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整体で感じる「委ねる」のハナシ

今日は定期的に通っている整体の予約が入っている日でした。


朝子どもたちを学校に送り出したあと、家事を一通り終えてから、自宅から徒歩二十分ほどの距離にある馴染みの整体へ。


この整体に通いはじめたのは、今年の1月からです。もともと、長年ひどい肩凝りは自覚していました。具体的なケアをする決定的なきっかけがなく、今年四十歳になる目前まで誤魔化しながらきていました。でも今年に入ってから腰にまで鈍痛を感じるようになりました。いよいよ身体のあちこちが限界なのかもしれない、と思いました。そんなとき、ちょうど日頃から整体通いをしている夫から同じ整体を勧められて、渋々行ってみることに。


約二十分くらいの施術でまず腰が楽になりました。それでも長年蓄積してきた身体の歪みは一度ではとりきれませんでした。最初の施術に確かな効果を感じた私は、それからは自分の身体のメンテナンスのために定期的に通院することにしました。


今日も、肩と腰を重点的にケアしていただき、終わった頃には身体が軽くなりました。


整体で身体をほぐしてもらいながらいつも思うことがあります。


凝っている箇所や身体のツボを先生が指圧などでほぐしてくれるとき、先生の指から私の身体にグッと力が入ります。ときには痛いくらいの強い刺激が体に入ってくるとき、自分の体が強張りそうになるのを、すごく感じます。外部からの強い刺激や痛みから身を守ろうと、指圧されている箇所に力が入ってしまいそうになるのです。


でもそうすると、先生からの施術を私が跳ね返してしまうことになる。きっと施術の効果も落ちてしまうだろうと思います。だから私は、自分の身体の反応を自覚したうえで、意識的に体を緩ませるようにしています。


指圧が入ってくるとき、あぁ痛いーと体が強張るのをまず感じる。そのうえで、あえてその力を抜くよう意識します。このとき呼吸は止めずに、吸って、ゆっくり吐きます。すると刺激を弾こうとしていた体が緩んで、指圧をより深く受け入れられる感覚があります。ツボに効いている感覚がわかります。


このとき、「委ねる」という言葉が、いつも私の頭に浮かびます。うまく委ねられると、施術の効果をより感じます。自分の身体が整っていくのを感じます。


これって、整体以外のことにも言えることだなって思うんです。


例えば、日々の生活。


馴染みのある日々の生活の中で、突発的な出来事が起きると、まずは驚いたり、「なぜ!どうして!」と不安や拒否反応が出てしまうことがあります。


実は私もつい先日そんなことがありました。


突然予想外の出来事が起きて、私の心が大きく乱れました。その突発的な出来事に遭遇したとき、緊張で冷や汗が出て、不安で体が震えました。その状況をどうにかしなければ!と緊張で心身が強張る体感がありました。


最初はその強張りを自覚しながら、ただ感じました。湧き上がってきた体感や感情は、無視しようとしても、突然消えてはくれません。体感は無視せず、まずはただその感覚を味わいました。


そしてしばらくしてから、今度は自分の心身に力が入っているのを自覚して、あえて、それを緩めよう、と意識してみました。整体での指圧に対して身体を意識的に緩めるみたいに。


今私に起きたことは、ショックだった。ドキドキした。まだ不安も消えたわけではない。でも、あえてその強張った心身の感覚を緩めてみる。すると、少しずつ身体の力が抜けていきます。そして、目の前にある心揺さぶる事態も、必要以上に恐れたり、不安に思う気持ちが、少しずつ薄らいでいきます。


そこですべてが改善したり解決するわけではないけれど、心身の状態を意識したところから、少しずつ自分が整っていくのを感じられます。


その「感じる」「委ねる」「整う」の過程をわかりやすく身体で体感できる場だなぁと、整体に行くたびに思うのでした。

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