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「小説 名娼明月」 第36話:巡礼の第一日

 往来(ゆきき)の馬の鈴の音に、夜は朗らかに明けた。阿津満母娘は平生(いつも)よりも早く起きて出立(しゅったつ)の用意にかかった。笈摺(おいずる)を着け、脚絆甲掛(きゃはんこうかけ)を穿いて、菅笠(すげがさ)を戴けば、昨日に変わりし母娘の巡礼姿。宿の主人(あるじ)夫婦は、二三日前、母娘が下僕和平次に両掛担わせて着いたときの麗々(りり)しき姿と、今の気の毒なる姿とを思い比べて、二人の身の上を泣いた。
 
 「傍(はた)から見ていてさえ、かく泣かるるものを、ましてお二人のご心中、いかばかりでござりましょう。お察し申しまする…」

 と慰むる主人の言葉に、さすがに気を落とすまじとは決心せし身ながら、阿津満は溢れ落つる泪を見られじと顔反(そむ)け、

 「いずれ首尾よく探(たず)ぬる人捜し当てて、帰国せん時は、笑いてお目にかかりましょう」

 と淋しく見せし笑顔を、娘お秋は見るに堪えず、低く曲(かが)んで草鞋(わらじ)の紐を締めた。

 「何の縁(ゆかり)もなき我ら母娘に、尽くしくだされしご厚恩は、いつまでも忘れはいたしませぬ」

 と両人(ふたり)が金剛杖突いて、一足二足踏み出すを、主人夫婦は別れの情に堪えかねて、駅(しゅく)の尽頭(はずれ)まで蹑(つ)いて行き、母娘の影の木の間隠れに見ゆるまで見送った。見返り見返り進みゆく母娘の姿が隠れ、霧の中に消えて日は高く昇った。
 両人(ふたり)は玖波(くば)を過ぎ、三里足らずの路(みち)を小方(こかた)の駅(しゅく)まで行ったが、どうしても人の家の軒先に立って『巡礼にご報謝』とは言えぬ。
 今度こそはを思って、程よき家の戸口に立とうとしては、極り悪きに行き過ぎてしまったことが何度あったか知れぬ。とはいえ、懐中の金は、ここ数日を支ゆるに足るだけしかない。是非に人の合力に預からねば、旅は続けられぬ。
 
 「行く先遠き旅を、今からこんなに心細くてはならぬ!」

 と心を引き立て、この家こそはと見て、動悸(どき)めく胸押し鎮め、軒先に立ち寄れば、さも意地悪そうなる親爺がただ一人、火鉢の端で煙草を(くゆ)らしながら振り向いてもくれぬ。母娘は体中に冷や汗かいて逃ぐるように足を急がせて、顔の柔和な親切な女房が一人いる家はないものかと、二人は、右や左の戸ごと戸ごとを覗いていったが、どうも注文どおりの家がない。二十軒三十と過ぎゆくうちに、小方(こがた)の駅(しゅく)空しく通り過ぎて、ある淋しき茶店の前まで来たと思うと、俄かに、

 「巡礼さん、ご報謝参らせましょう」

 と呼んだ者がある。両人(二人)がその声に驚いて振向けば、声の主は、その茶店の主婦(あるじ)らしく、五十あまりの老女である。

  「もはや正午(おひる)に間もなければ、弁当を召(め)しまさずや? お粗末なれど、お茶にても進ぜましょう」

 と親切に言わるる言葉の懐かしさに、母娘は、

 「それでは、御店しばらく拝借いたしましょう」

 と会釈して、笠を取り、家内(うち)に入れば、ただの巡礼ではないと見しものか、いろいろに手厚く劬(いたわ)り、お茶よお菓子よと饗(もてな)し、いくらかの金さえ白紙(かみ)に包んで報謝をしてくれた。
 母娘が巡礼となって報謝に逢ったのは、これが初めてであった。恥しさと嬉しさとが胸いっぱいになったのも無理はない。世の事は、案ずるより産むが安いものである。さすがに辛く恥ずかしかった合力乞いも、翌日あたりからは、少しずつ人に馴れてきて、どうやら、軒先に立てることとなった。
 無愛想に報謝を断られし極り悪さに、どきどきして立ち去ることも尠(すくな)くはないが、我から呼んで米麦などくれる家もあった。

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