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占われる側から占う側へ。そして「仕組み」を知って、より「占い」の本質に向かい始める。

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。


占い師が好きじゃない。だって怪しすぎ

私には占いそのものには惹かれていたけれど、実際の占い師という人たちはどうも好きにはなれなかった、という時代があります。
この場合の占い師というのは多くの場合、霊能者を仕事としている人、何らかの能力を使って他者を占うことを仕事としている人たちのことですが、どうして好きになれなかったのかと言うと、占いの根拠、仕組み、みたいなものを感じられなかったからです。

これまでたくさんのそういう方々に会ってきているのですが、占われるという立場で出会ってきていた20代前半には中日新聞のミニコミ紙制作の編集をしていた頃で、占うお仕事をしていた人たちは私にとってある意味調査研究対象でした。
本当か嘘か、ということもそこには含まれます。私の知っている範囲ではその頃はまだ占星術を使っている人はそういませんでした。

いったいこの人達は何を根拠に何をどういう風に見て答えているのだろう? って、それは怪しく、不思議で、そして言われたままそのままも信用もできなくて。
でも何かはそこにあるんだよね、という気はしていて。
個人というよりも「霊能」そのものへの興味は湧き、占ってもらうという体験から、この人達は一体何をしているのか? ということを観察しようと思い、あちらこちらへ行脚するということをしていました。

もともと大きな歴史ある大きな寺院に関係し研究させていただくというような位置に私が30年以上長く居られたのも、父の特殊な立ち位置のおかげでした。死生観についてずっと考え続け、人を見送っていくということをたくさん見て聞いてきましたので、その道の世界の他者には言えないこと、というのもたくさんあります。

お寺というところでは人が亡くなった後の話や相談を生きている間からすることも多いわけですが、まだ生きていてこれからのことをよりよくしたいがために相談しに行くのであろう「霊能者」や「占い師」という世の中に多くいる存在は何なのか知りたい、もっと実際のことを知りたいと考えていました。
結局私はずいぶんと長い時間をかけて、人が生まれて、地上活動の発展から老年期へ、そして生死の境目のことについてや死後の新しい人生について、多くを学ぶことになりました。

職業柄というのもありますが、新聞社での制作営業というのは、そういう「見えるらしいよ」という噂に敏感です。年頃の女子&男子が多かったのです。もちろん多くの場合の興味は、恋愛、結婚、金運です。
表にはなかなか出てきませんが、選挙シーズンには「当たる!」という霊能者や占い師の居る場所や連絡先が、政治家さんや社長さん達の名前と共にどこからともなく運ばれて手元にやって来たりします。大きなお金が動いてる話もあるという噂もよく聞きましたが、定かではありません。

時にはお好み焼き屋さんや飲み屋さん等で食べながらお願いするとママが答えてくれるよというバージョンのものもいくつかあったりして、仕事仲間と次々食べに行ったものです。他にも、ラジオのパーソナリティをしていた霊能者さんもいて、地方では予約殺到で大人気でした。
高校の同級生のお母さんが霊能者をしているということを卒業後何年も経ってから知った時には、ライターの友人と一緒にそのお宅を尋ねました。

いろいろなことを各地の「霊能者」「占い師」「透視家」と名乗る方々に見てもらってきました。中には全国放送でよく出ているような有名な方もいましたし、海外の有名らしい方々にも見てもらいました。その度ごとに、いろいろとインタビューして、私はいつでも調査研究姿勢です。


どうして来たの? しまいには霊能者に嫌われ…

多くの場合、私は霊能者の人たちに「どうして来たの?」と言われました。
どうしてって…?
と戸惑うわけですが、彼らは続けて言うわけです。

「人と違った変わったことをしなさい、普通は良くない」
「好きにしたらいい人よ、あなたは」
「あなたには専用の大きな存在が居る、なぜ来たの?」
「私の背後より大きい存在があなたの背後にはいるから言えることは何も無い」
「あなたは象徴に関することをやっていくでしょう」
「あなたが見てるのは地球じゃ無いから」
「子供に関することをするでしょう」
「大地、農業に関係するでしょう」
「ゴッホがそばに居ます!!喋りかけてるのに聞いてくれないって言ってます」
「見えない人を師匠にして多くを知ることになるでしょう」
「浮いてる、人間じゃ無い。妖精状態だ。早く下りなさい地上に!」
「私をお抱えにしませんか?」

