一度立ち返る
ジェンダー学とかフェミニズムとかクィアとか、色んなことを考えながらやってきたnoteだけど、もう行き詰まりは隠せないね。
タイムラインとか見るでしょ。色んな人が色んな意見を言う。そうすると思考するということの複雑さがドデカすぎてぶっ倒れそうになる。
どうしたら世の中の複雑さに耐えられるのかしら。自分の信じるものも信じるべきものか分からないし、思考することも下手な自分は、どうすればいいのでしょ。
もっと具体的な事象で言えば、私はどうジェンダー学などを学び考えたらいいのかしら。その在り方の指針がないと、もう足元が危うすぎて。
ツイッターとか見るじゃん。一人ひとりが色々と考えたことがタイムラインに並ぶ。その中には自分にとって様々に衝撃的なものもあるわけで、それに対して揺らいだ時、頭がパッと止まってしまう。そういう時にね、自分はどうするのかってことが固まってないと動けないんじゃないか。
私が取り扱えていないものにも原因はあると思うのね。
「男性」であり「マジョリティ」であるという自認をして、その特権性とか加害性とか、そういうのを重大な何かとしては意識してきたんだけど、それがあまりにも際限のない得体のしれないものすぎて、むしろ不適切な扱い方になっている気がする。でもどうしたらいいんだろう。
私の根本原理は「優しさと幸せ」のはず。
直感で優しいかどうかということを私なりの「正しさ」の基準にしてきた。
でもこれでやっていけないことが多すぎてさ。
そもそもジェンダー学は現実だもんね。
やっぱり自分は現実には生きていない。
現実には私も優しくないし、世界も優しさでできてはいないから、それを受け入れないと学問もできないのかな。
そうだとしたら、気付きたくなかったな。
明日はメンズリブのイベントに参加。記事、頑張ろう。
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