『JOKER』感想/スクリーンで「自分」を観た

正直に言えば、観る前から話の内容はわかっていた。そして想像通りの展開だった。

ただひとつ予想外だったのは、見終わったあとに感じたのが「安心」であったことだ。


あの映画で描かれていたのは、「一歩隣りを歩く私自身の姿」だった。

幼少期の虐待、ネグレクト、精神障害、貧困、自制心と堕落との誘惑の間をふらふらと歩くアーサーは、まさに私そのものだ。死刑台への階段を登るかの如き背中に、そして道化の顔をして踊る体のうねりに、在りし日の自分が重なって見えた。

これまでの人生で、あの日あのとき、違うほうの道を選んだ私。それがジョーカーだ。私として生きていたかもしれない、もう一人の私。


観る前から、こういう話だろうとは想像していた。
最初はふつうに過ごしていた人間が、世界の悪意や悲しみ、絶望に踏みつけられていくうちに堕ちていく。その展開は想像に難くない。
そして私は彼に自己投影して共感して、きっと泣いてしまうのだろうと思っていた。彼の痛みを自分の痛みのように感じて。

けれど、エンドロールのあと、私は笑っていた。
実に晴れやかな顔をしていた。
穏やかな安心に包まれていた。


アーサーは劇中で度々踊る。
事件を起こした後、妄想のなか、最高に興奮したとき…。
踊りが最も印象的だった。あれは原始の踊りだと思う。
感情が心から溢れ出て、手足を伝って世界へ流れ出るような、そんな踊り。

私もかつて同じように踊った。

自制していたこと、抑圧されてきたことを犯しに犯したあの夜。酒を浴びるほど飲み、煙草を吸い、誰彼となく蹂躙して、奪って、突き放して、体中切りつけた夜。やっと牢獄のような実家を抜け出し、ようやく手に入れた一人暮らしの部屋で、私はジョーカーと同じように踊っていた。

やってしまったという困惑と戸惑い。「ざまあみろ」という誰へかもわからぬ嘲笑。警告音のような耳鳴り。それが止んだあとにぐつぐつと煮え立ってくる快感。そして、自分を傷つけるものが全て排除された世界にいるという安心感。
腕を広げて目を閉じれば、見えないなにかが全身を包む…。

あの踊りを見て、私は心底安心した。

「彼も他人に対して " 理解できまい " と感じる人間だった。私はひとりではなかったのだ」と。


別に人に危害を加えたいわけじゃあないし、反社会的な行為を決して肯定はしない。ジョーカーになりたいとは思わない。
ジョーカーが暴徒に祭り上げられてパトカーの上で踊ったとき、「ああ、もう本当に戻れないところまで来てしまった。これで彼は本当に孤独になってしまった」と深い悲しみを感じた。

けれど、私はジョーカーを責めることはできない。
彼の姿は、私にもありえた人生だから。

彼と私の間にあるのは、ほんのわずかな差しかない。これまでの私には、いくつかの幸運な偶然があっただけのことだ。

なんであんなやつが親なんだと憎んだし、世間から存在ごと消えたのではと思ったし、これでもかというほど心も体も踏みつけられた。私を守るのは私しかいないと知ったし、ピンチにもヒーローは来なかった。神様は私に手を差し伸べないことも知った。

世界ごと諦めて最後の一歩を踏み出そうとしたときに、たまたま私を引き止める存在がいてくれただけのこと。それでまた人と世界を愛そうと思えた。
たったそれだけの差なのだ。


イカれてると思われるだろうが、私はこの映画にこれまでにないほどの共感と安心を覚えてしまった。人生観が変わるというわけではなかったけれど、私の仄暗い過去や世界に対して抱いていた絶望が報われたような気がした。

劇場をあとにする人の波のなかで、言葉がさざなみのように耳に届く。

「あんな目に遭ったらああなるのもしょうがないよね」

「完全に狂ってる」

「心に来るわこれ…病む…」

そんな言葉がほとんどだった。救済だと感じていたのは、私だけだった。

今までなら孤独感に苛まれて、理解者などいないと粋がっていただろう。でも、この映画を観たあとは、もうそんなことは感じなかった。

彼が私の孤独を全部持っていってくれた。私の代わりに暴れて、世界にこの孤独を突きつけてくれる。
だから、大丈夫。

そんな妄想をしていた。とても穏やかな気持ちで。


他人に感情が向きやすいひとにはこの映画が刺さるだろうし、相当やばいだろうなと思う。アメリカで厳戒態勢が敷かれるのもわかる。
この映画は、「無敵の人」にほど勇気を与えてしまうだろう。それを思うと、少し怖い。彼を追う人間が現れても驚かないが、できればそんなことは起こってほしくない。


でも、私はジョーカーに、アーサーに何もしてあげられないとも思う。
ジョーカーは私の抱えていた孤独感を救済してくれた。私の恨みと絶望ごと、彼が引き受けてスクリーンの向こうへ持っていってくれた。
私はもう、踊らなくても大丈夫。

『JOKER』は、私にとって救済の映画になった。

だからせめて、観客席にいる私は、誰かの孤独に触れたら抱きしめられる人間になろう。それくらいしか、私にはできない。

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