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M0-LIVE! ケース6:ロックを貫け!

とある企業が発行した無制限無期限かつ支払い不要で使用可能なカード。それが発端となり、最終的に通貨そのものが無くなった世界。それは一体どんな世界なのか?
この物語は中学生への職業紹介講演という大役を請け負った男 斉藤正俊さいとうまさとしが、資料作成のための取材という体で「お金のない世界」を体験する、一種の思考実験である。
緒言(設定):お金が無くなるまでの話
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正俊の休日

正俊を起こしたのは鳥の声だった。
やたらと近い距離から聞こえるのは、ベランダの柵の上で待ち合わせでもしているからだろう。
薄目を開けて窓の方を見やると、カーテンの隙間から強めの日の光が部屋の中に差し込んでいるのがわかる。

もう7時を回った頃だろうか。

普段であれば今頃は着替えて出社の準備をしている時間だが、もそもそと布団の中で惰眠だみんをむさぼる正俊は気の抜けた声で一言つぶやく。

「・・・休日ってサイコー・・・」

このまま二度寝に突入するべく、先ほどまで見ていた夢の続きを思い出そうとする正俊だったが、声帯を震わせたことにより徐々に頭の中がクリアになっていく。
冷気にも似た頭の冴えと、布団の暖かいぬくもりの狭間でもがいていた正俊だったが、ついに目を閉じ続けるのも辛くなり、二度寝を諦めて起床することにした。

「・・・テレビつけてー」

呟くような声ではあったが、敏感に反応した音声センサがテレビの電源をONにする。
ニュースキャスターの淡々とした声が、そのまま朝のリズムに置き換わったのか、普段通りにベッドから這い出て浴室へと向かう。
未だ目覚め切れていない体のぼんやりとした熱を感じながらも、頭では今日の行動予定を組み始めていた。

普段ならば正俊の休日の行動は大体決まっている。
朝食もそこそこにバイクに乗って軽くツーリング。
昼はファストフードを摘みながら町をウィンドウショッピング。
夜は友人と飲みに行くのが通常のルーティンだが、今日は他の友人に誘われてライブハウスへ遊びに行く予定が入っている。

待ち合わせの時間は午後5時。

シャワーを浴びた後、シンプルなTシャツとショートパンツに身を包み、冷房の真下にあるデスクへと腰かける。タオルで荒く水分を取っただけの髪に当たる風は涼しさを通り越して、冷たい。

時間はたっぷりあるので、逆に何をして過ごそうか迷った正俊は、とりあえずネットの動画サイトでライブの予習をしておくことにした。

本日の目当ては友人の知り合いがやっているロックバンド。
結成してから2年ほどと、まだ若いバンドだが最近フォロワー数も伸びてきているらしい。
友人から送られてきたプレイリストを端から順番に聞いていこうと思い、再生ボタンを押そうとした瞬間、正俊の腹が抗議の声をあげる。

「わかった、わかった。今からご飯を食べに行くから、もうちょっと待っててくれ」

自宅のオーディオで聞くのを諦め、ワイヤレスイヤホンを耳に着けながら玄関へ向かう。
どうせ冷蔵庫の中にはビールしか入っていないのだ。
朝食は外で食べることにした。

玄関を出ると愛用の眼鏡型HMDとリンクしたイヤホンから先ほど登録したプレイリストの曲が流れ始める。
イントロは軽快なドラムソロ。
それに影響されたのか、マンションの廊下に響く正俊の足音もリズミカルなものだった。

