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社会規範と市場規範・・・とノーギャラ演奏依頼問題

今日は個人スマホ2台+会社スマホの3台持ちです。上着が重くなります。


少し前に「ノーギャラ演奏依頼問題」というのを書いた。

この問題は色々語れる要素があるのだが、昨日ダン・エアリーの「予想どおりに不合理」を読んでいたら、社会規範と市場規範という話が出てきて、なるほどなるほどこれも一因かもしれないと思ったりした。

ようするに、依頼する側は(ある意味無邪気に)社会規範の範囲でお願いをしていて、それに対して依頼される側は(こちらもある意味無邪気に)市場規範の範囲で対応しているということだ。

ちなみに社会規範でのお願いごとは、分かりやすくは「友人間の頼み事」なので、いやいやノーギャラ演奏依頼問題はそうした関係性無く依頼されるよという反論がありそうだが、そうではない事例も本には載っている。

全米退職者協会が弁護士に低価格で退職者の相談への対応を依頼したら断られたが、無報酬でお願いしたら多くの弁護士が引き受けると答えたという話だ。

これは、なんとなく理解できる。アマチュアではなくプロとしての知見とスキルが必要とされているが、それに見合う報酬が用意できない時に、どういった解決策が見いだせるか、その一つの答えではあるだろう。
(もちろんこの場合にも「全員がそうするわけではない」というのは重要な視点だ。)


断っておくと、だから断るなという話ではないし、依頼するなという話でもない。そういう2つの規範があるという事を意識した上で対話ができれば、もう少しこじれないのではないかという話である。

依頼された側は、市場規範で受け止めれば「市場価値ゼロ」と宣告されたかのように考えてしまうのかもしれないが、社会規範において考えれば相手の意図はまったく異なるかもしれない。

依頼する側も、相手が市場規範で考えるのか、社会規範で考えるのかを意識していれば、頼み方が異なってくるかもしれない。


もっとも、弁護士の世界には基本的に「アマチュア」が存在しないが、音楽の世界には「アマチュア」が無数に存在する。これも何らかの因子にはなるような気がする。

そうした世界では、「プロは市場規範の世界」「アマチュアは社会規範の世界」と無意識に区別してしまいがちだ。特に演奏する側はそうした価値観で活動をしているケースが多いと思うが、依頼する側にはそうした区別が見えにくいという事情はあるだろう。

また実際には、プロの無料演奏は「演奏側のスキルの提供」だが、アマチュアの無料演奏は「主催者側の機会の提供」となる場合が多い。これは市場規範や社会規範とはまた少し違った事情になるかもしれない。

そんな訳で、この問題は論点が様々存在するのだが、教育論と似たような話であまり正解はないように思うので、結局は対話の積み重ねかなと月並みな結論に落ち着いたりする。

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