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【プリズンライターズ】連載・獄中小説・獄楽/春 Vol.3

獄中小説・獄楽 Vol.2こちらから

 
中庭の満開に花を咲かせた1本のソメイヨシノ。それを取り囲むように敷かれたゴザの上で、1人1個ずつ給与された10円饅頭を口の中に放り込む。
つぶ餡と、微かに感じる発酵の風味を逃すまいと、俺は、呼吸を、止めた。
そして少しずつ鼻から息を抜く。「ちくしょう、旨めぇなぁ」

 年に一度のイベントは文字通り〈花より団子〉、、、俺たち懲役にとってこの観桜会は、今年はどんな饅頭を食わせてくれんのかなぁと、それしか関心がない。
俺の右側に座るユウジから「年々ショボくなりますね」と声をかけられた。
「娑婆もコロナだ何だで大変だからな」俺はこの2、3年の間で何度も口にした台詞をユウジに返した。
相手との会話を早く切り上げたいときには非常に効果的な魔法の言葉だ。しかし、空気を読めないユウジ。
「ジンさん、昨日のニュース観ましたか?」おいおい、お前、イケイケになるとこ間違ってんぞ。
「あぁ観たよ、給付金だろ?」、、、ユウジの言わんとすることを瞬時に理解した俺は、しかたなくそう応じた。
続けて「てかよぉ、この季節の花粉て何花粉なんだ?スギか?ヒノキか?ったくよぉ。目が痒くてしょうがねぇよ」
俺は質問の答えをはぐらかし、再び会話を打ち切ろうと試みた。
2人とも黙って桜を鑑賞している、と職員の目を誤魔化さなければいけない。
マスクを着けているとはいえ、顎が上下しないように声を忍ばせるのは至難のワザだ。
喋っているところを職員に現認されたら〈不正交談〉の容疑で2人ともしょっ引かれてしまう。たのむぜユウジ、これで察してくれよ。

 
 俺はこの20年で懲罰を8回食らった。これが多いのか少ないのかは分からない。
えっ、十分多いの?、、、これ以上の懲罰は遠慮願いたいという俺の気持ちが通じたのか、ユウジが口を噤んだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、「ジンさん、給付金てマジすか?」今度は左隣のマサだ。お前よぉ、、、。
〈給付金〉と耳にした瞬間、いつものドスを利かせた凄みのある声を弾ませたマサ。
歳はユウジの1つ上。色白で目が細くて眉がない。ユウジの上をいくガタイと極悪顔の持ち主だ。
時代が昭和なら、この面構えだけで飯が食えたに違いない。
ただこいつは、顔に似合わず気が小さくていけない。
それにしても、給付金給付金て、そこまで心が躍るか?今回は3万円だぞ。
給付金がもらえるだけでもありがたい、と模範囚なら言うのだろうが俺には無理だ。
だが今の俺の作業報奨金は2千円だから、普段買えない物を買えるという意味では確かに助かる。ちなみにこの2千円ていうのは、月給だからな。
運動靴は5千円。電池式の髭剃り器も5千円。それに使うアルカリ電池は1本165円。パンツとシャツは1枚千円。だから3万円なんて申し訳ないけど屁の突っ張りにもならない。
ロシアが今だにつまんねぇことしてっから物価はまだ上がってるしよぉ、、、。おっと、何の話だったっけマサ?
そうそう〈給付金〉だったな。
「例の価格高騰なんとかってのが3万だとよ」マサが「ちっ!」と舌を鳴らす。
「何だよ、それじゃ写真集を買ったら終わりだよ」と短い溜め息までついた。
「お前ら写真集好きだなぁ」と俺が言った刹那「ズズッ」とユウジから合図が飛んできた。これ、何の合図だと思う?
 

