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一緒に迷路を楽しもうとする彼女

グルグルの彼女

とある昔のお話です。

噛み合わない話、共感されない話、家の中では「どうしてわからないの!」と言われ、いつも折れるのは自分の方。

「外に行ったん出て行くと私は変わるんです。会社でも役に立つ存在として働き、かなり大きな実績を上げ続けていますから。」

そうお話してくださる女性は、仕事現場ではかなりのやり手。好きな分野の仕事をして、毎日やりがいのある一日を送っています。

家族の中にいると、夫とも子供たちとも話が噛み合わなくて、気が付くといつも私が「ズレてるよくわかってない人」という扱いになってしまっていて、それを変えることが出来ないまま続いています。
いつも「あれもこれも出来てない」って言われて、こなすのが大変です。母として当然のことをちゃんとやってない、と言われるんです。

そう語る彼女が、とある時のワークに参加していました。質問をと言われたときに手を挙げて話を始めました。
「先ほどの話ですが、聞いていて思ったのですが、こうやって質問をする時に当たり前の常識的なことを聞くのでは無くて、私はとっさによくありがちな質問パターンのいくつかが思い浮かんでしまうので、そうじゃなくて、聞いた話から考えてその場でライヴで自分の考えとかから質問したいのに…、ええっと、そうこうしているうちに自分の中でグルグルしてしまう時と、もうひとつ考えてから質問を出したいと思う時とがあります。
グルグルせずに、そこに行かずにもうひとつ考えるという方にいくために、その二つの紙一重のところをどうにかグルグルの方には行かないようにするために、どうしたらいいとか、どういう視点で考えるといいとか、先生から見て、そういうのってありますか?」
さらに続けます。
「私はちゃんと質問したいんです。だから考えてから質問したい。少しの間沈黙して考えたい。その間にちゃんと考えられる場合とぐるぐるし始める場合とがあるので、その二つあるうちのグルグルじゃなくて考える方に行くにはどうしたらいいのか…この紙一枚の違いということを聞きたくて…」

その場のどなたもが同じ感想だったのですが、それは「なんだか何言ってるのかさっぱりわからない。何を聞きたいのかわからない。」という声でした。

そうなんです。彼女の言ってることは、周囲の人が話を聞いているうちに「?」となり、段々と「???」ってなってしまうという特徴がありました。「内容がわかりにくいですね」という声が出るとさらに「そうですか? それでは…」と説明しようとする話が続き、さらに聞けば聞くほどわけがわからなくなっていくという個性を持っていました。聞いている方も迷子になってしまって、どこにも到着しないという状態になってしまいます。
皆さんお手上げのようです。どうにかもう少しわかりやすくしてほしいと言いますが、彼女が説明するとさらに混沌としていきます。
「一体何が言いたいのですか?」「何をしたいのですか?」
最後には参加者の方々は、呆れたようにそう言い始めました。


その時、彼女の長い話を聞きながら、スゴい! 私はそう思っていました。
「スゴい、これはぐるぐるの才能だ!」って思ったのです。

もちろん彼女に悪気なんて無いのです。むしろ真剣。まじめにその日のテーマについての話を共有しようと懸命に考えて、それで手を挙げて問したのですが、自分でもわからなくなっているようでした。さらにどうして他の人に伝わらないのかわからないでいるようでした。

さぁ、ここからどうなっていったでのしょう?


左右にあるどちらか。という考え方

最初にその場に投げかけた言葉があります。質問の形です。
「この、考えてから質問するっていうのと、ぐるぐるしてしまうっていうのと、まずは○○さんは二つ横に並べてるでしょ。その二つが紙一枚挟んだ状態でで横に並んでいるっていう、それで右か左かというような話になっているみたいなんだけど、そういうこと?」

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少しの間の考えているようでしたが「紙一枚を挟んで…並べる話では無い、と思いますけど…うーん、そこからはわからないです。」
「皆さんの前で質問自体を私がしたいということがまずあって、その質問の中身がまだ定まらないけど、早く定まって、その場にピッタリ来ているような質問を起こしたい、ということだと思います…
実際まだ質問に中身は入っていないんです。」
彼女は続けてそう言いました。

徐々に言葉に出しながら、おおまかに、大きな塊みたいでまだ細かいところは見えてこないけれど、という流れで、少しずつ自分の欲求に気が付き始めたようでした。

私はほんの少し話をします。
「喋ってる内容が、質問自体とは関係の無い周辺の説明が多いでしょう。それを聞いている間に、聞いている方は一緒に付いて行っちゃって、気が付くともうどこにいるのかどこに向うのか、何の話だったのかさえわからなくなっちゃったっていう感じ、ですよね。ここはどこ? もう戻るに戻れないね、どうしたらいいか一緒に考えましょう…みたいな…」

