見出し画像

「解散だよね」と言った彼女の真意

とある小団体のリーダー的な位置にいた彼女がある日突然言い出したのは、その小団体の存在意義についてでした。

その団体はクラブ活動の延長線上にあるようなものだったので、利益が発生するというものではありませんでした。

ある時ふと思ったのだそうです。参加者同士が協力する姿勢も萎えてきてるなと。そこにはもう惰性しかなくて新しさが生まれないなと。ならば、終わらせるのがいい、と一人で考えていました。ある時、それを全員の前で口に出してみよう、と思い立ったのです。

意気込みを語る彼女とお話ししていくことで彼女自身が発見したのは、そこにある無自覚な優越感とか、落差への思いとか、他者からどう思われるかということや、変わらないなら逃げ出したい、終わらせたい、といういくつかの感情でした。

正当化しようとしていた自分の感情に気が付いた彼女は、結果的には今回は踏みとどまることを選択したようでした。


例えば、他者に向かってする発言という前提がある中で、

「(これって、もう)解散だよね」

そう言い放つ効果というのもあるでしょう。

それはその場にいる他者に対して、自分たちが悪いということなのかと疑心暗鬼に陥ることになったり、否定的な感情を抱かせてしまいやすい言動であるかもしれない、ということを自覚しているのか、それとも正しくありたいという無自覚さから出るものなのか、立ち止まって考えてみることを彼女は採用しました。

いかに停滞した現場であっても、そのまま言っても伝わらないだろうことを知っていながら、そのわからないだろうことをわからせよう、とするような強い言葉による行動を自分が選んでしまう時には、自分の方にとある方向性の「欲求」が隠れている可能性というものに意識を向けてみようとするといいでしょう。

さらにそれは過去のどこかにおいて作られてしまった「傷」が解放されないまま今もある、出来事そのものは忘れてしまっても影響は逆にさらに強く残っている、ということを教えてくれているのかもしれません。それを見つけた、思い出した、気が付いた、という段階が来たなら、その時がそこにようやく手を入れていくタイミングです。固まっていた影を潜めていたものが少しずつほどけていくそんな時がやって来たのです。


画像2


自分の中にあるいくつかの感情を否定すること無く、ただ「おー、あるね」という風に、存在そのものを在ると受け入れて、そういうものがある自分自身のことをそのまま認めていくという練習をしていくことも役立つでしょう。何度も繰り返し練習していくことで、無自覚な自分の感情によって引き起こされる特定の方向性のことに、ただ振り回されるということを繰り返さない自分を作っていくことが可能です。

彼女は、同じようなことを経験してきていることに思い当たりました。他者と正面から意見を交換するとかそれによって他者とぶつかるかもしれないということを避けつつ、それでも我慢のならないことに対して行動した結果、その場の人たちからの本音を聞くことがさらに遠のいたり、自分に対して周囲により気を遣わせることになっていたりしていたことをです。

自分の方にも「どうして?」っていうようなわだかまりが残ったり、場を変えること自体の話はどこかに行ってしまい、自分だけが結局その場を去って行くというようなことを繰り返して来ていたことを思い出し、そして自覚し始めたのです。

「言わずにいられない。だって私は間違っていない。」

「この場を変えなくちゃ。このままじゃよくないから。」

そう思ってきていた自分が、建設的であるはずだと思い込もうとしていたことに気がつき始めます。

実際の行動の結果としては、スッキリするとか場が思うような方向に変化していくということにはならないことがとても多く、がっかりすることを体験していました。その場から去った後、次は理想の動きのあると思える新しいものに向かおうと思いながら、家族がいる日常の生活に埋もれては理由を付けて、忙しさに逃げてしまうということも繰り返していることを思い出しました。そんな中でようやく奮起して始めたはずだったのにと、今の自分の活動のことを考えました。

「どうして、また同じことになるのか…」

何度もそう思ってきました。そんな自分のことを思い出しました。これまで自分が去った場所の人たちとは、その後に良好な関係になるということは当然無く、どこかで寂しさを感じていました。


画像1


もう終わりだね的なことを言い放つのを踏みとどまった彼女は、新しい挑戦をすることにしたようです。

他者を脅かして注意を自分に向けるというやり方ではなく、本当に終わりなら、自分にとって何がどう終わりだと思えるのか、今は自分が何から離れてていくことが必要な時だと言えるのか、それをまず考えようと。そしてどこに向かって何をしていくことが次の自分にとってのチャレンジなのかを見つけ出していこうと。

他者がどうであれそれを否定したり責めるのではなく、正しくあらねばいかんと主張するでもなく、ならば自分は例えばこのように考えるからこう動くよということを、ただ自分が実践していくことに意識を向けて実行してみよう、と決めたようでした。

その上でそうしたいと思う時が来たなら今度は「放棄」や「離脱」ではなく「卒業」しよう、と。


彼女の新しい挑戦はこれから始まります。




「15年間のセッションの現場から ~自分の感情に気付いた瞬間~ ①」  日常の風景の中で撮影している写真と共にひとつのお話にしています。


Twitterはこちらから https://twitter.com/SanaeMizuno


運営の活動資金にさせていただきます。願いのひとつずつをカタチに。ありがとうございます。X.com・旧Twitter https://twitter.com/SanaeMizuno cafe prizm blog http://cafenanairo.blog87.fc2.com/