近所にあるスーパーモールまでの通いなれた道のはずだが、イヤホンから流れる音楽がいつもとは違う道へと変えていく。

ドラムのリズムが、蹴り返してくる舗装ほそうの硬さを。

ベースの低音が縁石の脇に生える雑草のたくましさを。

ギターの突き抜けるような高音が、青空の高さを気づかせてくれる。

変哲もない交差点でさえも、その角を曲がることで次の新しい世界を見せてくれるような、そんな気さえしてくる。

思わず歌が口をついて出てきそうになったとき、HMDを通した視界の端に黄色い文字で警告が出た。

『後方より接近、注意』

警告に連動して音楽のボリュームも絞られ、ノイズキャンセリング機能もOFFになる。

後を振り向くと、自転車に乗った子供たちが近づいてくるのがわかった。
そのまま歩いていても良かったが、なんとなしに道の端に寄り、彼らが通り過ぎるのを待つ。

丁度、街路樹の日陰に入ったことで照り付ける日光から逃れた途端、それまで生ぬるいと感じていた風が、りょうを運んでくれるものに変わった。

ジワリと浮かんでいた汗が冷える感覚を味わいながら、音楽に意識を戻すが、丁度曲のサビに差し掛かるところで子どもたちの賑やかな声がそれをかき消していった。

多少残念な気持ちもあったが、それも含めて音楽だ、なんて心中で格好つけてみると、誰に聞かれたわけでもないのに急に気恥ずかしくなってしまうから不思議だ。

「あー、腹減ったなー」

照れ隠しにひとり呟いてみるが、それが逆に自分を追い込んでいることに気付くと、体温が急上昇したのか耳の裏を汗が一筋流れる。

締まらないなぁ、と軽く舌を出し、首筋まで流れた汗をTシャツのすそで雑にぬぐうと、また灼熱の日向ひなたへと一歩踏み出した。


朝食は手作りを

ガラス戸を境に、正俊は天国へと足を踏み入れた。
快適な温度に保たれたスーパーモールの空調は、正俊の汗を吸ったシャツを一気に冷やす。

「さむっ! 汗をかき過ぎた。朝飯の前になんとかするか」

瞬間的な温度変化に身震いをした正俊は、まず衣料品コーナーへと向かった。

整然と並べられている服の中から、飾り気のないベージュ色のTシャツを見繕うと、それを持って試着室へと足を向ける。

濡れて体に張り付くシャツを苦労しながら脱ぐと、試着室の棚にストックされているタオルを一枚手に取り、汗をぬぐう。

主に女性が試着する際に化粧移りを防ぐため使用するタオルだが、汗をかく季節にはよくお世話になっている。

手早くTシャツを身にまとった正俊は、汗を吸って重くなった服とタオルを持ち、ランドリーコーナーへと向かった。

使用したタオルを回収するBOXは試着室の隣にもあったが、自身の汗で濡れたタオルをそのまま入れることに抵抗を感じた正俊は、一度洗ってからランドリーにもある回収BOXに返すことにしたのだ。

モールの隅に位置するランドリーコーナーに到着した正俊は、その閑散とした空間を見渡し、空いている洗濯機を探す。

店舗側から入った正俊の正面には外へ出られる扉があり、左手には洗濯乾燥機が背中合わせで10台ほど並んでいた。

運よくどれも未使用であったため、入り口に近い2台の洗濯機に服とタオルを突っ込むと、乾燥までの自動モードを選択し、洗濯をスタートする。

洗濯機が回り始めると、表示された乾燥までの時間を確認し、自身の端末にアラームをセットする。

「40分、と。朝飯を食べたら丁度良いくらいだな」

そう独り言ちながら、正俊は行きつけのデリカコーナーへと向かった。

今日のデリカは賑わっていた。
丁度いい時間帯だからだろうか、朝食を外で食べようとする人たちが集まっているのを見た正俊は少し気後れした。

「冷房が効いているから涼しいことは涼しいんだけど・・・今はちょっと遠慮したいかな」

人混みによる熱気を想像した正俊は、洗濯終了までのタイムリミットがあることもあり、注文ではなく出来合いの総菜で軽く済ませる方向に思考を変えた。

店頭に並んだ人気商品をぐるりと見渡す。

夏のこの時期は、やはり冷たい総菜の載った大皿が数多く並べられているが、同じくらい多いのが赤い色彩の総菜だった。

「麻婆豆腐、麻婆茄子、キムチにホットエビチリっと。食べるとさらに汗をかくと分かっているのに、何故こうも人は辛い物を求めるのか・・・俺もその一人だけど」

そこまで辛い物が得意というわけではない正俊も、目の前に広がる赤い料理を見ていると、自然と唾が湧き出る。

持ち帰り用のパックを手に取ると、その中をどんどん一色に染めた正俊は、業務用の炊飯器から白米を別のパックに入れ、それらを割りばしと一緒にビニール袋に入れると、意気揚々とフードコートへと向かった。

広い空間に沢山の椅子とテーブルが並べられているフードコートは、今日も賑やかだ。どうせなら外の景色を眺めながら食べようという心づもりの正俊は、家族連れの目立つテーブル席の横をすり抜け、窓際のカウンター席へと向かった。

窓の外に広がる景色は広大な公園だった。

ショッピングモールを挟んで住宅街とは逆側に広がる公園では、犬の散歩をする人やスポーツに勤しむ若者、木陰にレジャーシートを広げてピクニックを楽しむ家族など、誰もが思い思いの休日を過ごしていた。

正俊が選んだのは草野球を楽しむ少年たちが良く見える席だった。

どこからか借りてきたのだろう、点数ボードには『9裏 赤10ー青8』と表示されているのが確認できた。
どうやら帽子の色でチーム分けしているらしい。
何気に人数を数えてみると、赤チームは7人で、青チームが8人。野球の定員である9人にはどちらも足りていないが、彼らにとってそんなことはどうでも良いことなのだろう。

今は青チームの攻撃のようで、ランナーは一塁と二塁にいる。
赤い帽子をかぶったピッチャーが白黒のツートンカラーのボールを投げる。
それを迎え撃つ青い帽子のバッターは緑色のプラスチックバットを思い切り振るが、わずかに掠っただけに終わってしまった。

これだけ離れていて、窓ガラスも挟んでいるのにも関わらず、正俊の耳にはボールとバットが掠った音が聞こえた気がして、思わず首をすくめる。
キャッチャーから返ってきたボールをピッチャーがグローブでキャッチする。
すぐに次の投球に移るかと思いきや、何やら両手を大きく広げながらクルクルとその場で回り始めた。

急に始まったコミカルな動きに目が点になる正俊だったが、ふと何かに思い当たると、自身のAR端末を操作し始める。

「ええっと、近場でサーチ・・・お、あったあった。これかな? 《激闘!?AR草野球 VER.3.1.1》。オープン回線を視聴、っと」


眼鏡型AR端末を通した先の視界が一瞬で切り替わる。

すると、先程までは青々とした芝生の広がるフィールドだったそこは、灼熱の炎に包まれたスタジアムへと変貌を遂げていた。

マウンドの中央で回るピッチャーの周囲には火炎旋風が巻き起こり、周囲に熱波をまき散らしている。視覚情報だけなはずなのに、まさに肌で感じるその熱に、正俊は自身の頭皮から汗がにじみ出るのを感じた。