あ…、という顔をした彼女がいました。


例えばこれは言い方を変えるなら、おそらく彼女は皆にこう言っているのでしょう。
「迷路を一緒に、一緒に遊びましょう!」

無自覚なままのそんな彼女のお誘いに、これまた無自覚に乗ってしまった方々は、お話に付いて行って、その間ずっと彼女のお喋りを聞きながら、いつの間にかなんだかわからない場所に行ってしまいます。
気付くとそこはもう彼女を頼るしか無いような知らない場所で、同じような話をたま聞いて、わからないから質問して、その間中結果的に一緒に居続けます。その迷路にいる間中は彼女には誰かと一緒に居るっていう時間が発生します。それはきっと長くは続かない、一時の夢の時間みたいではありますが。


彼女にとって、それは大切な時間なのでは無いだろうかと思いました。そうすることで、けして一人ぼっちじゃ無い、そんな時間が出現するのです。
それならば、おそらくはゴールは必要無いのでしょう。話がスッキリきっぱりとわかりやすく完結することは、最初から描かれていないということになります。
そこにこそ彼女の欲求は存在していました。
本当に欲しいものの代替えでもいいからと、なんとか欲しいものに近いものを手に入れようとしている姿がそこにあるかのようでした。それは懸命な姿にも見えて来ます。

会社では出来る人で通っていて、自宅では出来ない人で通っていて、その中間にあるかのようなワークの現場の仲間たちの中で、方法も意味もわからないまま、それでも彼女はどうにか自分のバランスを取ろうとしていたのでしょう。


横じゃなくて、縦のお話

その後、彼女は小さなこと、日常の中にある自分の感情を見付けることからを練習し始めます。日常の中にある喜怒哀楽にさえ無自覚で、無感覚に近い部分さえあって、というところからの自分と向き合っていく練習です。

話は戻りますが、「考えて質問する」というのと「グルグルして質問にならない」というのは左右に並んではいないと考えるといいでしょう。
これは「横並び」では無くて「縦並び」の話なのです。
考えて中身のある質問をするという状態の意識と、グルグルして質問にもならないという状態の意識は縦に、上下に配置されているとイメージしてみましょう。片方は何かを発見できるという意識状態にあって、その上で質問を起こすということです。もう一方はグルグルしているうちにわからなくなって落ち込んだり腹が立ってきたりするという意識状態にあるということです。これは意識には振動数の違いによって階層があるという考え方、世界観からのお話です。


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さて、例の彼女はその後も度々迷路への案内を続けていました。出会う人を変えては無自覚に迷い道への案内を挑戦するのです。何度も迷路へと誘うのでした。もちろん迷子が発生します。何度か迷子になったことがあるという経験者も出て来ました。経験者はうまくかわすということが上手になっていきました。
その度に私はその現場を発見し、観察していました。
やがてもうそろそろ片付けの時間だよってことを何気なくお知らせすると、彼女はスーッと立て直して話を本線に戻すようになっていきました。いつの間にか彼女は彼女の位置からの成長をし始めていたようです。本線に戻せること自体簡単なことではないと思われるので、これはとても凄いことです。迷いの道へと誘った自らが迷路の出口へとスタスタと案内を始めたのです。
ここまで来るとご本人の中にも深刻さは無くなっていきます。
ほぼほぼ「レクリエーション」のようです。初めて出会って迷路へと入っていき出られなくなった方のことも、周囲の人たちは声を上げて笑うような現場になっていきました。


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太陽という目的意識が、環境次第になるという設定。

占星術で彼女のホロスコープ(出生した時の図)で見ると、彼女の知性や神経系を表す「水星」という天体は、社会から外れて大きな影響力を持つ「天王星」「冥王星」という天体と揺れやすい場所で90度という角度の配置を持っています。
さらに対人関係に振り回されやすいところに人生を生み出していくための主要な天体が集まっていました。日々を生きていく上で重要になる感情や身体、生活の基盤を表す「月」の状態は、その使い方が自分のものになっていない状態だと苦手意識となる「土星」と並んでいます。「自分はダメだ」と言い出しやすい設定です。
本来は自分で決めてきた、だから誰かに与えられた運命というものでは無く、ホロスコープに表現されている天体の配置は自らが選んだ、地球人としての設定だというところから読み取っていきます。他者や環境に投影しているものを自分の中にひとつずつ取り戻していき、自らの可能性として使っていくことを目指します。


占星術を知らなくても、人ってどこかでわかってやっていることがたくさんあります。人生を振り返って確認してみると、そういうことしてきた!ということになる場合が多いのです。
誰もが本当は地球で生きることを自らが決めて大きな宇宙からやって来ているでしょう。それは無自覚な場合も自覚的な場合もあるでしょうが、自分の出自の道筋を思い出して再びの繋がりを取り戻していこうと、その過程を歩いている最中だという方々がこの地球に、社会の中にいると思います。
無自覚な場合には、自分のことを誤解して苦しんだり困ったりしているかもしれません。自分とは何者なのか? と手がかりを探している状態かもしれません。どこにもヒントさえ無いような気持ちになってもがいてる、そんな時もあると思います。

地球のどこかにいる縁のある方に、このお話が届きますように。偶然見付けた落ちていた何かのカケラが自分探しの謎の解明に繋がっていくような、私はそんな可能性をいつも描いています。

写真と文とイラスト sanae mizuno
https://twitter.com/SanaeMizuno

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