受止められます。

社会の中枢を担う
人や人を指導教育する立場の人に、
古より日本人が大切にして来た
人の心の礎とも言える「義」や「礼」、
社会人としてのモラル「≒コンプラアンス」
乏しい人達が増加しているので❓
と思えるように受け止められます。


コロナ禍の今こそ、
私達は改めて日本人として
原点を見詰め、「躾やモラル
の大切さを再認識する必要が
あるのでないか❓と思います。

そして、
それは様々な社会環境に適合し
日本人ならではの新しい罪の
意識も自覚できる日本人独自文化
である唯一無二の躾
を作りあげて
行く必要がある、と思います。

この躾は、
コロナ禍後の今だけに限らず、
社会生活上で求められる様々な
モラル・マナーコンプライアンス
を遵守する礎となり、我欲を自制
制御する足枷にもなります。

その「人としての躾」や
社会人としての「モラル」の修得は、
「学習化」⇒「習熟化」
 ⇒「習慣化」⇒「習性化」
のプロセスで、ひとり一人が
身に付けること意識し、出来ること
から実行することをお勧めします


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