情報弱者を作ってしまった社会について

小中学校で10年間情報モラル教室を主催し、
シニア向けにも5年間使い方教室を実施してきた
経験からの気づきを共有します。

主観的な意見になりますが
情報端末への向き合い方は子どもとシニアでは
違いがあっても、情報に対しての問題の根本は
変ってはいないと感じてます。

提供する側の「便利に」の想いが、
いつの間にか機能的な技術に走ってしまって
ユーザー目線ではなかったのではなかったのでは
と感じます。

便利な世の中になりました。使える人にとっては
10年前に比べれば出来ることの幅が広がり、
新型コロナの影響でさらにデジタル化は
進んだことは誰もが感じていると思います。

通信速度は上がり、文字の発信は写真に
動画へと変化して来ました。

システムを作っていく中で、
これが出来たら便利になる
仕事が効率的になる
地域社会の問題解決になる
人で不足が解消される
様々な想いで機能を組み込み過ぎたことで

子どもにとっては、触れることで感覚的に出来てしまう
シニアにとっては複雑でわからないし、怖い。
一見全く違うようなことと見えるかもしれませんが
情報という使う側が知って、選択し、理解した上で
利用しないとトラブルになる社会にしてしまった
と感じませんか?

これからも、デジタル化は自動運転やVR、AI、
工場のオートメーション技術は加速し、農業や小売、飲食店へと
どんどん加速すると思います。

使い方を教えてきて思ったことは、
ただ使い方を教えるだけなら、テキストや動画をみて
そのとおりにやってくださいで済むかもしれません

でも、トラブルが起きているのは人の問題だと思います。
ここでトラブルを防ぐためにAIを導入して未然に
防ぐようなシステムを作ることで
問題は解決するのでしょうか?

学校で学習用のタブレットで盗撮した生徒のニュースをみました。
シニアが受け取ったメールに対応することで詐欺にあってしまわないようにという注意喚起をみました。

かたや、いまやインフラとなっているLINEを
危ないからといって使わない選択している人もいます。

一度立ち止まって情報化社会に対しての向き合い方を
教えをする時期が来たのではないでしょうか?

シニアの方が安心して安全に使うための知識、
子どもがシステムを理解する前に触ってしまえる状況の中

使い方を教えている講師が、ただ教室を開催して
使い方を案内すればいいという考え方

販売や利用促進を最終着地に考えた教室組み立て

地域社会の問題解決のためになると
デジタル化教室を開催すればいいと考え。

情報のモラルやネット対する危険をただ教えれば
教える機会を時間をただ作って実施すればいいという想い

人がいない教室に感じるのはわたしだけなのでしょうか?

10年間教えてきて、教室を実施するたびに思うことは
目の前にいて話を聞いてくれている人が、
ひょっとしたら、もう二度と同じ話を聞ける
機会がないかもしれない
このチャンスに何かを掴んで帰ってほしいという想い。
ただそれだけを考えて教室を実施して来ました。

昔、まだ携帯電話の販売店にいた頃、
スタッフに伝えたこと
携帯電話は生活に密着している一番身近な機械になっている
その身近な機械に対する提案を出来る
素晴らしい仕事にやりがいを持って仕事してほしいと
言った覚えがあります。

スマホに限らず、講師という仕事はその人の生き方を
変えてしまうぐらいの影響を持っていると
覚悟したうえで、ただ機械やシステムの利用知識だけでなく
目の前で聞いてくれてる人に、安全と安心を
掴んでもらえるようにしていかなければいけないと思う

そして、デジタル技術やサービスを提供する方々も
「便利」は人の生活があって、それを使う人がいて
始めて役に立つものだということを忘れないでほしいと思います。

勝手な思いを書いたら、長文になってしまいました。
ここまで、飽きずに読んでいただいた方
本当にありがとうございます。





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