 桜を鑑賞しているていで俺は視線を右に流した。なるほど、若い警備隊がこっちをロックオンしている。
ユウジからの合図は昔からここの懲役の間で交わされているものだ。顎を一切動かさず、唇を最小限に開くだけ。それでいて相手が聴き取りやすい声だというのがその理由だ。
俺は視線を正面に戻した。鑑賞時間が終了するまで、だんまりを決め込むほかない。
しばらく桜を眺めていると、感傷の心が湧く。この桜を初めて目にしたのは20年前。
考査期間を終えて工場に〈出陣〉のそのとき、この中庭を通った。
そのとき俺はこの満開の桜に誓いをたてた。それなのに今の俺は、、、。
 

 俺は記憶を巻き戻した。ここに移送されてきたのは桜の蕾が膨らみ始めたころだった。
ムショってところは、もっと、田舎の山の中にあるものだと思っていた。
堅牢無比な高くて長い塀。ムショの塀を見るのは初めてだった。
ただ、どこかでそれに似たものを見た気がした。それは、ベルリンの壁だった。
俺が20歳ぐらいのとき、テレビのニュースで観たのがそれだ。
なぜその映像が脳裏に浮かんだのかは分からない。
壁のあっち側とこっち側。その世界はまるで天国と地獄。
それだけの意味だったのかもしれない。
そうじゃないとすれば、クサのキメすぎ、、、いや、あの当時はシャブのキメすぎだったからかも。
俺は移送中のマイクロバスの窓越しに、その長い塀を茫然と眺めていた。
やがてムショの門らしきものが見えてきた。
それが近づくにつれ、まるで幼児が〈イヤイヤ〉をするかのように車内が上下左右に揺れた。
俺は苦笑した。ただ路面の段差で揺れただけなのに、俺の心境を如実に物語っていたからだ。
マイクロバスから降りてすぐ、〈新入調べ室〉に入れられた。
建物の1階にあるにもかかわらず、どこかの古いビルの地下倉庫を思わせる寒々としてカビ臭いところだった。
俺は拘置所で10年を過ごしたが、やっぱりムショの〈空気〉は違った。正直、俺は少しチビった。


 〈新入調べ室〉の造りは、銀行の窓口カウンターに似ていた。
銀行ならカウンターの前に設置されたベンチシートに腰を下ろすところだが、さすがにそこは違った。
その代わりと言っちゃ何だが、通称〈ビックリ箱〉と呼ばれるものがあった。
俺は、その中で待機していろと、職員に偉そうに命じられた。
〈ビックリ箱〉は、今では街中で見る機会が減ったという電話ボックスを想像してもらうと分かりやすいかも、、、
が、周囲はガラスじゃなくてベニヤ板。
外の様子を窺うことはできない。ただでさえ不安を抱えていた俺は、少しパニクった。
大丈夫、俺ならやれる。大丈夫、俺ならやれる。何度も呪文を唱えた。
名前を呼ばれて〈ビックリ箱〉を出ると、カウンターの向こう側に座る職員が、まるで自分のペットを呼ぶかのように手招きしていた。俺はカウンターの前に立ち、足下に荷物を置いた。
ゴクリ、と唾液を嚥下する音が、その職員の耳に届いてしまったんじゃないかとめちゃめちゃ気になった。


 本籍と住所、そして氏名、生年月日、年齢を順に訊かれた。
俺の気持ちに若干の余裕が生じたのか、目の前に座る職員がかなり威圧感を与える風貌だと気づいた。気づいたがために、俺の心拍数が跳ね上がった。
大丈夫、俺ならやれる。大丈夫、俺ならやれると、また呪文を唱えた。
全然ダメだった。呪文が効かなかった。「その氏名はどんな字だ?」と訊かれたが、緊張の糸が解けず、つい、キャバクラ遊びをしていたときのテッパンネタが口を衝いて出てしまった。
「えーと、中出しの中に交尾の尾で中尾、それからジンは仁愛の仁です」と。
やはり、その職員には全然ウケなかった。
その職員が怒るどころか、眉間にシワを寄せることもなかったのは意外だった。
というか、「中出しの中に交尾の尾で中尾、それからジンは仁愛の仁な」と、普通に流された。
俺の方がウケてしまった。
すると「何がおかしいんだっ!」と怒鳴られた。それ、怒るとこが違くねぇか?
俺の称呼番号が告げられた。
「今から616番だ、よく憶えておけよ」と言われた。忘れようがなかった。
なぜなら、俺の娘の誕生日だからだ。俺は、娘が1歳の誕生日を迎える3日前にパクられた。
あれから30年。娘は今だに俺のことを知らない、、、と思う。それはさておき、回想を続ける。


