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インガ [scene003_08]

このとき私の脳は、完全に思考を止めていた。状況が全く飲み込めなくて、自分が生き残るための結論なんてすっかり見失われてしまったから。

足元で膝を折っているのは、ついさっきまで私を護ってくれていた命の恩人。
その人に銃弾を撃ち込んだのも、昨日から私を護ってくれている命の恩人。

信じていた人が、信じていた人に撃たれた。

この状況は一体どういうことなのだろう。ヒバカリさんは…この人は、一体何をしているのだろう。

「…ヒバカリ、貴様……これはどういう事だ」

銃身越しに鋭い視線をハナヤシキさんに定めたまま、ヒバカリさんが歩み寄ってくる。その足元には、頭部に穴が空き完全に沈黙したインガが2体転がっていた。

「先輩、あんたこそ彼女をどうするつもりだ」

パキリ、という音がして、私の全身がビクリとする。ヒバカリさんが、割れたガラスの破片を踏んだのだ。

一歩ずつ、ゆっくりと近寄ってくるヒバカリさん。その姿がとても恐ろしいものに見えて、震えが止まらなくなった。

「どうする、だと?…決まっていよう、あの人の…染井博士のもとに連れて行くのだ」

…え?
染井博士のもと?
ハナヤシキさんは…父さんの居場所を知っている?
なんで私をそこに連れて行こうと…?

ハナヤシキさんの顔に目をやる。眉間に皺を寄せて苦痛に堪える一方で、口元には笑みを浮かばせていた。

「ハナヤシキさん…?」

「…お嬢さん……君も思うのだろう。愛する人のいない世界に、意味など無いのだと…」

ヒバカリさんから視線を外さず、語りかけるようにそう言うハナヤシキさん。その言葉も声音も、旧メディカルセンターで弥生と会わせてくれたときに聞いたものと同じ。

「…先輩、そうはさせない。俺の役目はこの娘を護ることだ」

「相変わらず…視野が狭いな、ヒバカリよ。貴様はこの件の最適な結末を見誤っている。
染井博士がイデアを完成させるには、この娘の存在が必要不可欠なのだ。イデアに至ることは…理想の世界を手に入れることは、この娘にとっても最善」

またイデア…?父さんは…私の父は、本当になにをしようとしているの?

それに私が必要不可欠って、一体?

「俺は視野が狭い?なら、あんたは何も見えちゃいない。
なぜ、あんたがヨシノくんにとっての最善を定義できる。あんたは、あんた自身の理想を周りに押し付けているだけさ。
この大仰に飾り付けられた“医療の象徴”も、あんたの押し付けがましい自己満足でしかない」

軽蔑するようなヒバカリさんの台詞に、ハナヤシキさんが笑い声をあげる。

「自身の理想を求めることすら放棄した貴様らしい。
ヒバカリよ、貴様は自分自身で答えを求めることを諦め、それを他人の心という笠で覆い隠しているに過ぎん。ふふふ、IMGが浸透したこの時代に心を笠にしようなど、笑い話だがな。
やはり博士は見誤った…貴様のような迷い子に、イデアの建設を任せるべきではなかった。
しかし、まだ間に合う…今なら、この娘を博士に届ければ…全てが完遂できる。
忘れたわけではあるまい?我々の役目、いや悲願を」

そう言いながら、壁に手をついて立ち上がろうとするハナヤシキさん。その様子に、「動くな」と鋭く声を上げて銃を構え直すヒバカリさん。引き金にかけた指に力が入るのを感じて———

「…退きなさい、ヨシノくん」

私は、咄嗟にハナヤシキさんを背にヒバカリさんに向き合っていた。
こんなのダメだ。だって、どちらも私の恩人。その思いが、脳みそにそう動けという信号を発するよう働きかけたのだ。

「ヒバカリさん…こ、こんなの間違ってる……。なんで、なんであなたが…ハナヤシキさんを傷つけなきゃならないの?」

喉から搾り出された声は掠れており、膝と一緒に震えていた。

「…ひとつ目の違和感は、君が地下で襲撃されたこと。あそこは追い詰めるには都合が良い反面、地上から反撃を喰らえば途端に窮地となる。地下と地上それぞれにドライバーが居る状況で急襲するのは…それも粗悪なコピー品で実施するなんて、賢い作戦とは言えない」

銃口を私の後ろにいるハナヤシキさんに向けたまま、ヒバカリさんが話し始めた。

「次の違和感は、地上に戻ってきたインガの動き。やつらは俺を潰すというより、階下へ追いやるように患者やスタッフを襲い始めた。
おかしいじゃないか。局長室で俺を相手取るなら、3対1で数の利を活かせるのに。ましてや、13階では睦月を寄越そうにも手間取る…俺を潰すには絶好の機会だったはず。
最後の違和感…これが決め手だ」

