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見えない想いに助けられ支えられている私・秋分の日に。

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。今日は秋分の日ですので秋分バージョンの記事を書かせていただきました。
皆さんがいつかの星に繋がる時のために、sanaの日常からの何かをころんと、お届け出来たらいいな、と思っています。


質問者への「ありがとうございます」が到着する

少し前の記事からの続きになります。

とある日のこと。
「blogに書かれていることに対して、sanaさんに質問して下さったとある方に、質問してくださってありがとうございます、という気持ちなんです」とその日表れたAさんが言い始めました。
というのは、一体何のことかと言いますと。

しばらく前に、私がピンチや不具合、不調はチャンス!という捉え方について最近blogやnoteに書きました。さらに、その説明や質問に答えるということで続きもののようになっている記事のことです。

Aさんは、それらの記事をひとつずつアップされる度に読んでいたそうです。それで読みながら感心して「ふーん、ほぉ、そうなんだぁ」と頷いて、それでそのまま終わってしまう傾向にあるのだ、という自分自身の実際のことについてお話されました。

「不調の時に、どうやったらそこにラッキーがあるっていうことになるのかわからない、そう感じられない、思えない」という人からの「どうしたらそう思えるのでしょうか?」という質問をした人がいた、という出来事をblogで読んで、そこからさらに具体的なことへと話が進んでいくことで、わかったことがあるのだと、Aさんは告白のように続けます。

「実はそれ以上のことを考えるということをしないまま、新しく知りかけていることをただのいい話として聞いたところで止めてしまうのです、私はいつも、何に対しても。」
「そうやってそれ以上進むことを自分は手離していたんだな、ということが今回よくわかったのです。」と話しは続きます。

これはAさんが自分の体験の中で「立ち止まる」ということが出来ていて、それが起きているということのご本人からの報告です。良い悪いじゃなく自分が起こしていることの現場に、ただただ居るということ、そのライブな現場からの自己観察の声なのですね。
「自分を見つけた!なんて、素晴らしいことですね」と私。

きっかけを作った質問をしていた人にとっては、自分は気分が悪い、怒っている、歯がゆい思いをしている、という状態なわけですから、自分の知らないところで、そんな自分を感謝という位置から見ている人がいるなんて、そんな出来事が発生するなんていうことは、おそらくは考えもしないことでしょう。でも、それは起きていたのです。

それは新しいチャンスの到来

まずこれは、自分の知らないところで知らない誰かが、自分の発した言葉を読んで、聞いて、想像しないような反応している、という出来事が、ごくごく普通に自分が知らないところですでに起きている可能性があるよ、っていうことを知るというチャンスです。

例えば、どんな人も何かをどこかで発信したなら、それは見えない誰か、まだ知らない誰かに、実は発見されているのだという可能性があるということで、誰かにそれは静かに届いていて、その人は何かを感じていて、それは直接返信が無いままにかもしれないし、あるいは忘れた頃にレスポンスがやって来る、という場合もあるでしょう。

だからこそ、行動した直後に何も起きなくても、起きていなくても、期待したとおりの現実じゃなくても、どうか急いでガッカリしないで下さい。

繋がる想いは増幅するエネルギー

長く続けていきたいと思っていることほど、自分の目や耳にわかりやすい形でやって来る結果というものに振り回されずに、自分の発信したいと考えていることを続けましょう。
特別な力を使わなくても、まだ見ぬ誰かにいつの間にかそれが届いているということを思い出してください。可能性を信じるということです。

私たちの誰もが、知らない間に誰かのお役に立っていて、誰かを助けたり、協力している、ということが実際にたくさん起きています。それが名前も知らないもの同士っていう場合も普通にあります。
見えないところに居る誰かの自然体での日常の言動に、私たちは気が付かされたり、助けられたりしています。

それは何かの能力があるからではなく、社会でわかりやすく役に立っているからでもなくて、地球人として生まれて来た全員に平等にあるもの、知らず起きているし起こしているもの、それが私たちが自分の日常を生きていることで生み出している「知らず助けられてる&知らず助けてる」です。あまりにも自然と、誰かは誰かのお役に立っている日常があります。

占星術では、自分の人生の地図とも言えるものが、ひとつの丸い図(出生図・ホロスコープ)に10個の天体が散りばめられている図で表わされます。この円は12の部屋に分けられ、私という部屋とあなた・他者という部屋が存在します。すべては自分というものの中に存在していて、外側に見える状態は体験するけれども外側にあるのではない、ということを示しています。
あの人が、私が、こう言った、こうされた、という現場体験の中に没入してしまうと、私たちは個別に分断され、現実のように見えている眼前の世界に呑み込まれて同一化してしまいます。
ですが見方を変えることが出来れば、助ける側も助けられる側も、あなたもわたしも、ひとつの図の中に最初からまるく収まって存在していることになっています。誰もがひとりずつ持っているこの宝の地図である出生図は、最初から小さな宇宙から大きな宇宙へと続いていることを静かに教えてくれています。