「なにもこんな真夏日に炎を出さんでも・・・」

思わず口をついて出た言葉だったが、相手方だけでなくフィールドに展開するチームメンバーも顔をしかめているところを見ると、今、皆の心は一つになったようだ。

炎の竜巻が天上にまで達すると、その姿はとぐろを巻いた龍に変化した。
次の瞬間、腕を大きく振りかぶったピッチャーの声がAR端末から骨伝導を通して正俊の鼓膜に響く。

『必殺! 炎龍咆哮破!!!!』

声と共に振りぬいた手の先から勢いよく飛び出すボールに天上から垂直降下した炎龍がまとわりつく。
赤い螺旋を描きながらキャッチャーミット目掛けて飛んでいくそれは、まるで太陽のように白く眩しく、直視するのも困難かと思われた。
しかし、対するバッターは焦ることなく迫りくる光球に青白く輝くバットを合わせ・・・

会心の一撃クリーンヒット!!】

実況システムによる言葉通り、ボールの芯を捉えたその一撃は強烈な一閃ライナーとなり、セカンドとショートの間を抜けていく。

その軌跡を追うように地面には次々と氷の柱が立ち上がり、周囲に薄い霧を生み出していく。
一直線に連なる氷柱は、さながら御神渡おみわたりのようで、その光景はある種の神聖さを感じさせた。
アイスピックで氷を割るような音を伴いながら進撃するボールは、跳ね上がるレフトのミットの上を掠るように飛び越え、それでも勢いはまずにスタンドへと到達した。

一撃必殺ホームラン!!!】

実況の宣言とともに、スタジアム全体が氷に覆われ、会場は歓声に包まれる。

その場に崩れ落ちるピッチャーを尻目に、青チームのランナーは悠々とダイヤを回る。

『くそっ、俺の炎龍咆哮破が破られただと・・・? あと一球抑えれば俺たちの勝ちだったのに・・・』

悔しさを滲ませながら独り言ちるピッチャーは勝負を決めた打者を見やると、その背に表示されているアイコンが目に入り愕然とした。

『・・・なっ、アイテムカード【サングラス】だと!?』

『備えあれば憂いなし、だ。【激闘!?草野球】を甘く見るなよ?』

ホームベースを踏み、待ち構えていたチームメイトの歓迎の嵐の中に消えながら、最後の打者ラストサムライはそう、呟いたのだった。


「何これ。最高に面白い」

ご飯を食べることすら忘れて見入っていた正俊は、そのまま動画サイトで激闘!?草野球の配信プレイを検索するのだった。




ライブハウス『BACK GEAR』

結局、待ち合わせまでの時間のほとんどを草野球視聴に費やした正俊は、興奮冷めやらぬままに、今回ライブに誘ってくれた友人である佐久間さくま省吾しょうごと合流した。

「おっす、正俊。久しぶり! 元気してた?」

「省吾こそ元気にしてたか? 俺は今猛烈に燃えているぜ!」

「よし、聞こうか。何があった?」

「いやぁ、今日たまたまAR草野球やってるところを見てね。動画サイトでプレイ動画見てたら止まらなくなっちゃってさ」

「相変わらず影響されやすい奴だな。AR草野球ねぇ。ARフットサルなら見たことあるけど」

「おお、それも面白そうだな。明日見てみるよ」

「まぁ、ほどほどにな。はまると際限なくなっちゃうから」

「これだけ面白かったら、さもありなんってところだな」

深く頷く正俊に呆れた目線を向けながらも、省吾は腕時計で時間を確認する。

「立ち話もなんだし、もう会場入りしようぜ。ちょっと早いけど、飲みながらだとすぐだろ」

「行こう行こう。そういえば、俺はライブハウスに行くのって初めてなんだよね。通りすがりに入り口をみることは良くあるんだけど、なかなか踏み出す勇気が持てない」

「まぁ、始めのうちはそうだよな。なんとなく暗いし、チラシが山ほど貼ってあるし、中が見えないから雰囲気も推し量れないし。何より入ったところで、自分の知らない曲を演奏されてもな、って思っちゃうんだよな」

「そうそう、そうなんだよね。勇気を出して入っても居心地が悪かったらと思うと、なかなかね・・・」

「俺もロックやってる友達に誘われるまではそうだったからなぁ」

「お? それって今日のバンドの?」

「そうそう、今売り出し中のロックバンド『貫通ロック』のギターボーカルやってるツラヌキって奴が大学の同期でさ、まぁ、ことあるごとに夜通しロックの素晴らしさってやつを聞かされたもんだよ・・・ちなみに、今日のトリ・・な」

「”貫通ロック”で”ツラヌキ”って・・・」

「言っておくけど、本名じゃないぞ」

「あ、そうなんだ。で、省吾も無事ロックに洗脳されたというわけか」

「そこまで突き抜けてはないけどな。そんなこんなで、ここが今日のハコ、『BACK GEAR』だ」

省吾の指さす方向に目線を向けると、商業ビルの一階部分に黒い両開きの扉があり、その表面にはライトグレーで『BACK GEAR』という文字が描かれていた。周囲の外装は黒の木目調で、ビルの二階部分まで伸びていることから、二階部分までを使用しているのだろう。