と、ヒバカリさんが肩越しに左手親指で先ほど破壊された2体のインガを指す。
頭蓋を撃ち抜かれて沈黙した、モニュメント用の白いインガ達。

「インガの機能を完全に止めるには、IMGでドライバーを繋ぐための装置…脳幹部を壊す必要がある。
染井博士から直々に手術された俺達なら、身をもって知っている。
なのに、なぜ空中庭園で襲撃されたとき、先輩はインガの脳を撃ち抜かなかったんだ?ここに転がってる2体は、そのときの機体だ。
トドメを刺せていないことが解っていながら、負傷を抱えたまま腰を落ち着かせるなんて、らしくないなんてものじゃない」

そう言いながら、右手で構えた銃に左手を添えて、改めて照準を合わせるヒバカリさん。その目は、これまでになく鋭い光を放っている。

「ヨシノくん、最初から先輩の目的はひとつだった。君を染井博士に引き渡し、自分の理想を叶えること。
それだけのために、自らの城を…命に代えても護ると断言していた市民を犠牲にして、一芝居打ちやがったのさ」

と、ヒバカリさんは吐き捨てるように言った。

「…一芝居打った?」

恐る恐る、背後のハナヤシキさんを見る。そして、目にしたその姿にぞっとして体がビクリと跳ねた。

直立している。

腹部と左肩の銃創から真っ赤な血を流しながら、ハナヤシキさんが何事も無かったかのような表情で直立していた。

ふー、と溜息を漏らしながら、肩をまわし首の骨を鳴らしている。

「は、ハナヤシキさん…」

「先輩…あんたは、自分がヨシノくんを染井博士の元に連れて行くための大義名分を作りたかった。
彼女が、自分の意思であんたに着いていくよう仕向けたかった。
だから局長室で俺を殺さなかったんだろう?だから手先を使って手前の腹に鉛玉を撃ち込んだんだろう?
あくまでも、やむを得ぬ事情で俺とその娘を引き離す…そのために、手の込んだシナリオを演じたんだ」

ヒバカリさんの言葉を聞きながら、準備運動をするハナヤシキさん。
肩、首、腰をほぐして手首を回している。

「先輩、なぜ彼女が必要なんだ。あの人は…染井博士は、なぜ実の娘にインガを差し向けるんだ」

ストレッチを終えたハナヤシキさんが、高笑いをする。致命的と思われる負傷をしているにもかかわらず、少しの痛みも感じていない様子だ。

「貴様は本当に馬鹿だな!」

と、ハナヤシキさんが言い放つと同時に、ヒバカリさんに何かが飛びついた。

「ヒバカリさん!」

弥生だ。ハナヤシキさんが操る弥生が、ヒバカリさんを背後から襲ったのだ。
モニュメント用のインガとは違う、開発者である父さん自身が設計したオリジナル。コピー品とは比べ物にならないというその腕力に、負傷しながらも2体のインガを撃破したヒバカリさんが、あっという間に組み敷かれてしまった。

「お嬢さん、私に着いてきなさい」

咄嗟にヒバカリさんの元へ駆け寄ろうとした私の腕を、ハナヤシキさんが血だらけの手でグイと引き寄せる。

「は、離して…!」

「お嬢さん…怖がらせるつもりはない。君に危害は加えないと約束する。
私は、君たち親子を再会させたい。君だって、それを望んでいるはずだろう」

地下では優しく私を叱咤し奮い立たせ、護ってくれていたハナヤシキさんが、まるで別人のような握力で私の腕を掴んで離さない。

痛い。

腕の痛みだけじゃない。この状況すべてが、私の心を掻き乱し痛みを引き起こしている。

抵抗する私を引き摺るようにして、裏口まで歩みを進めるハナヤシキさん。

「やめてください、ハナヤシキさん!」

「大人しくしなさい。まずはここを離れる。落ち着いたら、君が納得できるまで話を———」

と、ドアノブに手をかけたハナヤシキさんが前のめりに倒れ込んだ。まるで、扉が彼を引き寄せたように。
そして次の瞬間、何かが扉の向こうから弾けるように飛び込んできて、ハナヤシキさんの巨体が今度は後方へ吹っ飛んだ。

「睦月!」

扉から現れたのは、睦月だった。
佇まいからわかる…ドライバーはヒバカリさんだ。

「ヒバカリィィィイイイイイ!」

激昂しながら、ハナヤシキさんが睦月に向かって銃弾を撃ち込む。それを物ともせず睦月は私の傍を走り抜け、倒れていたハナヤシキさんを蹴り上げて通路を直進していった。
そして本体…ヒバカリさんに覆いかぶさる弥生にタックルを決めて、勢いそのまま転がっていく。

そして弥生に馬乗りで拳を叩き込む睦月を背に、今度はヒバカリさん本人がこちらに走ってきた。
その様子を目にして、ハナヤシキさんが跳ねるように立ち上がってファイティングポーズを取る。

