『PROJEKT METAPHYSICA Vol.2』、2023年11月11日(土)に文学フリマ37にて頒布!
毎回のご高覧を賜りまして、ありがたく御礼を申し上げます。あいかわらずばかばかしいことを申し上げ……たいところでございますが、今回のエントリは第2号の告知記事となっております。その分ご理解の上、お暇を頂戴できればと存じます。
さて、11月11日(土)開催の文学フリマ東京37にてプロジェクト・メタフィジカでは同人誌『PROJEKT METAPHYSICA Vol.2』を刊行します。昨年5月の文学フリマ34でのvol.1に続く第2号となります。清久具平の小説『空を浮く連合艦隊』から「続きのない始まりなんて誰も考えていない。例えその続きが日の目を見ないとしても」という台詞を引用するまでもなく、皆様の元に第2号をお届けすることは運営陣の目標でありました。
掲載記事に関して順に紹介していく前に、第2号を制作するにあたって私が考えていたことを少し話させていただきます。
現在、文学フリマは非常に多くの意欲的な書き手と読み手が溢れています。来年の秋文フリはビックサイトで開催されると伺いました。層が大きくなることは、多くの場合において非常に良いことであると思います。もっとも、私はそんな昔から文フリに参加していたわけではないのであまり大きなことは言えませんが。
その中で『PROJEKT METAPHYSICA』はどのような位置を目指すべきなのでしょうか。ページを増やし、より有名な書き手に原稿を依頼し、商業雑誌のようなものを作り上げるべきなのでしょうか。
「故国にあっても異人であり続けるということもまた、場合によっては可能だと思います」という村上春樹の言葉をここで引用します。これは、チェコの新聞社が村上春樹に行ったメール・インタビューにて、現代ではベケットやナボコフなど国を離れて活動した、あるいはせざるを得なかった者たちによって多くの名作が書かれたが、そのように国を離れることは現代文学において必要な作業なのかという質問に対しての返答の中の一節です。
拡大し続ける趨勢の中でにそれにいたずらつき従って部数の増大を目指すのではなく、一人の「異人」として、一定の倫理を持ちつつも多様な思索のあり方を受け入れることのできる雑誌でありたい。私はそう思っています。来年の第3号、そしてさらにその続きにて、その姿勢をより明確にしていくつもりです。
このような考えを持ちつつ、運営陣の一人としてこの同人誌をどのように考えているかについて、前座として巻頭言の拙稿「プロジェクト・メタフィジカ」は何ではないか──否定神学から考える同人誌づくり──」にて書かせていただきました。途中からこの同人誌に携わったという立場から、自分のスタンスを再考するよい契機となりました。その試みをまとめた文章をご一読いただけると嬉しいです。
では掲載内容の紹介へと移りましょう。論考の一本目としてお目にかけるのは、ミによる「デヴィッド・リンチ論へ向けて」になります。マーク・フィッシャーを水先案内人としつつ、映画『マルホランド・ドライブ』を中心にリンチがなにを描こうとするのかについて迫る論考です。虚飾に頼らず、丹念に映画の表象に向き合うミ氏の執筆姿勢にも注目していただきたい一作です。
次に読んでいただくのは、曖昧なプラスチックの日記「第一書簡:畸形児のためのエチュード。」です。「投瓶書簡」の形を取って、送り手が我々に伝えようとしているものを否が応でも考えさせられる怪作です。これを読んだあなたがどのような返信を生み出せるのかという非常にクリティカルな問題提起にもなっています。1本目とは異なり、出だしからも分かるように少々ケレン味のある(少々どころではない箇所もある)文体ではありますが、書き手の人間的な成長の片鱗も感じ取れる味わいのある文章に仕上がっていると思います。
それに続いて、鼓耳 音々・T ・ハラオウンによる「吐瀉物と歌声―― 現実、空間の崩壊、甘瓜みるき ――」をお目にかけることとなります。『コインロッカー・ベイビーズ』『限りなく透明に近いブルー』と『プリパラ』『ワッチャプリマジ!』という一見重ならないような二つの領域を、「嘔吐」という一本の糸で縫い合わせる論考です。批評という営為に求められる細やかな技へのストイックな志向が、文字の一つ一つから伝わってくるテキストで、書き手にも是非今後注目していただきたく思います。
