「命の選択」と若者のQOL

この人(⇩)のことはよく知らないので本音がどうなのかは判断できないが、議論を喚起するための挑発的な発言を「優生思想的」「ナチスも顔負け」とレッテルを貼って封殺するのはおかしいのではないか。

今その介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者をちょっと、とにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます。
どこまでその高齢者をもうちょっとでも長生きさせるために、子供達、若者たちの時間を使うのかってことは、真剣に議論する必要があると思います。
順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです。

現代の医療の「問題」は、延命治療の技術が発達したために、一昔前なら死んでいた回復の見込みが無い患者を低QOLのまま生かし続けることが可能になっていることである。

大西が指摘するように、この問題の本質は医療介護費ではなく、現役世代の時間と労力が「シーシュポスの岩」的な作業に費やされることで(→QOLの低下)、新しい命を生み育むことや彼ら自身の未来の創出が困難になることである。

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組織の活力を保つためには、老いた人には"just fade away"してもらい、代わりに若い人を入れる人的な新陳代謝が必要だが、これは社会全体にも当てはまる。昔は自然の摂理に従って老人はfade awayしてくれたが、現代では医療技術によって現世に引き留められるため、社会に「渋滞」あるいは「入場制限」が発生している。そのことは各歳人口のグラフから見て取れる。

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国立社会保障・人口問題研究所の人口推計(中位)によると、40年後の2060年に各歳人口で最も多いのは86歳(127万人)で、20歳は76万人、0歳はわずか58万人になる。大西を非難する人も、総人口の19%が80歳以上になる2060年には今と同じ綺麗事を言っていられないだろう。

人間は遅かれ早かれ必ず逝くのだから、逝き時や逝き方について社会的合意を形成することは「ナチスも顔負けの優生思想」ではない。大西を非難する人は大戦後半の継戦論者と同じで現実から逃げているだけである。

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