「来い!ヒバカリ!」

ものすごい形相で歯を食い縛り、満身の力を込めた拳をハナヤシキさんに叩きつけるヒバカリさん。
腹部に見舞われたかと思ったそれは左手で阻まれ、残る右腕がヒバカリさんの顔面を打った。驚くことに、その右腕には先ほど撃ち込まれた弾丸による傷があり、未だドクドクと鮮血を吹いている。
やはりハナヤシキさんは痛みを感じていない。ぞっとしたのも束の間、今度は頭を強かに打たれたヒバカリさんが即座に反撃の蹴りを繰り出した。
横っ腹に打ち込まれたその脚を脇で挟み、至近距離で発砲するハナヤシキさん。それすら意に解さない様子で、反対の横腹に銃を突きつけて引き金を絞るヒバカリさん。

連続する発砲音により、平衡感覚が失われるほどの耳鳴りに襲われてしゃがみ込んだ私は、その人間同士とは思えない遣り合いに目が眩んだ。

それは最早、闘いと言うには悍まし過ぎる破壊行動の応酬だった。

通路の向こう側では、人間の形をした機械が拳を叩きつけ合っている。おかしなことに、私の目にはそちらの方が人間らしく映った。

「グフッ」

腹部に銃弾を食らったハナヤシキさんの口が、真っ赤な血を吐き出す。それでも、彼の表情は相変わらず岩のようだ。

「ふふふ、ヒバカリよ。お互いこんなもので死ぬる身体ではない…分かりきっていることだろう」

「ふん、鉛玉3発であんたを冥土に送れるなら安いもんだ。だが、俺を殺すにはその倍でも足りんぞ」

と、またもやお互いの腹部に発砲する2人。彼らは痛みを感じることも怯むこともなく、まるでインガのように相手の破壊を淡々と続けている。

「貴様こそ、なぜあの娘を染井博士から遠ざける。
なぜ、あれほどイデアを望んだ貴様が、その完成を阻む」

「あんたにはわからんさ」

銃声、そして銃声。
それを最後に、両者は銃を投げ捨てた。弾が無くなったのだろう。

それから彼らは間合いをとり、原始的な方法で破壊の応酬を続けた。つまり、殴り合い。
その動きは睦月や弥生とシンクロしていて、寸分の狂いなく一致している。

もう私には口を挟む余裕すらなく、震えながらその様子を眺めていた。

と、ハナヤシキさん本体の膝が崩れかける。隙を突いたヒバカリさんが、その左頬にフックを打ち込んだ。
後退り、よろよろと壁にもたれ掛かるハナヤシキさん。

「貴様…なぜ立っていられる。その出血量、私と同じく膝を折って然るべきだろう」

目眩を抑えるように頭を押さえながら、ヒバカリさんを睨みつけるハナヤシキさん。
そうか、痛みを無視している原理はわからないけれど、それは失血というダメージまで無かったことにはできないんだ。
でも確かに、同様に失血しているヒバカリさんはそれすら意に介していない。

この人は、本当に人間なのだろうか。

「それも、あんたにはわからんさ」

「まさか…ふふふふふ、なるほど。流石は染井博士だ。
ならば、徹底的にやるまでよ」

ハナヤシキさんがそう言った瞬間、通路の向こうで睦月を相手取っていた弥生が凄まじい勢いで突っ込んできた。
気づいたヒバカリさんが睦月で後を追うが、弥生がヒバカリさんを殴り倒すのが早かった。そのまま馬乗りになる弥生を、睦月が背後から組み付いて引き剥がす。
その勢いを遠心力に換えて、弥生を壁に叩きつける睦月。

そして立ちあがろうとしたヒバカリさんの前に、ハナヤシキさんが立ちはだかった。
その手には、銃が握られている。
床には弾切れした2丁が転がったまま…隠し持っていたんだ。

「残念だよヒバカリ。しかし案ずるな、イデアでまた会おう」

銃口をヒバカリさんの頭部に向けて、ハナヤシキさんが引き金に指を掛ける。

「さようならだ」



———君の脳は、君を生かすために思考する。



その瞬間、どんな思考があったか覚えていない。でも、それは確かに生きるための行動だったと思う。

ハナヤシキさんに持たされてずっと握りしめていた鉄の棒。私はそれを振り上げて2人の元に駆け寄り、全力でハナヤシキさんの腕に振り下ろした。

その衝撃で照準がズレて、放たれた銃弾はヒバカリさんの頬をかすめて床に穴を穿つ。

瞬間、私から鉄棒を奪い取ったヒバカリさんが、そのまま先端をハナヤシキさんの胸に突き立てる。そして上半身を跳ね起こし、その勢いで通路の壁にハナヤシキさんの身体を叩きつけた。

「先輩、さようならだ」

ヒバカリさんが鉄棒を握る腕に力が込められて、ズブリという音がした。

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