ドアの斜め前には本日のライブ奏者達のビラが貼りつけられたボードがイーゼルに立てかけられていて、液晶ボードが主流となって久しい昨今では珍しく、アナログな雰囲気を醸し出している。

「ここのライブハウスはそんなに大きいわけじゃないけど、BARを兼ねている昔ながらのハコでさ、未だにワンドリンク制なんで、入ったらまずはドリンクを注文すること」

「ワンドリンク制って?」

「昔はライブハウスの規制が厳しかったみたいでさ、飲食店扱いなら出店しやすかったんだと。だから表向きは生演奏の楽しめるBARとかカフェって形にしてたということらしい。まぁ、今はそこまで厳しい規制もないみたいだけどな」

「ほほぅ、ってことで、飲食店だから何か注文しなきゃいけないってことになるから、ワンドリンクと」

「正解。ここは昔の雰囲気を大事にしたいらしくって、料金を払うわけでもないけど、飲み物は必ず注文してほしいってことだ。まぁ、マスターの趣味だな」

「それなら納得だな」

慣れた様子でドアを開き、中に入る省吾の後を追い、正俊は人生初のライブハウスへと足を踏み入れた。

建物正面に窓がなかったため、勝手に薄暗いものだと決めつけていたが実際はそんなこともなく、目に優しい暖色の光と清潔感に満ちた部屋がそこにあった。
普通の喫茶店よりは少し狭いくらいのスペースに椅子とテーブルが並べられており、奥のカウンターでは白髪をオールバックにし後ろで束ねた、趣のある壮年の男性がグラスを拭いている。
壁も床もダークブラウンの木材で統一されており、正俊の靴底を柔らかく受け止めてくれた。

奥にあるのであろうライブスペースへの入り口はカウンターの横にあり、その手前に小さく区切られた木製のブースがあった。
ライブハウスというものに対する予想を裏切られ軽く面食らった正俊だが、それを表情に出さないように努めながらも、勝手知ったるとばかりにカウンターに向かう省吾の背中を追いかける。

「マスター、二人。俺はジントニックで。正俊はどうする?」

「ああ、俺は・・・同じで良いかな」

ここに来るのは初めてで、何が置いてあるのかもわからない正俊である。一瞬迷ったものの、そのまま同じものを頼むことにした。

「了解、ジントニック、二つでよろしく!」

「毎度あり。ほい、ジントニックとチケットだ。そっちの兄さんは初めてだろ? そこのブースに居るもぎり・・・の姉ちゃんにチケットを渡して入ってくれ。ステージの方にもここと同じようなカウンターがあるから、飲み終わったカップはそこに返却。追加の注文もそこでだ。他に何か質問はあるかい?」

「いえ、大丈夫です。楽しませてもらいます」

「いいね、目いっぱい楽しんで行ってくれ」

右の口角を上げてニヤリと笑って返したマスターに軽く会釈をすると、出されたプラスチックカップに入ったジントニックとチケットを手にした。
マスターはグラスを拭いていたのに、出てきた飲み物はプラスチックカップだったことにちょっとした違和感を感じつつも、チケットブースへと向かうと、そこでは省吾とモギリの女性が慣れた様子で話している。

正俊が近づいてくることに気付いた省吾が、女性を手で示しながら紹介する。

「正俊、こちらがこのハコの看板娘のサリーさんだ」

「どうも、サリーです。初めてのお客さんは10倍歓迎するわ。これからもよろしくね」

「おいおい、サリーさん。俺のことも歓迎してよね。常連なんだから」

「もちろん、歓迎してるわよ。常連さんは20倍歓迎してるわ」

「そうこなくっちゃ! 正俊、サリーさんはガールズバンド『レディ・ジョーカー』のヴォーカルもやるんだぜ。今日は出るの?」

「今日は後輩がハコデビューするから、その応援も兼ねた手伝いってところ。前座も兼ねて最初に演奏するから、暖かい拍手をお願いね」

「おお、任せてよ! ホッカホカの拍手をお見舞いしてやるぜ」

「あはは、ありがと」

常連同士の会話に置いてけぼりになりつつ、サリーと名乗った女性に視線を送る。
軽くパーマを当てた肩口まである黒髪に、切れ長の目元はできる女を思わせる。
健康的な小麦色の肌を惜しみなく強調するように、トップは肩まで見える黒のノースリーブで、足首の見える白いクロップドパンツとの相性も良い。
低めのハスキーな声は自信に満ち溢れていて、ヴォーカルを担当しているというのも頷ける。

「サリーさん、本日はよろしくお願いします。これ、チケットです」

「はい、確かに。正俊君だっけ? そんなに硬くならなくて良いのに。ここでは最低限のマナーさえ守れれば、あとは無礼講。敬語なんていらないんだから」

「そうだぜ、正俊。この俺を見習えよ。このフレンドリーな感じを」

「そうそう、こんなので良いんだから」

「こんなのって、サリーさん。それはないよー」

「はいはい、じゃあ正俊君、チケットの半券をどうぞ。ステージはそこの黒い扉の先にあるから、楽しんでいってね」

「はい、サリーさん。ありがとうございます」

「硬い硬い。おろしたての石けんくらい硬いぜ、正俊」

「ふふ、それはすぐに溶けそうね」

二人にからかわれながらも、その場を逃げ出すように先に足を進めた正俊は、鈍く真鍮色に光るドアの取っ手を掴む。

ゆっくりと開いた重量感のある扉の中を覗き込むと、そこには薄暗い空間が広がっていた。


壁際にはハイテーブルが並べられ、明度を落とした間接照明に照らされている。
表のカウンターの丁度裏側に当たる場所には同じようにバーカウンターが据え付けられていて、ライブ中の注文も受け付けてくれるようだ。

