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Mountainroom君の留学

私のラボでこの春に学位を取ったMountainroom君が、先週別れの挨拶をしに教授室にやってきた。今週には出国し、ボストンに留学する。お世話になりましたと言いながら、感極まって泣き出した。

先日のラボでの送別会(と言っても、にっくきSARS-CoV-2のせいで、飲み食い無しで記念品贈呈だけ)でも泣いていたので、今どき珍しく、まあよく泣く男だ。

Mountainroom君、泣いている場合じゃないぞ、学位を取るまでの苦労やら恩やらより、アメリカでの研究と生活のことを考えろ。奥さんと一致団結して幼い子供たちを育てつつ、研究を極めろ。この留学が君の将来を決めることになる。

私自身ももう30年近く前に、小さかった子供2人と妻と一緒にドイツのハイデルベルクに2年間留学した。出発前の不安と高揚感を今でもよく憶えている。

最近は研究のために長期留学する若者が減っている。内科医であるMountainroom君も最初は留学は考えていなかったが、私が強く勧めた。

確かに今は日本の科学も進歩したので、外国で学ぶ必要は無くなっている。言葉や文化の違いで苦労するのにわざわざ行くなんて馬鹿らしいと思うのかもしれない。

私自身も、生活や子供の教育で苦労したし、別のポスドク(博士研究員)の起こした捏造事件のとばっちりを被ったり、実験がうまくいかなかったりしんどいことも多かった。

それでも私は行くべきだと思う。得るものは計り知れないから。ネットの情報と、そこで生活して全身で受け止める情報はインパクトが全く違う。日本のような孤立していて異常に均質な文化圏のなかで暮らしているとなおさらだ。

外国で暮らして文字通りカルチャーショックを受けることで、自分や日本という国を初めて客観的に冷静に見られた。欧米の方が何でも優れているとは限らず欠点も山ほどあるし、一方これまで気付いていなかった日本の嫌なところも色々と見えた。つまり相対化できるのだ。

その上で、改めて私は日本という極東のちっぽけな島国を好きになった。これは大きな収穫だった。そして私の場合は欧州諸国が共同で設立した研究所に所属したので、狭い欧州という地域に実に多様な文化と国家があることを深く実感した(そのことについては、また改めて書きたい)。

友人がたくさんできた。イタリア、ノルウェー、ベルギー、オーストリア、フィンランド、イギリス、国は実に様々。それぞれの国で教授になった人も多く、今でもその友達のネットワークが私の研究の支えだ。

科学も結局、人的ネットーワークが決め手となる。天才でも秀才でもない私の場合はなおさらだ。なんだ、前近代的だなと思うかも知れないが、多くの職種に共通することのように思う。

私にとって留学の恩恵は計り知れない。もちろん、ハイデルベルクの深い森の中を歩くときの匂い、長い冬が終わって訪れる春の歓喜、静かな古城の佇まい等々の美しい記憶も財産だ。

Mountainroom君、よく目を見開き耳を澄まし、諸々を吸収するのだ。そして研究者としても人間としてもひとまわり大きくなって帰ってこい。ただし、腹回りはそれ以上増やすな。あとボストンは生牡蠣が美味しくて私は何ダースも一度に食べて当たったので、気をつけるように。

それでは良い旅を。


追記
ところでMountainroom君、留学開始日や出発日は決まったらすぐ報告しないとだめだ。突然「来週行きます。」じゃあ、寝耳に水。報告したつもりだったというのが君らしいそそっかしさ。アメリカでは慎重に生きろよ。

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