セルフイメージと罪悪感が鍵?

昨日は「明日は好きなもののこと書こうかな」とか言ってたくせに、起きたら「自分の嫌いなところ書き出すやつ、やってみるか」みたいになってる。なんでだ。まあでもせっかくの機会なので書き出してみた。

ざっと50個くらい。同じやつかなと思って書きはしなかったやつもあった気がする。まあいっぱいある。

なんとなく許せぬ度みたいなところに差があって、まあ最悪これは直さんでも…くらいのものもある。一方で許せない自分がいっぱいいる。

許せぬ度が高いところのものはセルフイメージと関係があるやつとか罪悪感に関係があるやつかな。子供の頃にちょっとばかし「デキる自分」のセルフイメージを構築しちゃったから、そことのギャップが大きいところが辛い。後は罪悪感。過去の加害経験が未だに処理できてないから、自分の中では根拠がある「幸せになってはいけない」感じを持っちゃうね。


元々高すぎた自己像と持ち続けた罪悪感の結果が私のジェンダー学などへの向き合い方な感じもするのね。

自分のダメなところを見つけて落ち込むというパターンにハマっているから、「有害な男性性」みたいな話とかに興味が出る。んで、ジェンダー学について向き合うことで理想のセルフイメージに近づけるのかもなどと思いつつ学んでいく。でもセルフイメージは青天井だから達しはしないのよね。これがダニングクルーガー現象か。それで至らない自分が見つかるとまた落ち込めると。

だからね、罪悪感を感じたい、落ち込みたいがために学んでいるところもあるんじゃないかな。そりゃ続かないよねー。だからね、セルフイメージと罪悪感を対処したほうがいい。前向きな勉強にならない。

もっともそう簡単じゃないから残っているとは思うのね。まして罪悪感には実際の加害経験があるからさ、それをないがしろにはせず、まともに対面するだなんてどれほどのエネルギーを必要とするかわからないね。

そのあたりを乗り越えられたら無能とか怠惰な自分にもメスが入るんじゃないかな。あと余裕ができて人を見れるようになるかも。


しかし「罪悪感」をどうするとよいかみたいな記事も少ないのね…。皆さんはどうしているのかしら。


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