表の落ち着いた雰囲気とは裏腹に、大音量のユーロビートが場の空気を支配している。

初めての雰囲気に飲まれ、身の置き場に困った正俊は、とりあえず一番奥の隅まで移動する。

右手に持ったジントニックを一口あおると、ハイテーブルの手前に固定されている椅子に腰かけた。

座った勢いで回転する座面のままに、ライブスペースを観察する。
部屋の大きさはそこまで大きくはないが、天井が高い。
上を見上げると照明機材やスピーカーなどが吊るされているのがわかる。

「ビルの二階部分はこのためのスペースか」

ひとしきり天井を眺めた後、部屋の暗さに慣れてきた視線を下に戻し、先ほどまではシルエットにしか見えなかった他の観覧者を確認する。

ライブが始まるまでまだ20分程あるが、見たところ半分くらいはスペースが埋まっているようだ。
ステージの前1mくらいのところには腰くらいの高さにロープが張られ、いわゆる”かぶりつき席”というものだろうか、そこはすでに常連や演者の関係者と思われる人たちでごった返している。
中には手に電気式のサイリウムを持つ人もいて、通いなれている雰囲気がそこからも感じられる。

「正俊、こんな隅っこに居ないで、もっと前にいこうぜ」

「まだ時間あるだろ? あの雰囲気の中にソロで突入するには、勇気が足りない・・・」

「遠慮するなって、ほら、早くそこにある勇気を補充しなさい」

そう言って正俊がテーブルに置いたドリンクを指さす。

「アルコールは勇気の源ってな」

「その意見には賛同するけど・・・」

「どうせライブが始まったら手にドリンクなんて持ってられないんだし、始まる前に飲み干してしまって、両手をフリーにした方が良いって」

「一気飲みは感心しないな」

「誰も一気に飲めとは言ってないだろぉ? 始まる前に飲んでおけってこと! 他意はないからな」

「はいはい・・・ふと思ったんだが、ロックのライブにサイリウムってありなのか?」

「ん? ああ、あそこの連中はアイドル系サポーターだな。今日はノンジャンルのライブだから、アイドル系のユニットも参加するのかな?」

「そういうことね。なんだか、ロックバンドとサイリウムっていうのがあまりピンとこなかったんだよね」

「まぁ、そう捨てたものじゃないぜ。あいつらはジャンル問わずにサイリウム振るけど、それがまた視覚的に鮮やかでおもしろいんだよ。思わず気分が向上するってわけだ。今じゃロック目当てでもサイリウムを用意するファンも増えてきてるな」

「ほうほう、異文化交流って奴ですか」

「うーん、まぁ、そんな感じ?」

省吾から昨今のライブハウス事情を聞きながらも、ドリンクを飲み干した正俊はライブスペース側のカウンターへ向かい、スタンバイしている男性スタッフにカップを返却する。

「ごちそうさまでした」

「はい、どういたしまして。おかわりはいるかい?」

「いえ、今のところは大丈夫です」

「了解。ライブが始まると声がきこえなくなるんで、追加の注文があったらそこのタブレットで注文してくれ。そうすると俺の端末の方に表示されるから」

「わかりました。じゃあ、また後でお願いします」

「おう、楽しんでいきなよ」

スタッフと軽くフレンドリーな会話を楽しんだ正俊は、開演間近となったライブスペースを改めて見渡す。

客入りはスペースの7割程度といったところか。
なかなかの混みように、心なしか気分が盛り上がってくる。

省吾の元へと戻ると、全体の照明が暗くなり、ステージへスポットライトが当たる。

そこに立っていたのは先ほどまでもぎりをしていたサリーだった。

「はーい、みんな! ライブハウス『BACK GEAR』のジョイントライブへようこそ! 今日はノンジャンル。普段は聞かない音楽も、今日は目いっぱい楽しんで行ってね!」

所謂前口上というものだろうか。音量を抑えたバックミュージックを背景に、サリーのハスキーボイスが心地よく響く。

看板娘の名は伊達じゃないようで、常連の女性たちから黄色い声援があがった。

「まず登場するのは本日が初舞台、私のバンド『レディ・ジョーカー』の後輩でもある『ランブル・ビート』!! これからどんどん活躍していく予定だから、みんな応援してね!」