以上が北陸にいた時に北陸、名古屋、東京など、あちらこちらで占う人たちに言われた記憶に残っていることです。ひとつずつのお話もまた書こうと思っています。この段階で「占星術」で鑑定してもらったという経験は1名。それもちょっと独特だったので、やっぱり霊能者的でした。


細かくはさらに様々なことを様々な方々に言われておりました。
ですが、この時私は20代前半、新聞社での制作スタッフという極めて普通の生活をしておりましたので、数々言われることをどのように受け止めていけばいいのかわからない、という経験でした。誰からもその根拠を見ることが出来なかったからです。でもなんだか面白い。

時には、もう帰って! 言うことは無いって、迷惑というか、拒絶されて、もう来るなと言われたことも何回かあり。有名な方もいました。それでもその対応も含めて調査研究は続きます。そういうことでは決して凹んだりはしませんでした。面白い、ということで私の中のメモ帳にそれは書き込まれていきます。何しろ私は「知りたい」のですから。


そして私は占います、そして、なんと教えています

その後15年以上経って、いつの間にか自分がリーディングやワーク、相談に乗るという側の立場になっており、当時の自分からしたらまさに驚きです。
いつの間にか会社員やフリーの方々をはじめ、主婦の方、学生さん、セラピストやカウンセラー、ボディワーカー、霊能者、透視、会社経営など様々な職業の方々や立場の方々の相談に答えさせていただいたり、占術の基本的なことからを教えるということをしています。もちろん学びと研究の継続があって、それはもう日々精進あるのみです。

例えば占星術は皆が同じ基本から学習していくものなのですが、感性で占っているかのようにも見える霊能者などの方々が、どの位置からどの範囲を見ているのか、何を言っているのか、ということがわかるのだということが判明したのは、精神世界研究家である松村氏のもとでの様々な稀有な分野の学習や通常は選ばないであろう類いの様々な経験のススメのおかげです。飛び込み型の私には合っていました。(笑)
やがて、気が付いたら自分自身が「占い師」「透視する人」「霊能者」などと呼ばれるようになっていたのですが、それは「仕組み」「根拠」を知ったということから来ているものであり、それは大きかったということです。
これまで出会った占う人々がどの大地に立ってどこを見ていたのか、そのひとりずつの違いとか、それぞれの信念体系について、さらに深く考えることが出来るようになりました。

私はもともと「占い師」というものになりたいと思ったことがなかったので、しかしここを通過しなければならないのだろうと自分で決めて、その道を選びました。目指すところは全く違うものだったからです。
師匠自体が様々な分野のプロの方々の社会的自我が満たされることや目に見えること以上の内容のカウンセリングの可能性を示していましたので、私自身も迷うこと無く行く方向性は見えていました。長くかかるとしても。

結果的に、一時「占い師」と呼ばれるその道を選んだことは間違いではありませんでした。経験の全てがその後役に立つことになりました。
ですが、私は早い段階で社会生活での欲求や願望実現系の獲得専門としての「占い師」「占術家」を名乗ることをやめています。


もちろん現在も占います。様々な質問やご相談に対して様々な角度から読み解いていきますが、それは最初の段階の入口であって、とある地点から先へは皆さんの自力を使って自分のことを「より知って実感していくこと」「可能性を自分で動かす」ということへと進んでいきましょう、というスタンスです。

重要なのは自発性です。能動的に自分が自分の本性に向っていく、というその方にとってのオンリーワンの旅のお手伝いをしていくということです。
そのための筋トレとなる占星術をはじめとした各種ワークや瞑想、お絵描きや象徴解釈のトレーニング、日々の生活の中での自己観察と感情解放ということに重点を置いています。

そのワークについての様々は、これから少しずつ書く予定です。

トップのイラストはマウスで描いてます。なんとかかんとか。(笑)


あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafeprizm sanaでした。

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