そして、短いながらも異彩を放つのは糖屋糖丞「未満なムービーズへ愛をこめて――「明日の国」への旅立ち」です。糖屋氏の生まれ育ちに思いを馳せつつも、カルト映画(とされるもの)について少し思索を導いてくれる傑作です。ところで、鮭は生まれた川を遡上するそうなんですが、この話をすると長いんでやめておきます。
この原稿に関しては、今回『PROJEKT METAPHYSICA』をvol.2のステージへ進めるにあたって、新機軸を立てるためのエッセイ枠として依頼したものになります。それに対して想像以上のものを仕上げてきてくれたことに対しては大変感謝しております。この枠は次回も残したいと思っていますし、できることならもう1枠増やせたらなと思っています。分量としては軽いながらも、鋭い切れ味を見せられる書き手を探していきたいです。書き手のバーチャルYouTuberへの向き合い方からは、どのような趣味趣向をお持ちの方であれ、何らかの「教訓」をお持ち帰りいただけるのではないかと考えています。
さて、長めの論考に戻りまして読んでいただくのは、メタフィジカ代表の宮﨑悠暢による「バーチャルに置き忘れてきた愛―― ある一つの美しい病について、あるいは女海賊の夢 ――」となります。もはや”現代文化”の一つとなりつつあるバーチャルYouTuberについて、宝鐘マリンを「症例」として取り上げ、アントナン・アルトーのテクストを手がかりにマリンの病理の診断・治療を行うという、一見蛮勇にも見える意欲的な一作です。
ここで膝替りとして、小説の形を取ったテキストとして「ジャックイン・オーヴァドライブ」が皆様の前に現れます。著者は以前noteのブログ記事「遺棄されたものと悲しみのaesthetic」にてお目見えいたしました嶋田祐輔です。多くの人がインターネットと繋がり、向き合わざるを得なくなっているこの時代に対して、そのたどり着く先の一つのランドスケープを力強く提示した一作です。そして、ここからいかに希望を見出すかというのも、読んだ側に手渡される課題なのではないかなと思っています。物語としての技巧や面白さとは別に、彼がこのような形式を取って表現したことについて、読者の皆様がどのように解釈されるのかは私個人としても非常に興味があります。
そして掉尾を飾るのはマルドロールちゃん「キャラクターにとって言語とはなにか」です。我々の日常生活に当然のように存在している「キャラクター」なる存在に対して、我々はどのようにそれに向き合うべきなのか、そして「キャラクター」はどのように言語を持ち、我々に語りかけているのかについて、アガンベンを参照しながら問い直す一作です。
やや独善的ななりがちなその他の論考に対して、きちんと学術的な筋道の正しさを押さえ、この論考の存在により冊子全体のバランスが保たれているように感じます。トリに置かれても少しの文句もつけようのない堅牢さを備えつつも、至る所に柔らかな書き手の息遣いをも感じさせる傑作であり、創刊号に続き今号でもお力添えいただけたことをありがたく思います。
以上、掲載記事8本の簡単な紹介をさせていただきました。どれか一つでも気になるものがあれば、ぜひ小誌を手に取っていただき、実際にその目で確かめていただければと存じます。
今回も、文フリでの頒布だけでなくboothでの販売を行います。boothでの発売は下記Webページから11/12(日)以降になります。こちらもあわせてよろしくお願いいたします。
https://pro-metaphysica.booth.pm/
また、古書店での委託も予定しております。詳細はプロジェクト・メタフィジカ公式Twitterにて随時情報を更新いたしますので、そちらをご確認ください。
それでは、会場にてお目にかかれることを心待ちにしております。
(文責:久我宗綱)
参考文献:「ポスト・コミュニズムの世界からの質問」、村上春樹『村上春樹 雑文集』新潮文庫、新潮社、2015年、p.452。
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