客席からは新人たちに惜しみない拍手が送られ、自身も拍手しながらサリーが舞台脇にはける。

BGMも消え、照明が暗転する。

次にスポットライトが当たったのはステージ中央のマイクスタンドの前にたたずむ、10代半ば程と見られる女性だった。

傍目にも緊張していることが見て取れるほどに体がこわばっているのがわかるが、意を決してマイクに手を添えると第一声を発する。

「みなさん、こんばんは! 本日、ハコデビューすることになった『ランブル・ビート』です! まだまだ自信はないですが、精一杯演奏しますので、よろしくお願いします!」

気を張り過ぎたのだろう、音が割れるかと思うくらいに大きな声で挨拶した彼女に、それを超えるくらいの大きな拍手が出迎える。

「だいじょうーぶ!! 自信は後からついてくる!! 俺らに任せて!!」

そう声をかけたのは、省吾だ。

突然隣から発せられた大声に驚き、省吾の顔をまじまじと見つめる正俊だったが、それを機に周囲からも応援の声があがる。

皆が優しく暖かく、このライブハウスに集う新しいメンバーを歓迎していることが窺え、緊張で震えていたヴォーカルの子も、涙目になりながら声援に手を振ってこたえていた。

「記念すべき始めの曲は、私たちが尊敬する先輩バンドのデビュー曲をお借りします。聞いてください。『レディ・ジョーカー』で【フラッシュ】」

ドラムのハイハットを鳴らす4カウントから、16ビートのイントロが始まる。ギターとベースが同じリズムを刻む単純なものだったが、色とりどりの照明の効果と会場の熱気も手伝い、見ている者の心を急激に熱くしていく。

イントロから曲のメインとなるだろうメロディラインに移ると、観客から雄たけびのような声があがりはじめた。

ふと、舞台のそでの方に下がったサリーに目を移すと、彼女は顔を両手で覆っている。

自分達のデビュー曲を使われたことに恥ずかしがっているのかと、一瞬思う正俊だったが、すぐにそれは間違いだということに気付く。

彼女のわななくように開いた唇と、顎を伝う水滴を見れば、それがどういう感情によるものかは、聞かずともわかる。

「良いね。すごく良い」

自然と笑顔になった正俊はそう呟くと、ステージ上で全身全霊をかけたパフォーマンスを魅せる彼女たちに届けとばかりに、拳を振り上げた。

そして打ち上げへ

「サンキュー!! お前ら、サイコーだぜー!!」

最後のトリを務める『貫通ロック』のヴォーカル、ツラヌキの声がライブハウス全体に響き渡る。

今日の出演バンドは6組、都合3時間のライブは大成功に終わった。

健闘した『ランブル・ビート』の他にも、ジャズバンドやアイドル系バンドの演奏も盛り上がり、最後の『貫通ロック』まで興奮と熱気が途切れることはなかった。

ライブ演奏になじみのない正俊も、気づけば全身が汗でびっしょりになるほど全身で音楽を楽しんでいた。

「よーっし、お前ら、この後は打ち上げだ! 自由参加だから、来れる奴は全員来い! 一杯やろうぜ!!」

ツラヌキの言葉に、興奮冷めやらない観客から盛大なコールが飛ぶ。

「「「ロック! ロック! ロック! ロック!」」」

どうやら『貫通ロック』のコールは「ロック」で決まっているようだ。

ひとしきりコール&レスポンスを楽しんだツラヌキは、再度マイクを握り観客に向け最後のメッセージを送る。

「やっぱりお前らはサイコーだぜ! そうと決まればさっさとテッシューだテッシュー。早く片付ければ、早く飲める! さぁ、始めるぞ!」

観客からの応という声と共に、演者観客の隔てなく片づけが始まる。
ゴミの回収から、床のモップ掛けまで。

5分もすれば大型機材以外は何もない空間になっていた。

「この行動力は凄まじいな」

正俊が感嘆の声を漏らすと、省吾がそれを拾った。

「ライブ後の興奮も手伝ってるんだろうけど、ここの客層は行動力に溢れてる奴らが多いからな。片づけに至っては慣れたもんだよ。俺は打ち上げに行くけど、正俊はどうする?」

「そうだな、俺も行こうかな」

「そうこなくっちゃ。そんじゃ行こうぜ。場所はこの集団についていけばわかる」

そう言って指さす先を見ると、見事な2列縦隊で動き出す打ち上げ参加者達がいた。

それを見た二人も列の最後尾に着き、流れに沿って移動を始めた。

「なんでこんなに規律が良いのさ?」

「ノリだよノリ。何時だったか忘れたけど、ごちゃごちゃしてなかなか参加者が動かなかった時にツラヌキの奴がぶち切れてさ。早くしないとビールがぬるくなっちますだろうが! 手前ら、さっさとそこに並びやがれ! とか言ってキレイに行列作ってんの。それがまぁ、効率が良いのなんのって、打ち上げ開始時間が30分は早まったわけ。それ以来、打ち上げ参加者は自発的に並んで行進することになったとさ」

「確かに効率は良いけど、もはやライブの打ち上げというよりはツアー旅行客では?」

「先頭に旗振らせてか? こちらが、本日のお宿となっております~」

「それそれ。食事の時間は30分後となっております~。お土産をお求めの際は1階の売店をご利用ください~とかなんとか」

二人がツアー旅行の”あるある”を話しながら列についていくと、10分程で打ち上げ会場となる店にたどり着く。

店の前面にはショーケースがあり、何故かギターやドラムセットが飾られていた。

「ここが打ち上げ会場? なんだか飲み屋には見えないんだけど」

「だよな、一見すると楽器屋にしか見えないけど、これで普通の飲み屋なんだぜ? ただ、ライブスペースがあるだけで」

「それは普通とは言わない」

「ははは、楽器持ち込みOKの店ってことで、バンドマンたちに人気があるのさ、その代わり静かに飲みたいって人には適さないけどな」

「それはまた、賑やかそうなことで」

「むしろ騒がしい」

「あえてオブラートに包んだんだよ。破るなよ」

店の中は大分広くライブハウス程ではないが天井も高くなっている。
広間には6人掛けの丸テーブルが並べられており、テーブルの上には注文に使うであろうタブレット端末が置かれていた。
最奥には小さなステージがあり、その上にはドラムセットが置かれているのが見える。基本的に楽器は持ち込みとのことだが、さすがにドラムだけは据置されているようだ。

