野崎先生
体罰は暴力なのだから何があってもいけないとか、小中学校は家庭でのしつけがなっとらん子どもも入学するんだからある程度はいたしかたないだろう、という議論を見聞きすると、まず思い浮かぶのは野崎先生だ。
小学生だったころ、すでに体罰は廃止されていた。(わたしは1985年生まれ)2~3上の年代まで、体罰はあった。
特にわたしが通っていた小学校の野崎先生のお仕置きはキツく、どんなにイタズラ好きの悪い子も、野崎先生が腕をギュっと「つねる」と、とたんにギャーっと泣きだすのだそう。
刺されるとものすごく痛い「野崎バチ」と言われた。
わたしの年代か一つ上の年代になり体罰は廃止されたので、どんなに悪い子がいても「野崎バチ」は出ない。「教育委員会から、今後は一切の体罰は禁止との通達があったので野崎バチはやめてくれ」と校長先生から懇願され、効果テキメンだった「野崎バチ」はなくなった。
どんなに悪い子でも泣いてしまう「野崎バチ」は「伝説」になった。
わたしの年代の最も悪い子は「俺は絶対に泣かない!一度だけ野崎バチをやってくれ」と頼んだ。
俺も俺もと、わたしもわたしもと、悪い男の子も女の子も野崎先生のところに集まった。
仕方なく野崎先生は、子どもの腕の一番やわらかいところをつねっとつねったんだと思う。
「俺は泣かなかったぞ!」
悪い子は自慢げであった。
ほかの子どもたちも、わっと野崎先生の前に行列がついた。
わたしは痛いことは大嫌い。野崎バチの行列につかなかった。
・・・
野崎先生は面白いエピソードを話してくれた。
山仕事が大好きな野崎先生。ある日、運悪くマムシに出くわして噛まれてしまった。
入院してから一週間後、病室の窓を「コツコツ」と叩く音がする。
誰?お見舞い?と思って外を見ると、窓をたたいていたのはマムシであった。
マムシは、噛んだ相手が死んだかどうか必ず確認しに行くらしい。どんなに遠くに行ったとしても。
山から病院まで一週間かけて、マムシはニオイを追って病院までやってきたのだ!救急車で20~30分は離れていると思う。
・・・面白い経験をしている野崎先生だった。
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