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「小説 名娼明月」 第3話:喜びは水の泡

 矢倉監物の家来、柳島才之進は、主人監物の命を畏み、忠義顔に女の居所を捜し始めた。三輪山の紅葉見学に来るほどならば、遠くても二里か三里の間であろうと呑み込み、東西に駆け廻り、年頃の娘のいる家毎に訪ね歩いた末、とうとう女の居所を突き留めた。
 すなわち、その女が、西河内なる郷士、窪屋与次郎一秋の愛娘、お秋であることから、窪屋家の祖先が藤原家の家臣であったこと、かつ西暦元年、時の関白太政大臣兼家卿から窪屋庄を貰いしこと、かつはまた、当主一秋の妻、阿津満が、紀州雑賀庄(さいがのしょう)にその人ありと知られたる鈴木孫市の親族であることまで、すっかり調べ上げてしまった。
 才之進の得意思うべしである。才之進は急ぎ主家に帰って、このことを報告に及び、

 「わが君にしてお秋殿を娶りたまわば、この上なき立身の階梯となりまする。不肖、才之進、この縁談の月下氷人となり、千代変わりなき縁(えにし)をめでたく首尾して進ぜましょう」

 と煽て上げたから堪らない。それでなくてさえ夢中の監物、まるで夢の中に夢見たように覚えて、一も二もなく才之進に頼み込んだ。
 善は急げの才之進、さっそく支度し西河内に窪屋の宅を訪ねた。あいにく主人一秋の不在であったのを、

 「さらば奥方にご面会申し上げたい」

 といって座敷に通り、主人監物の意を伝ゆれば、阿津満は女性のどこまでも愛嬌よく、

 「不束親(ふつつかもの)の娘お秋を左様にまで思し召しくださるのご好意は身に余って仕合せに存じまする。主一秋が、かくと承らば、さぞ満足に存じましょう」

 と巧い具合に待遇(あしら)って、その日は退散した。伏岡金吾との間に縁談ほとんど成立し、どうせ成らぬ縁談とは知りながら、最初から自分一人の所存で素気なく断ってしまうわけにもゆかず、いい加減にごまかして追い返したのであった。
 しかるを才之進の方では、これを真に受けて一生懸命でいる。大願成就と喜び勇んで帰り、

 「十に八九はまちがいありませぬ! さすが文武に長せられたるわが君の名を先方にいち早く聞き入るとこそ存じまする!」

 と復命したから、監物の歓喜は一通りではない。

 「わが事ここに成れり!」

 雀躍(こおどり)して、はや結納万端の用意にまで掛かるという騒ぎ。
 しかし、お秋の父一秋に直接逢って、その口から漏るる承諾の語を聞くまでは、何となく安心ができぬ。そのうちに他から結婚でも申込んで横取りせらるるようなことがあってはならぬと、監物はそれよりも間もなく、才之進を再び一秋の宅に遣わし、最後の決答を手に入れることとなった。
 ある日、主人一秋が書斎に入って書見をしていると、才之進が訪ねてきた。才之進来訪と聞いて、一秋はすぐにそれと悟って眉を顰(ひそ)めた。取次の者が、主人在宅と言った以上は、いまさら不在とも云われぬ。やむなく表の座敷に引見すると、才之進は初対面の挨拶もそこそこに、主人監物の文武両道に長けていることを述べ立てて、さてお秋殿をと切出した。一秋は、これほどに調子づいたる才之進を落胆させるのも気の毒とは思ったけれども、この場合、実際のことを打明けて才之進を引取らすよりほかに途(みち)はない。せっかくのご懇望を無にするは本意なけれど、じつは、これこれでござりますると、伏岡金吾との縁談のすでに結納を取交すまでに進んで、いまさらどうすることもできぬことを、ありのままに話したから、あまりの意外に才之進は飛立つばかりに驚いた。

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