店に入った順から奥の席を埋めていき、正俊たちも空いたテーブルの席についた頃になって演者たちが打ち上げ会場に到着した。

綿貫わたぬき! こっちこっち!」

省吾が演者たちに向かって声を上げる。

「お、省吾! 今日もサンキュな。友達も誘ってきてくれたんだろ? マジ感謝!」

そう返しながら近づいてきたのは、貫通ロックのツラヌキだった。
どうやら本名は綿貫というらしい。

「いいってことよ! 紹介するわ、今日連れてきた友達の正俊」

「斉藤正俊と言います。今日は楽しい演奏を聴かせていただき、ありがとうございます」

「硬い! 硬すぎる! 省吾の友達にしては品が良すぎないか?」

「おい、それってどういうことだよ」

「説明はいらんだろ。俺は綿貫信也、ここでは ”ツラヌキ” で通ってるから正俊も、そう呼んでくれ。あと、敬語は要らないから、もっとフランクに話してくれ」

「ん、了解。それじゃこんな感じで」

「おう、よろしくな!」

互いに挨拶を交わしながら席に着くと、貫通ロックのメンバーも同じテーブルに集まってくる。

「正俊、俺のバンドメンバーを紹介するぜ。ドラムのガッキー、ベースのシュン、ギターのグッチーだ」

「斉藤正俊です。よろしくお願いします」

「だから硬いっての、メンバーも俺と同じだから、タメ口タメ口!」

ツラヌキの勢いに押されながらも、正俊はバンドメンバーと挨拶を交わす。

飲み物の注文が終わり、各自の手元にグラスやジョッキが届いたところで、ツラヌキがジョッキを手に立ち上がって乾杯の音頭を執った。

「お前ら、今日は来てくれてサンキュな! 最高に楽しめただろ? そんで、その最高の音楽を生み出してくれた参加バンドのみんな、お前ら最高にクールだぜ! そんじゃ、今日もお疲れさんってことで、かんぱーい!!」

「「「かんぱーい!!」」」

ガラスを打ち付ける音が鳴り響き、全員のテンションが一気に上がった。

「っしゃー! 飲むぞ、食うぞー!」

ツラヌキの叫びと共に、テーブルにはサラダに唐揚げ、焼き鳥などの飲み会定番メニューが運ばれてくる。

「よし、まずは食ってからだ。積もる話はその後にしようぜ!」

そう言うや否や、早速唐揚げを頬張るツラヌキ。
他のバンドメンバーも同様で、唐揚げを口に入れては、その揚げたての熱さに悶絶している。

「なんか、みんな似た者同士って感じだね」

「正俊もそう思うか? 俺もずっと前から思ってたよ」

省吾と二人で頷き合いながら、ねぎま串を一本口に咥える正俊であった。

30分程、軽い雑談を交えて食事を楽しんだ頃、ツラヌキは正俊に尋ねた。

「で、正俊は何をしている人なんだ?」

「俺は『ハッピーワークス』っていう仕事紹介所で働いてるよ」

「ほー、仕事紹介ね。俺らもたまにお世話になってるぜ」

「え? そうなんだ。てっきり音楽一本でやってるのかと」

「まぁ、そう思われるのも仕方ないんだが、実際のところは違うんだよな」

そう言いながら、貫通ロックの面々は普段の生活について語り出した。

「正直、音楽一本でやってる奴は少ない。大体は他に仕事を持ってるか短期バイトをしてるな」

「そうなんだ。『Aカード』以降は金銭的な制限もないから、創造活動に従事しているのかと思ってたよ」

「創作にも種が必要ってこと。日々の生活を音楽だけにしないのは、社会経験を積んで、その時に感じたこと、学んだことを糧に良い音楽を生み出すのさ。現実感に欠ける歌なんて、誰の心に響くかよ

そう言ってビールを呷るツラヌキの横から、ガッキーが口をはさむ。

「もちろん音楽にかける比重も高いから、3日働いて3日音楽、1日休む。といった具合かな。俺たちは」

「そうそう、こんなシフトで良い仕事があったら紹介してくれないかな」

そう続けたのはグッチだ。

「探せばいくらでもありますから、ぜひうちの会社を御贔屓に」

「こんなところで営業してるんじゃねーよ、正俊。いいから、今は音楽の話だ」

脱線し始めた話を強引に引き戻すと、ツラヌキは最近の音楽事情を語り始めた。

「Aカードが配布されてから、世の中が変わった。何が変わったのかって言うと、やりたいことをやれる世の中になったんだな。そのおかげ様で、夢は見るもの、叶えるものじゃなく、ただの予定になっちまったんだ

「ああ、確かに。夢じゃなくて、予定かぁ」

「そ、そこで音楽の何が変わったかっていうと、夢だったり現状に対する不満、不安を謳う曲が歌えなくなった。共感を得られなくなったんだな。もちろん、金銭的な制約がなくなったからといって全てが自由ってわけでもないし、それらに関連した曲については今だに不動の地位にある」

