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はじめまして

まずは、自己紹介をさせていただきたく思います。

ボクの経歴など、これを読んでいただく方に何の役にも立たないことを承知ですので、職歴は至極簡単に。

ワーナーブラザースという映画会社におりました。
コナミというゲーム会社で働きました。
ソニーミュージックという音楽の会社で務めました。

相棒と一緒にUMAというクリエイティブエージェンシーを作りました。

お話は、その後からです。


2016年5月20日夕食時、今まで経験した事のない尋常ではない痛みを背中に感じ、その瞬間から全く人生が変わってしまう病体験をしました。


大動脈解離、発生状態によっては、命を落とす事も少なくないこの病気に襲われたのです。

大動脈解離
急性のスタンフォードA型。
人間の一番太い血管である心臓から繋がっている大動脈の内幕が長軸方向に裂ける現象をいいます。急性心筋梗塞,急性肺動脈血栓塞 栓症とともに 3 大致死的循環器系疾患の 1 つに数えられ、発生頻度は、10 万人に 2〜4 人程度との報告があります。

ボクの場合は、発症場所が心臓に近い部分で、心臓まで3cmのところで緊急手術は行われました。

さらに、状態は下行大動脈まで一気に亀裂が走り、まずは、救命手術を行い、状況を見て複数の手術を余儀なくされるものでした。

最初の救命手術を受ける段、致死率は95%の状態でした。

そこからは暗い闇の末、現実とはわからない痛みと苦しみの中で、死まではこれほどまでの苦しみを受け入れなければいけないのかともがきました。

しかし、その苦しみは「死」のためではなく、「生」のためだったのです。

目が覚めて自分が生きていると知った時から人間の形を取り戻していくまでに思った詩


『ASAGAKITA』

ほら、足元が輝きだした
人生の目的を探す旅 今、君の横にある
見つけて終まわぬように 気づかぬように
知識や経験じゃなく 衝動でそれを引き寄せて

漆黒の中の手探り でも焦らないで 既に手にしているよ。

答えを探さぬように 調べ求めず
教えや計画じゃなく 瞬間の自分を信じて

手にしたぬくもり それが真実なんだ 眩しいほどの未来 強く強く抱きしめて

ASAGAKITA HIKARINAWASURESO

掲げたpowerに強く祈りを込めて

自分の持ってるLightに電源を入れ
さぁ強くあの先の 世界を照つけろ
そして場所を見開けて 大丈夫自分を信じろ

ASAGAKITA ASAKIYUMEMISHI
ASAGAKITA ANATANIAITAKUTE


operation 1 救命手術


急性大動脈解離の緊急救命手術を受け、医師が想定していたより強い回復力を見せ、退院を向ける頃には、全てを取り戻した気分になっていました。


病院内でも、どの患者よりも元気に振舞い、身も心も自分をだますように活動しました。


しかし、退院後の生活はそれほど易いものではありませんでした。
体力の減退、意識の停滞、集中力が薄れ、それをひた隠しにしながらの対応。

「もう、すっかり元の通りですよ」と嘘ぶいていましたが、所詮、空元気の嘘は長く続かない。
結局、その年の冬に二度目の手術を受けることになりました。


救命手術後に、主治医から申し伝えられていた二度目の手術はある意味、予定されたものでしたが、主治医が望んだのは、「二度目の手術はできれば5年後を想定したい」


つまりは、リスク避け、延命を図るにはできるだけ時間を稼ぎたかったのですが、予定の5年がその十分の一の半年に繰り上がってしまったわけです。


Operation 2 上行大動脈+弓部大動脈+脳血管置換術

二度目の手術は14時間を要しました。

ICUで目を覚ました直後に、「あぁ、この手術は失敗だったんだな」と自覚しました。

呼吸が苦しく、息が出来ない上に、尋常ではない痛みがぶり返す。

この状態を続けることは不可能で、意識が続く限りの地獄だと認識しまいsた。

しかし、人間の回復力は大いなるものです。
一秒が辛く苦しかった段階が五秒になり、十秒を耐え、少しずつできるが増えていくと意識は可能性を求めだす。


しかし、今回はただでは済まなかった。
脳血管置換術の際に反回神経に触れ、左声帯の麻痺という障害を産みました。

つまりは、声を失ったのです。

それでも最初は全く出なかった声も徐々に取り戻し、訓練の末、ドナルドダックほどの嗄れ声に落ち着きました。

その後、

Accsident 外傷性くも膜下出血
Operation 3 腹部大動脈置換術
Operation 4 胸部大動脈ステントグラフ術


を発症3年の間に経験し、自分の人生でできなくなったことを一つひとつ積み重ねていきました。
そして、2019年を迎え思い当たったのです。

自分の人生はこの歳で終わるなと。
その年は年の初めから調子が悪かったことと、自分の父親が没77歳、母親が没37歳だったことで、間の57歳が決められた運命と強く思ったのでした。

そこで、この一年でよりよい最後を迎えるために考えたことが、

チームを作ること

UMAで掲げたように、響きあうチームメイトがいればその仕事が志半ばで自分だけリタイアしても続いていってくれる。そう思ってプロジェクト企画を書き出しました。


しかし、自分の能力のせいもあって、チームがうまく構築できない。
焦った挙句に、残りの時間を考え暴挙を考えます。それが、

終活の就活

終わりにこの逆で決めてやろうと思い、就活に打って出ます。

しかし、57歳の老年に就職は簡単ではありません。

エージェントを通して3社ほど、内定をいただきましたが、そもそも目的は「就職」ではなく「就活」だったことで、心が萎えて、目的は達せられたと思ってしまいました。

就活にご尽力いただいた人には、全くもって不義理な話です。
そんな中、意識していた57歳は風のように通り抜け、予定していなかった2020年に足を踏み入れることになったのです。


強く焦りました。


予定していなかった未来がやってきた。

全く何も用意できていない。


迷った挙句、何か発信をしなくてはと思いつき、

⁂ 2020年1月:娘と一緒にYouTubeを始めました ⁂
  ディズニー顔くらべ ディズニーデートの豆知識

⁂ 2020年2月:眠っていたTwitter始めました ⁂
  人気者創造研究所

⁂ 2020年2月:個人サイト作りました ⁂
  MasateTube

⁂ 2020年2月:自身のYouTube始めました ⁂
  人気者創造研究所

⁂ 2020年2月:朝のつぶやきYouTube始めました ⁂
  Morning Voice

そして10年ぶりにBlogを書き出しました。

今は、小学生のように思っています。
いつ来るかわからない時までの「最後までBlog」

その時まで、僕は、ブロガーになりたい!
      僕は、ユーユチューバーになりたい!
      僕は、インフルエンサーになりたい!
      僕は、何かを届ける人に、なりたい…。

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