自分らしくないやり方でうまくいっている(ように見える)人の真似をしようと力を入れ過ぎれば入れ過ぎるほど、結果的に私たちは空回りして疲弊してしまいやすいものです。
逆に、自分のより「らしい感じ」の方を選んで続けていくことで、いつかは自分に縁のある人や動きと出会うことになります。それはきっといくつになっても自分の内側から生き生きとして、毎日の些細なことであるひとつさえドラマティックなのです。

自分だけの「成功」という形があるからこそ選ぼう

占星術の鑑定という仕事を立ち上げたばかりの時、当時あまり有名ではないところでのblogを細々と1本だけ時々書いていて、自分の生きやすい形で生きることをやめられず、一般的な社会的達成や成功のあり方を真似することが出来ず、かといって興味のないアルバイトに頭は「行くか?行くべきかも。間に合わない支払があるよ」と言い。けれど私の感情と身体は「イヤだ。横道にズレるのは無理だ。どうにか私でありつつ生きていきたいのだ」と言い続け、その繰り返しの会話が限りなく続いたという時期がありました。

それは、余命3ヶ月を乗り越えて東京で場所を借りたのはいいけれど、誰もここに居る自分のことを知らないのだから、誰も来ない、仕事は発生しないという状態の時です。
そんな中でも、やめなかった、動かし続けていたのはblogです。
ぽつぽつと言葉を地上化し続けて来て、自分に出来るであろうことを話しかけて説明し、やがて反応が起き、それが続いて、そのblogも仕事場もそのままお引っ越しもせず、今年で17年目という今日にに繋がっています。

一般的常識的に考える獲得していく「成功」とは違う「成功」があります。占星術では「社会的成功・見える形での成功・山の頂上である天頂」と「精神的成功・見えない形での成功・山の底辺である天底」という表現をすることがあります。今現在は山の上と下とどちらを自分は目指しているのかということを自覚することによって、その目指しているものに向って自覚的に段階的に近寄っていくことが望ましいでしょう。
さらに天底が深ければ深いほど天頂は高くなる、とも言うのです。

私たちにとっての社会での見える成功の形もひとつではありません。
例えば、社会的自我としての地上的で多くの人にとってわかりやすい多数派仕様の社会的「成功」形式と、より本質的な自分らしい形と内容での自分だけに通用する少数派仕様の社会的「成功」形式というものがあります。

どちらの成功も可能です。どちらの方をより望む自分がいるのか、ということになります。
自分らしさを追求した成功を望む場合には、もちろんそれにはその道の歩き方というものがあります。これまで通りの社会にまるっと呑み込まれたままのステレオタイプの日常の歩き方からは距離を置くということになっていくでしょう。
すぐにうまくいかなくても、その悩める姿、求め行く姿そのものが、自分の知らないどこかの誰かにとっての助け、支えになっている可能性があるんです。自分以外の誰かのための成功を必要とするのではなく、しなければならない常識的社会参加でもなく、より自分自身のためのものを探し求め続けていいのです。

占星術的に見ても、今日以上に2024年以降徐々に、自分なりの何かを見つけて、育てて、表現し、それによって他者や環境と出会って、交換し合ったり助け合ったりしながら生きていくという歩き方へと向う方が多くなっていくでしょう。逆にこれまで長く当たり前だった、力が集まって大きくなり過ぎている企業とか、同じく大きくなりすぎた個人によってこそもたらされるものがあるという風景は年々薄くなっていくでしょう。

送り出したエネルギーはいつか帰ってくる

さて、今回のAさんはあらためて納得したかのように頷いて、名も知らぬその方へと再び「ありがとうございます」と呟いて帰って行かれました。
このAさんの「とある人への、ありがとうございます」というエネルギーは、そのとある人へと見えないものとしてですが確かに届くこととなるでしょう。
感謝の気持ちが実際には出会ったことの無いとある人の元へと送られる、ということが今日も現場で起きています。それはきっと、とある人を支えてくれるものとなり力付けとなるでしょう。自然な支え合いがめぐり巡っているようです。

本当はそれぞれひとりずつがひとつの小宇宙で、それを表わしている各自の出生図の7つ目の部屋が、実はすでにお互いという存在を含んでいるということになります。ちょっとこんがらがってしまいやすいでしょうか…。(笑)


私もこれまで地上では社会の中で多くの人に助けられてきました。
さらに直接的に出会うことの無いままの関係性であっても、人や物を介して実際出会う以上の関係性や物語が生み出されること、そしてあらゆる方向に出会いも物語もあるっていうことをnoteでも日々教わっています。これは見える世界での地球生活の中での助けです。今年の秋分らしい新しいご縁もすでに発生しています。

そして、私という存在がまだ気が付いていない、見えないけれどある、という全方位360度方向に、太陽から見たこの太陽系内惑星と地球に、その空の向こうにさらに続くひとり輝き続けている星々の世界に、そのたくさんのご縁に今日もありがとうございます。



あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafeprizm sanaでした。

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