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小さな選択が、のちの大きな選択に繋がっていく

こんにちは。

マスクはまだ通常とは言えないですけど、トイレットペーパーやティッシュペーパーの売り場はいつも通りになりましたね。そんな安心感とともに自分の人生を生きる心を思い出してきました。なんだか大袈裟ですがw

トイレットペーパーやマスクが品薄だったとき、物を失うことに対して不安がありました。また、自粛期間やロックダウンなんて聞きなれない言葉の恐怖心もあったので何かあっても困らないような備えを意識しました。そのあたりから、「自分のために買う」よりも、「困らないために買う」といった購買行動を取るようになっていきました。


街に出れば物が全くない、なんてことはないんですけどね。トイレットペーパーがなかなか買えなかったという記憶が心の中に不安を生み、気がつけば不安ベースで買い物をするようになっていました。

自粛期間も終わり、東京の感染者数は増えていますがそれでも通常の生活を取り戻しつつあります。でも、気持ちの中にはまだ不安が残っています。またトイレットペーパーが買えなくなんじゃないか、またマスクが買えなくなるんじゃないか。手洗いせっけんは大丈夫かな?と。


そんな生活をし続けていると、「やりたいことが分からない」頃の自分を思い出しました。

なんというか、どう生きたいのか自分で選ぶ感覚が鈍くなったように感じたのです。日々、生活の中で私たちは小さな選択をしながら生きています。ごはんを食べたりするなかにも、お肉なのか魚なのか。もうすぐ夏も近いし今はヘルシーなものにしようかな、とか。通常の夏であれば、Tシャツ買おうかな、それともワンピース買おうかな、夏っぽいカゴバッグ買おうかな?それともPVCバッグ買おうかな?とか自分の嗜好に合わせて買い物を選択してきました。

すごく当たり前のことなんですが、そういった小さな選択の中に、「自分らしさ」を感じているんですよね。でも、「自分らしさ」と引き換えに安心や安定を求めてると自分の思いに沿った選択が出来なくなってしまうんです。今回の場合は未知のウイルスで先の見えない不安から安定を求めて、「欲しいもの」を選択するのではなく、「必要なもの」を手にするようになりました。仕方ないことなんですけどね。。。^^;
でも、日々の小さな選択を大切に積み重ねていくことで、人生の大きな選択もきちんと出来るのかなって思ったりもして。

例えば、私は就職をするときに「したいこと」よりも、「この仕事であれば安心して生活が出来る」ことを優先していました。


それは昔から「(世間的に)そうしたほうがいいこと」を選んでいたから、「したいこと」や「欲しいもの」が分からなくなってしまったからだと思います。生きるための備えをしすぎて、自分のやりたいことを我慢してしているうちに見えなくなった自分の望み。そして、SNS上にいろんな人の楽しそうな生活が見えてしまうと、見えているその人生が正しいと脳が勘違いしてしまうんですよね。でも実際の幸せなんて人それぞれだと思います。私も目に見える、みんなが求める幸せが自分の幸せと勘違いしていました。

私の幸せは私の中にしかないんですよね。

じゃあ何が幸せなのかな?って考えた時、日々の中にある小さな選択を雑にせず、きちんと選んでいくことで見えていくのかなって思います。

全部丁寧に選択するなんて、そんな時間ないし面倒って思いますよね。そうなんです。全部丁寧に選ぶことは出来ないんです。自然と自分の中で「これは譲れない!」ってことを丁寧に選ぶようになっているんです。そこに自分らしさがあるんです(^^)

今私はアクセサリーを作って、たくさんの人に喜んでもらえたら嬉しいと思っています。そしてご購入してくださった方が、安定や誰かの目を気にするのではなく、「好き」とか、「欲しいから選んだ」という自分以外の人にはうまく説明出来ない感覚でアクセサリーご購入して頂いていたりすると、とても嬉しいと思っています。






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