孤軍奮闘の軍勢を増やしたい

ジェンダーについて学び、従来の性の権力構造に問題があることに気づいたシスヘテ男性は、基本的に従来のシスヘテ男性の集団から離脱し、切り離しを受けることになると思う。

先に断っておくが、ここでいうシスヘテ男性とは、単にシスヘテである男性というだけではなく、セクシュアルマジョリティであり、多かれ少なかれ従来のジェンダー観を獲得して基盤としてきた、この社会では「普通に」見られる人のことを指す(私の文章ではこの使い方をよくする)。

これまでシスヘテ男性(自分含む)がいかに構造の中で特権を受け、女性やセクシュアルマイノリティを差別し、加害してきたかを知ったならば、とりあえず現在の集団から抜け出さなければならない、ゆくゆくは正面から対峙していかなければならないと考えるようになるはずだ。そして元いた集団からは裏切り者扱いされることを覚悟せねばならない。

それはまるで革命発生に際して体制派から抜け出しを謀ろうとするかのようだ。体制側は強い権力を持っているが、「謀反者」のレッテルを貼られたとしても、信念を持ってこれを打倒しなければならない。一方、いきり立てども体制側を打ち倒すための快刀を持っているわけではないから、地道にその方策を考えなければならない。

そこで革命を起こさんとする市民側との合流を画策する。目標は体制の崩壊で一致している。当然受け入れてくれるだろう、と考える。

しかし、市民側が、かつて自分達を苦しめた体制派だった人間が態度を翻したからといって、協力してくれるとは限らない。なにせ市民は体制によって長らく大変な苦しみを受けてきたわけだ。彼らを受け入れるかどうかは、無条件ではない。

ジェンダーを学び、これに共鳴したシスヘテ男性は、ジェンダー学を先導してきた女性やセクシュアルマイノリティたちに歓迎され、自分達に協力してくれると考えてしまうかもしれない。というか私がそうだった。

しかし、受け入れるかどうかは相手次第である。女性やセクシュアルマイノリティ達は、既にかなりの労力を消費させられてきた。抑圧を受けながらも、自分達の存在を確かなものにすべく、本来ならする必要のない戦いを体制派としてきた。本来なら、女性もセクシュアルマイノリティも、抑圧を受ける必要はなかった。

そうした人々を従来抑圧してきたシスヘテ男性。仮に積極的弾圧をしていなかったとしても、何もしないことで構造の固定化に寄与してきたシスヘテ男性。従来のジェンダー観を根差してきたシスヘテ男性。彼らのことを、抑圧を受けてきた人々が無条件に許さなければならない理由は取り立てて見当たらない。また、彼らがジェンダーの舞台で役割を果たすために、手取り足取り指導してあげなければならない理由もない。

もちろん実際には、従来のジェンダー観に挑戦を挑もうとしているシスヘテ男性がいたときに、これを陣営に引き込もうと味方をしてくれる人もいるだろう。私が言いたいのは、実際にそういう人がいるかどうかではなく、「我々シスヘテ男性側がこれを期待してはいけない」ということである。

我々は女性やセクシュアルマイノリティの方々に誉められるためにジェンダー学を学んでいる訳ではないだろう。これまでのジェンダーの在り方が間違っていると思って、それを正さなければならないと思ったからこれを学んでいるはずだ。

確かに我々シスヘテ男性が現在の社会で受ける抑圧や苦しみというものを解決したい気持ちはあって、しかしこれに挑んでいるシスヘテ男性は多くないから、ついこれまで活躍していたシスヘテ女性やセクシュアルマイノリティの方々のお力を借りたくなることは分かる。

しかし、ここですぐそうした方々に協力を仰ごうとする前に、シスヘテ男性たち自身で解決できないか、をもっと徹底的にトライするべきだと思う。その意義に関しては、実はまだイマイチまとまっていないのだが、おおよそケアの役割をシスヘテ男性以外に求めがちな性質と、ジェンダー学に主体的に参画する意味と、従来権力を持ってきたという特異性への着目、などがポイントになると思っている。

シスヘテ男性自身が役割を果たすために私がしたいことの一つとして、シスヘテ男性がもっとジェンダー界隈にアクセスしやすく、定着しやすい環境を作っていきたいと思っている。女性やセクシュアルマイノリティがジェンダーにアクセスする機会よりも、シスヘテ男性がジェンダーにアクセスする機会は限られていると思う。だから、シスヘテ男性向けにジェンダーに関するポータルサイトを作って、シスヘテ男性にエッセーを書いてもらったり、FAQを作ったり、理論を書いていったりしてまとめるような取り組みを、いつかやっていきたい。

シスヘテ男性がシスヘテ男性に向けてジェンダーについて書くことは十分に意義があると思う。従来のジェンダー学では、現在被害を受けている方々が力を得るために書かれたものが多いように感じている。

一方、シスヘテ男性は被害を受けることもあるが、加害の立場に立つことも非常に多くある。というかほぼ全員が構造的に加害をすることになってしまう。抑圧される苦しみも無視できない一方で、加害者であることへの絶望感やこれからどうやって「償っていく」べきかなどについても考えねばならない。私は、このどちらかだけが大事だとは思わない。両輪揃って前に進むと思う。

被抑圧者であることと、加害者であることの両方からの救済を受けるために女性やセクシュアルマイノリティの方々の協力を仰ぐのは、私は傲慢にすら感じるし、同じシスヘテ男性だからこそニーズに対応できるように感じている。

(余談だが、私は関西で活動されている「ぼくらの非モテ研究会」という男性の当事者研究会に強く共鳴している。私が関東住みなので中々行けないが、男性性について考察している上、「つぐない研究会」という自身の加害についての考察もあって、大変興味深く思っている。男性性の再構築を目指すという視点は共感するところで、是非一度参加させていただきたい。)


ジェンダーセンシティブなシスヘテ男性が、従来のシスヘテ男性政府を離れ、かつ女性やセクシュアルマイノリティの人々とも異なる軍を作り上げるなら、その軍は孤軍だとしても、大きい軍であってほしいと思う。私程度に何ができるかは分からないが、何かしら抵抗はしていこうと思う。その小さな一歩が、今私が書き、皆さんが読んでいるnoteだ。


(追記:今回の話は元々考えていたことが『私たちにはことばが必要だ:フェミニストは黙らない』という本にも表れていたことを機に書きました。こちらの本を読まれたことがない方は是非読んでみてください。)

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