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「小説 名娼明月」 第28話:一秋の戦死

 五百艘の兵糧船は、お秋の手柄によりて、織田勢の夢の中を上っていった。やや遅れて後を追ったのは、二百艘の兵糧船である。白帆を連ねて勇ましく上り行くを、それと認めた織田勢の狼狽は一通りではない。兜よ鎧よと騒ぐ間に、先頭の十二艘からは一時に小銃を浴びせ掛けたから、天地も裂けるような響きである。
 織田勢の兵船五艘は、混雑のあまり錨巻く時間もなく、綱押し切って逃げ去った。
 この騒ぎの中に織田勢の他の兵船から弓鉄砲を霰(あられ)と飛ばして応戦をした。百雷の一時に轟くようである。されど味方の中国勢の海戦に熟していることは無比である。しかも、事あれかしと待ち構えいた時であるから、意気点を衝いて凄まじいとも凄まじく、巧みに船を操って、ひたと敵船に迫り、その胴中へ抱筒(かかえつつ)の大きなのを打ちかくれば、敵の狼狽は前にも増した。
 船腹を破られて沈むもの、潮を見出して逃ぐる船、縦横に混乱する中を、心地良しと眺めて、味方の船は遡(のぼ)ってゆく。
 このとき窪屋一秋は、七里三河守とともに最後の船にあって殿(しんがり)の戦に従い、今しも川口を過ぎんとするころ、織田勢の急報によって木津川より急ぎ漕ぎ来たりし、佐久間の兵船八十艘、勢い猛烈に一秋等の船を追撃してきた。
 ここでも捨ててはおけぬ。たちまち百余艘の船首(へさき)をぐりっと転じて、佐久間の軍に向かった。時しも雨模様の空は暮れて星影もない。潮光る闇の中に、敵味方入り乱れて戦う。
 折しも一秋の胸を貫く一発の弾丸!

 「残念!」

 と叫んでうち倒れしを、三河守が驚き駆け寄って介抱したっが、一秋は急所の痛手に、すぐに息絶えてしまった。
 
 「かねて覚悟せし死とはいえ、兵糧運送の使命を首尾よく果たす今になって死なせしは残念なり…」

 と、三河守は戦友一秋の紅(あけ)に染んだる死屍に涙を流した。が、もう魂魄(こんぱく)は呼べど返らぬ。
 三河守らは、なお一仕切り激しく戦って織田勢を撃退し、首尾よく石山に遡(のぼ)って行って、飢えんとする味方を救った。
 
 お秋は父と別れ、室の津の遊女ら大勢とともに、一旦播州まで帰り、この港に二三日滞在して疲れを休め、この港からは別仕立の船に三四人の護衛兵を付けられて、海上恙(つつが)なく備中西河内の郷家(きょうか)に帰った。もとより、父戦没の事は、夢にも知ろうはずはない。
 待ち兼ねていたる阿津満は、抱くようにしてお秋を迎えた。お秋は無事なりし母の顔を見たる嬉しさのあまり、一秋からの托言(ことづけ)を伝うるのも忘れていた。

 「して、一秋殿は無事であったか?」

 と母から訊かれて、はじめてそれと気づき、父の無事であったこと、自分が郷里を出てからの道中の重なる災難、川口鎖外しの事など、一通り語って、父の伝言を伝えた。すなわち、

 「金吾はいまだ若輩なれども、矢倉監物ごときに易々(やすやす)と討たるべきはずなし。たぶんは一旦故郷を出たからは、本望遂げずに帰るのを恥なりと思い、音信だにせぬものであろう。今半ヶ年も経つうちには、よい報知(しらせ)を持って帰るであろうから、気永く待つがよかろう。また自分は、武運強くして討死(うちじに)を免るるならば、今年のうちに是非一度は帰宅するつもりである」

 との一秋からの伝言を聞いて、阿津満もようやく安心をした。

 こう云っているところに、大阪からの急使が来た。阿津満母娘は、いまごろ大阪の急使とは何事であろうと、胸轟かして中庭に使者を通してみれば、七里三河守からの書簡を持参したる武士二人である。
 這(こ)は、ただ事ならじと阿津満が見てとり、武士より文箱受取り、急ぎ封押切って読み下せば、意外にも、一秋戦没の報知(しらせ)である!
 
 「たった今、娘より聞きし一秋無事の喜びが夢か、一秋戦死のこの悲しみが現(うつつ)か!」

 と阿津満はお秋を掻き抱いて泣き崩れた。

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