「関連した曲っていうのは?」

「まぁ、恋愛ソングや日常ポップスってやつかな。お金が無くなったからといって、人の心を自由に操れるわけじゃない。それの代表が恋愛だ」

「なるほど。何時の時代も恋愛に関する楽曲は根強い人気だよね」

「王道と言っても良いくらいだ。そんで、日常ポップスに至っては、そこに暮らしがある限り無限に歌詞ができる。そのかわり、魅力的なメロディラインとか心を躍らせる独創的なリズムによる差別化が必要だけどな。ということもあってか、どちらかというと歌詞よりも曲自体の方に重心を寄せる傾向にある、というのが俺の分析なんだが」

勢いだけで生きているかのように見えたツラヌキの、冷静に現状を分析する姿に、正俊は第一印象で性格を決めつけていたことを恥じる。
誤魔化すようにグラスを傾けて唇を湿らせると、ツラヌキに話の先を促す。

「逆に難しくなったのがロックやHIPHOPだ」

そう呟くように言ったツラヌキは、三分の一ほどジョッキに残っていたビールを一息で空けると、追加のビールを頼みながら話を続ける。

「HIPHOPってのは元々が『暴力に替わるもの』として生み出されたっていう背景があるから、攻撃的なものになりがちだが、反面家族や仲間に対する絆や愛情といったものも重視されていて、リリックの軽快さも手伝って根強い人気がある。とは言え、最近は日常POP寄りになっている感もあるがそれはそれで、だ。ロックってのは世の中の仕組みに対する反抗心だったり、制限がある中でそれを乗り越えていくといったようなのが多い。人によっては『ギターとベースとドラムがあればロックだ』なんて言う奴もいるが、実際のところは単なる楽器構成やメロディラインだけの話じゃないんだよな」

「つまりは?」

ロックが心に響かねぇんだよ、今は。ハングリー精神が足りねぇんだ。聞く方も、歌う方もな


それでもロックで

「ハングリー精神かぁ。確かに今は何が何でも!っていう気迫が少ない気もするけど、仕事柄いろんな人と触れ合うからなぁ。その意見に素直に頷くことはできない」

「お? マジか? ちょっとその話には興味があるんで、後で聞かせてくれ。熱い魂を持った漢たちの話を!」

「あ、ああ。参考程度だろうけど」

「参考も参考よ、大参考よ! そういうのが俺のやりたいことに繋がってくるんだぜ」

追加されたビールを呷ると、ツラヌキは続ける。

「どう繋がってくるかと言うとだな、俺が目指す今後のロックってやつにだ」

「今後のロックとな?」

「おうよ。さっきも言ったように、今のロックは心に響かねえ。かといって他のジャンルに転向するのは負けたみたいで嫌だ。自分がもがいたところで何が変わるわけでもないかもしれないが、あきらめたことでロックが衰退の一途をたどることだけは何としてでも回避したいんだ」

いつしか、ツラヌキだけでなく他のメンバー達も真剣な表情で正俊に向き合っていた。

「往年の名曲をカバーをするだけじゃ先がない。だから、今の時代に即したロックを作り出していく必要があるんだが、そこに四苦八苦してるっていうのが現状だ」

「お金が無くなったことにより、人々の心が変わり、それに伴って文化も変わっていく、ということか」

「その通り。言うなれば今は新世代ロックの黎明期なんだ。今は未だ昔との対比というテーマで共感を得ることはできると思う。でも、これからはお金に縛られたことの無い世代が増えていく。そこに焦点を当てた言葉を考えなくちゃいけないってのは分かってるんだがな・・・」

そこで言葉を止めたツラヌキの心情を代弁するかのように、ベースのシュンが後を続ける。

「だが、今の自分達の感性はまだお金のあった時代に縛られている

その言葉に正俊はハッとした。

そうだ、Aカードの登場により金銭の束縛からは自由になったが、その恩恵は必ずしもプラスの方向ばかりではないのだ。

何事にも表と裏がある。

今まで自分は表側しか見てこなかった。裏ではどんな問題が残っているのだろうか。

今まで出会った人たちは、皆現状に喜んでいる人だけだったように思う。
しかし、必ずしもそうではないのだとしたら、自分はそのことを知らなくてはいけない。

そうでないと、未来ある子供たちに正しい情報を伝えることができないのではないか。

押し黙り、そう自問自答する正俊に対してツラヌキは半分ほどまで減ったジョッキを突き付ける。

急な行動に目を瞬かせた正俊が思わず顔を上げると、そこにはツラヌキの不敵な笑みがあった。

「何悩んでんだか知らないが、顔を上げろ、そんでしっかり俺たちを見とけ! 皮肉にも自由になったことで、不自由に縛られている俺たちだが、その束縛を断ち切ることが、自分たちの成長だけじゃない、音楽業界にとっての新しい時代の礎になる、俺はそう信じている」

そう目を輝かせるツラヌキに、あっけにとられた正俊だったが、負けじと不敵な笑みを浮かべながら、空になった自分のジョッキを掲げ、ツラヌキの持つそれと突き合わせる。

「期待してるよ。俺も頑張らなくちゃな」

昼間の太陽のような笑みを浮かべながら残るジョッキの中身を呷るツラヌキを見て、正俊は先ほどまでざわついていた心が落ち着くのを自覚した。

(なんだ、まだハングリー精神があるじゃないか。)

決して諦めは無く、まだ道のついていない草むらをかき分けるような勢いのまま、夜遅くまで語る彼らは、十分にこの時代に立ち向かっていた。

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