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『BOYS』を読む(1)

昨日の記事のタイトルは「男性であることを肯定する方法ってあります?」だった。

その答えが、ひょっとしたらこの本にあるかもしれない。

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以前一度読んで、心に響きまくった本、『BOYS』。男性性について考察した本のうち、最も自分に影響を与えた本かもしれない。この本がなかったら、自分はこの世界の居場所に絶望していたかもしれない。

度々自分の男性性について悩んできた私が、以前読んだときより少しだけ知識を得た状態で読むとどうなるのか。その記録を日々書き留めて行こうと思う。


筆者であるレイチェル・ギーザはジャーナリストで、ラジオなどにも出演する著名人であるようだ。プライベートではレズビアン女性であり、パートナーとの間に養子で男の子を育てている。この本が書かれた2019年時点で男の子は10歳。そんな彼が男性としての行動様式を身に付けていることに筆者が驚くことからこの本は始まる。

今回はそんな「はじめに」の部分を読み、軽いあらすじと感想を書く。

筆者のカップルはジェンダーステレオタイプに縛られずに、人として育てることを意識していたようだ。にもかかわらず、筆者の息子は「男性らしい」行動をした。このことを受け、筆者はマスキュリニティ(男性性、男性らしさ)についてより深く考えていく。

女性の地位権利向上が受け入れられ、筆者が言うところの「ガールズパワー」も肯定される。女性に関するジェンダー研究も多い。

一方でマスキュリニティは批判に晒され、少なくない男性からのバックラッシュが起こることがある。男性に関するジェンダー研究は女性に比べては少なく、十分に検討されてこなかった。ジェンダーステレオタイプが女性に与える影響は研究されているが、男性のそれは少ない。これは、男性の男性性が先天的であるという考えと関係する。それは果たして本当だろうか?

男性が新たなマスキュリニティを獲得するためには、つまり男性であることと、有害なマスキュリニティを切り離すためにはどうすればいいのか。

男であることはどういうことか、を述べたのがこの本である。


筆者の息子が10歳にして男性らしい行動を取ったように、私も10歳の頃にはそれなりに男性らしさを獲得していたと思う。私の親はそこまでジェンダーセンシティブではなかったかもしれないが、一方で頑迷なジェンダーステレオタイプを押し付けてきたわけでもなかった。それでも、公立の小学校に通ったり、テレビ番組を観ているうちに、十分に男性らしさを学ぶことはできた。そこには有害な男性らしさも含まれていただろう。

そしてそのことに気付き、内省していた頃には、また新たに気づくことがあった。男性はどうするべきか、あまり教えてもらえないということだった。

この『BOYS』という作品は、「若い男性たちの幸せについて考える人ならだれでも悩ましく感じるジレンマ」(p22)について考察し、これに答えを出すことがその動機の始まりだという。

私にとって、まさにドンピシャで読むべき本だった。

筆者は女性であるが、筆者の息子にも応答するものとして、非常に当事者性を持っているものと思われる。男性性について考えることに、本気で向き合ってくれているのだろうと感じられたことが、私は嬉しかった。

私は一括りに「男性であることが嫌だ」と言ったりするが、これは男性であることは格別な喜びに値するのだろうか、という疑念と、男性性→有害なもの→だから自分が男であることは有害、みたい構図の刷り込みがあって、「男性は良いものじゃなくて、むしろ悪いものだ」という確信が生まれたことに因む。

でも私はこれからも男性として生きていく。その中で、もし男性性と有害さが切り離されたら、少しは楽になるかもしれない。

自分が有害なものであるという意識から解放されたいという奥底の願いに、この本が応えてくれるならこれほど嬉しいことはない。

また明日から『BOYS』を少しずつ読んでいこうと思う。ひょっとしたら何かが変わっていくかもしれない。そんな観察記録を、ここに残していこうと思う。

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