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「知るか!やりたいからやってんだ!」体験談

私はボウリングが好きです。

ボウリングを見ることも大好きだし、やるのも大好きです。マイボールもマイシューズも持ってます。そんなに上手くはないんですけどね。

ボウリングにハマったのは高校3年のとき、テレビでPLEAGUEというボウリングの番組をみたのがきっかけで、大学生になるのと同時にやりはじめたんですね。

んで、「最近ボウリングをやるようになりましてー」なんていう話を、知り合いのマダム(?)に言う機会があったんですが、

「ボウリングやっててもあんまかっこよくないよねー」みたいなことを言われた覚えがあります。

まあ、知るかって感じですよね。「モテはしないよ」みたいなことは、言われたかなあ。でもそんなニュアンスでした。少なくとも私はモテるためにボウリングをやっていたわけではないです。好きだからやっていたわけです。ただ、ボウリングが持つ文化的な意味を全く無視できるわけではないので、その人の言っている意味もわかるんですけど。(あと、男子大学生になった私の恋愛事情が気になったのかも。)


さて、私がボウリングをやるようになったのは、人から評価を受けたいためがためではなく、単純に好きで、やりたいと思ったからですが、この感情の過程は結構大事だと思うんですよね。

それは、「自分がやりたいから」という理由で、自己表現のおしゃれをしている人のことを、心情的に理解するきっかけになると思ったから。

私は、ファッションとか美容とか、そういう他人から見られることへの意識がちょっと弱いんですね。自分史上で、おしゃれや美容に目覚めた瞬間は一秒たりともないんです。

それでも服はそれなりに選んで着てはいますが、その選ぶ基準は「人から見てよっぽどおかしいと思われないこと」と「物理的に無理無く着られること」くらいで、「自己表現」としてのファッションをしたことがないんです。

いつからかは覚えがないですが、おしゃれっていうのはもっとかっこよかったり、かわいかったりする人がすることで、自分には関係ないみたいなことはずっと考えてましたし、

自分がおしゃれしたら「モテたがっている」ような感じがしてなんか嫌だったんですよね。(その証拠に、あまりかっこよくないように見える男性がファッションに勤しんでいる様子を心のうちで笑っていました。今も意識しないと出てきます。)

今でも自分とおしゃれの関係はそんなに変わってません。自分のしたいおしゃれをすることを男性の権利として保障する動きとか、男性もおしゃれしよう!みたいなのにはついていけなくて、

自分がしたいおしゃれなんてもんは、ただの一つも思い付かないんですよね。


そういうわけで自分は「ファッション」を「モテ」とか、「他人からの評価」に結びつけてしか考えてこなかったのですが、

そうすると困ったことに、「自己表現」のためのファッションについて全く心情的に理解ができないのです。共感できないというか。

だから、あまりにも無防備なスカート、機能的に見えない高いヒール、周りから浮きすぎる髪の色、全部意味がわからなかったんです。ただ「したいからしている」、それだけなのに。

(ただし、「したい」と思わされている、という可能性については言及を避けさせてください。今の自分には力が及びません。)

従来の男性性にとってファッションってそういうもんなんだろうなって思います。女性をそういう風に眼差してきたから、その反射で見られるためのファッションをしている、みたいな。

自己表現、自分の内面を出すという行為も、従来の男性性に逆らう行為ですよね。ということは、ファッションというのは、女性と付随され、低められてきたってことなのかな。


話を戻しましょう。私は、ファッションとかそういう分野について、「他人の評価は関係なく、したいからしている」という人の気持ちが分からなかったわけですが、

ボウリングについての一件の時の私の感情は、やっぱり「他人の評価は関係なく、したいからしている」だったのです。この時の感情を思い出すことで、ようやく自分も自己表現のおしゃれをする人を心情的に理解することが可能になった、というわけです。可能になっただけですが。

可能になったということは、自分の意思でしたい人の邪魔をすることも、逆に自分の意思でしたくない人の邪魔をすることも無くせるということです。

「やりたいからやってんだ!」という声が自分の中から聞こえてきてくれたので、その声を大事にできるようにしていきたいですね。

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