 俺はどうにかして緊張を解きほぐそうと、その職員にアダ名をつけることにした。〈ガマ親分〉にした。もちろん、ガマ蛙に似ているからだ。
そのガマ親分が、「足下の荷物をカウンターの上に全部出せ」と顎をしゃくった。ちっ、ガマ親分のくせに、、、と心の中で笑ってやった。ゲロゲーロ、ゲロゲーロ。
俺の荷物は2〜3日旅行に行ける程度のルイ・ヴィトンのボストンバッグが1個だけ。
どうせ俺は無期で娑婆に出られる保証もないしと、東京拘置所を出てくるときに、不要と思われるものは処分してきた。
俺はガマ親分の指示に従い、ボストンバッグの中身を全部カウンターの上に並べた。
ふふふ、思わず笑いが込み上げた。ガマ親分と目が合った。
「すいません」と目礼した。「これで全部か?」とガマ親分。
俺は「ゲロゲーロ」と応じた。俺は昔からこうなってしまう〈病気〉がある。
しかし、シャブの後遺症だと思います、そう相手に伝えると、不思議とみんな納得した。
「さっきからお前、面白いヤツだなぁ」と、ガマ親分がゲロゲロ笑った。
何だよ、俺のテッパンネタはウケてたんだ、と思ったら、、、
「返事する代わりにゲロゲーロって言ったり、それに、何だこの日用品の量は、、、」と、残念なことに、ウケていたのはテッパンネタじゃなかった。俺は不満顔を作ってうな垂れた。
「お前が自分で並べたものを自分で見てウケてんだから俺もウケるだろう」とガマ親分。
石けん、歯ブラシ、歯磨きチューブが各50個ずつ。
「一応訊くけどな、何でこんなに持ってんだ?」と、予測していた通りの質問。
「最後のお別れだからって、面会人が差入れしてくれたんです」と俺は即答した。「まさか全部1人の人がか?」「いや、5人です」
「なるほど、1人あたり10個ずつか」「ですね」
「その人たちってコレか?」と、ガマ親分が自分の頬を人差し指で撫で切った。
「いや違います」「お前なぁ、ここでは嘘がいちばんよくねぇぞ、そもそもなぁ、、、」ガマ親分の口調に熱が帯びてきた。
東京生まれ浅草育ちの俺でもガマ親分のべらんめぇ口調は聴き取りづらかった。
多分、こんな意味だった。懲役は賭け事が好きで、囲碁や将棋、競馬に相撲と何でもやる。現金の代わりとなるのが食べ物や日用品。
そのことを熟知しているからこその差入れ。だからその人は懲役経験のあるヤクザ者だと、、、。
確かに、面会人はすべて不良(ヤクザ)だし、差入れの理由もその通りだった。


 俺は、ここが初犯の入るムショだからと、職員のことを完全にナメていた。ガマ親分が急に咳払いをかました。
「俺の独り事だからな」と前置きし、懲役同士のルールってものがどんなものかを教えてくれた。
「結局な、何が一番難しいかというと、それは人間関係だからな。
見栄もプライドもこの中はクソの役にも立たねぇからな。バカになり切れよ」と最後にそう締め括った。
俺は思わず「オヤジさんとは、またどっかで逢えるんですか?」と、そう口に出るほどガマ親分のことを惚れ込んでしまっていた。

ペンネーム 楠 友仁



20年前、沢山の日用品の差し入れと共に辿り着いたジンの刑務所生活は?・・獄中小説・獄楽/春 Vol.4につづく


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