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『BOYS』を読む(7)

この記事は一昨日の記事の続きであり、レイチェル・ギーザの『BOYS』という本の第六章について述べるものです。

一昨日の記事がこちら。

この第六章のタイトルは「ゲームボーイズ 男の子とポピュラーカルチャー」である。

以下、あらすじ。

筆者は自身の息子が触れるポピュラーメディアに関しては、かなり意識を向けている。女の子がメディアに触れる時に、そのアイデンティティに与える影響はなかなかに研究されてきたが、男の子の場合はそこまでではない。言及されるのは道徳に関する危険視がなされる場合である。その時、男の子は画一化されて扱われる。

ポピュラーカルチャーでは男の子は周囲からの期待を基に単純化された存在としての男性を見ることになる。筆者の息子は北米の先住民系なのだが、メディアでは先住民はごく単純化され、しかも肯定的には扱われない。そんな彼にとって、先住民系の監督が作ったリアリティ番組は、先住民のアイデンティティを肯定する良い影響があったようだった。

主役に据えられやすい、男性の白人の異性愛者。同じアイデンティティを持つ男の子は、自分たちとは違う存在にはあまり意識が向かなくなる、と筆者は考える。そして、どんどんと「無敵」になっていくアメコミヒーローは、男の子に過剰な期待をかけてしまう。

ネットやゲームは反権威主義的な魅力が、男性性の有害な部分を助長させる可能性も持つ。男性が権威を持つ世界を見てしまうためだ。しかし、ゲームなどが必ずしも悪影響を及ぼすわけではなく、これまでの子どもたちが遊んできたものの代替として、他人と繋がる楽しい遊びになり、様々な世界を知るきっかけになるという見方もある。違うのは親がそのテクノロジーについていけず、過剰に恐れていること。

また、新たな時代のメディアは、自分たち自身がその主役になりえる。それは、これまで主導権を握ってきたメディアにない男性性の発現することのハードルが下がってきたことを意味する。メインのメディアでも、例えばこの本では、ワン・ダイレクションを男性性の良い部分が出ていたとしているし、その後にはBTSが新たな表現を行っているとしている。

そして、メディアとの関係については、大人が独善的に考え方を押し付けず、子どもたちと対話してポップカルチャーとの関係性を考えていくことを推奨している。


以下、感想。

日本のメディアは(シスヘテ)男性偏重になっていると聞く。作り手も受け手もだ。ジェンダーについて学びはじめてからは、そのことに意識が向くようになった。かつてそのメディアをベーシックとして受け取って価値観を形成してきたことが恥ずかしいように思えてきている。

しかし今では、子ども向けのコンテンツにジェンダーの視点が入りつつあるようだ。プリキュアシリーズに男の子のプリキュアが誕生したことは記憶に新しい。

ここでは、おかあさんといっしょの人形劇「ガラピコぷー」について書きたい。

「ガラピコぷー」のメインキャラクターは、活発なウサギの女の子のチョロミー、優しいオオカミの男の子のムームー、ロボットのガラピコである。

基本的におかあさんといっしょの人形劇のメインキャラクターは性別を持っていて、その割合は4人メインの時は男女2:2になるが、3人メインの時は男女2:1になっていた。そこに無性別のロボットが入ることで、男女1:1になっている(ただしガラピコの声は男性的に聞こえるかもしれない)。ロボットやAIの存在が普通になっていくであろう時代を生きる子どもたちのことを意識しているのだろうが、結果的にジェンダーの方でも意味を持っているように思える。

そして従来の性役割の逆を行くようなチョロミーとムームーのキャラクターも注目したい。活発な女の子のキャラクターはこれまでの人形劇にもいたが、チョロミーはこれまでのキャラクターの中では最も脱ジェンダーされているように見える。

優しい男の子のムームーも、かなり従来の男性性と違う姿に見える。オオカミでありながら気が優しく、泣き虫(よく「ホロローン」などと言って泣いている)で、友達思いといった設定がついている。従来のマッチョな男性性とは少し違ったキャラクターだ。

先日見た回で面白かったのは、チョロミーが将来何になるかについて考える回だ。モモンガのキャラクターのプッチマーゴさんというお姉さん、保護者的なキャラクターが居て、チョロミーと将来のことを考えるのだが、最初に考えたのはスポーツ選手だった。チョロミーは元気一杯だから印象にピッタリである。とはいえスポーツ選手も元々女性ジェンダーには結びつけられていないと思うから、これだけでも興味深い。

しかしここからが凄い。次にプッチマーゴさんが提案したのは「科学者」だった。はっきり言ってチョロミーは頭はよろしくない。しかし、科学者になる意義やかっこよさについてプッチマーゴさんが語ると、チョロミーもその魅力に惹かれる。明るい将来を抱くチョロミーにプッチマーゴさんは最後にこんなことを言う。「チョロミーは、何にでもなれるんだから!」

うーん、すごいメッセージだ。チョロミーを見た女の子はエンパワーメントされるだろうし、男の子もこれを常識にできる。センシティブだと思う。こういうメッセージはきっとこれからの社会で増えていくだろうし、これを受け取った子どもたちが育っていくことは期待が大きいように思う。私もそんな時代に生まれていれば、もっとジェンダーセンシティブな価値観に育っていたのだろうか。


えっ、なんで大学生なのに今のおかあさんといっしょの人形劇を見ているのかって?


まあ、いいじゃない。

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