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【自己紹介】

はじめまして、ふっちぃと申します。
現在、F-Creationを立ち上げ、Youtubeの映像編集や、インフラ系のSEなどをしております。

noteを始めたので、最初に自己紹介を致します。

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「自由に生きた、幼少期〜高校時代」

出身は東京の外れ。

1988年生まれで、
ONE OK ROCKのTakaさんや新垣結衣さん、戸田恵梨香さん、野球選手の田中将大さんなど、黄金世代の生まれです。 

幼稚園の時、体操の時間で、逆上がりが出来てしまった為、体操教室に入れられました。

そこから高校1年で怪我するまで、器械体操を続けていました。

体操を辞めてから、バンドを始め、
高校の文化祭に出たりして青春を謳歌しておりました。
ここで、音楽が趣味になりました。

体操推薦で入ったのに、勝手に辞めて、
とち狂ってバンドやってたので、ヤバいやつだったと思います。


将来の夢もなく、進路も放棄気味でしたが…

当時、リハビリを担当してくれた先生に、医療系を薦められたので、その道を進むことにしました。


今まで勉強などしたことなかったんですが、
ありがたいことに数字には強かったため、なんとか某大学の医療系に入ることができました。

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「行動の指針ができた大学生活」

大学では、眼と脳に関して勉強していました。
知識0からスタートしたため、勉強するのも楽しいなと思ったことを覚えております。

大学3年の時に同級生がなくなりました。

この時、感じたことが今の行動の指針になっております。
そのことは、また後日、気が向いたら記載いたします。

最終的に卒業試験で学年10位以内に入り、国家試験も無事合格。
就職もスムーズに行き埼玉の比較的大きな病院に入ることができました。

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「心底辛かった病院時代」

大きい病院で2年10ヶ月働きました。
手術室で機械を操作したり、学会発表や論文作成に追われていました。
朝7時から、夜中3時とか普通でしたが、職場が病院だったので、お薬もらって元気いっぱいでした。
2年立つと、お薬ブーストの限界が来て、点滴を頼るようになり、3ヶ月に1回入院して、最終的に自分が手術されました。
死の危険にさらされて初めて、自分が「人の死」に慣れている事に恐怖を感じました。


そのため、個人病院に転職しました。
2年3ヶ月働いて、手術や検査など重要な事に関わらせていただき経験になりました。
いろいろあった結果、最終的には解雇されましたが(笑)

正確に言うと、弁護士さんやらなんやらやった結果「自主退職」扱いになってます。
取り決め上、理由等、公では言えないですが、病院の上の方は、心底怖いなと思った経験です。

また、当時一緒に住んでいた方にも追い出され、職と住むところ、お金もなくなるという暗黒時代を味わいました。

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「ニートからの脱却」

病院卒業後ニートしていましたが、就職活動はしていました。
病院関係を受けていましたが、全落ちしました。
まあ、そうゆうことです。察してください(笑)

半年たっても、埒が空かなかったので、派遣で事務しながら、恵比寿のBARでバイトして生計を立てていました。

BARでバイトして半年経ったころ、同店から店長のオファーが来ました。
恵比寿という場所柄のため、お客さんも良かったので承諾し、事務職はやめました。
この2年間は濃かったです。
スタッフが女性で曲者ばっかりだったり、赤字からの立て直しは大変でしたが、社長さんとか、会長さんと言われる人と、ラフに話せる機会が沢山あって勉強になりました。

その結果、お客さんでIT会社の社長さんに、仕事をもらうことになり、
SEとして独立するに至りました。

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「現在」

F-Creationを立ち上げ2期目に入ります。
かねてから勉強していた、Youtubeの映像編集も仕事に入ってきて、楽しさ倍増中です。

今までなんやかんやありましたが、乗り切ってきました。
メンタルは鋼です。
ですがその影には、数々の映画や音楽、本からの影響があります。

わたしの頭の中は音楽と映画と本で出来上がってると言っても過言ではありません。
それを言語化して、アウトプットの場として「note」を書かせていただきます。

わたしの経験が、どこかの誰かの役に立てれば幸いです。

2020年2月17日
F-Creation代表:ふっちぃ


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