見出し画像

大阪に住む長女のアヤには、9歳と3歳の娘がいます。私にとっては孫のYちゃんとRちゃん。

ほんとなら、もう一人、生きていれば今年の6月20日で7歳になる孫のMちゃんがいました。

一歳七ヶ月で、ある朝突然に亡くなったのです。

Mちゃんが亡くなってから、毎年、私はMちゃんの誕生日に千羽鶴を折ってます。
千羽鶴と言っても目標は10年後で、毎年百羽ずつ一人で折って大阪に送っています。

見出しの写真は、今、制作中の千羽鶴です。今年で五百羽、、あと五年で千羽ですね。

五年前、可愛い可愛い孫のMちゃんが突然亡くなったときは、この世の不幸が突然私だけに押し寄せてきた気分でした。

Mちゃんが亡くなった二日後に私は子宮癌の全摘手術の予定でしたが、大阪と東京を行ったり来たりで、結局手術は翌月に。

長女のアヤはもちろん、家族の皆が不幸のどん底でした。私は自暴自棄で、もう自分の手術なんてどうでもいい気分でした。毎日、Mちゃんの写真を見ては泣いてばかりでした。Mちゃんの代わりに私が逝けばよかったのに、、なんて泣いていました。

でも、私の人生そんな綺麗事では終わりませんでした。術後の感染症が酷くて、半年苦しみました。痛みで眠れない日々が続きました。私は、生きることに正面から向き合わざるを得ませんでした。

長女のアヤのことが心配でしたが、自分自身の熱が下がらず、お腹は真っ赤にカチカチに腫れて傷口から膿が出ていました。痛くて5メートルも歩けず、杖をついていました。夜はオムツをする始末です。

よくまたバレエが出来るほど回復したねと友人に言われますが、ほんとですね。。

夫にも感謝ですね。入院中は毎日必ず会社の帰りに来て、退院してからもずいぶん家事を手伝ってくれました。

過呼吸の発作も激しくなり、夫と車で出かけても、ちょっとしたことで過呼吸になり、座り込んだり横になったりしていました。

Mちゃんと一緒に天国に行きたいなんて夢見ていましたが、人生はそんなに甘いものではありませんでした。

どうしたら自分が立ち直るか?

直感でした。私は、Mちゃんの代わりが欲しい。

亡くなったMちゃんの代わりに、Mちゃんにそっくりで可愛い女の子のチワワの百菜花(もなか)を手に入れることにしました。

どうしてもチワワの女の子が欲しいと毎日泣いて、夫はお手上げ状態。。一緒にブリーダーさんに迎えに行ってくれました(二女も一緒に)。

いつもワガママでごめんね、、

百菜花(もなか)は、動物病院の先生に「我が家の希望の星」と言ってもらいました。

そう、希望があるから生きていける。

精神的に立ち直れないのではと心配した長女のアヤも第三子を産むことで復活しました。

昔、大学生の時、友人から「まりりんは素直でおおらかだけど、生きていくための直感だけは鋭いね」と言われたことがあります。

きっと昔から、どうしたら自分が元気に楽しく生きられるか、無意識に探しているんでしょうね。

今日は近くのお店に9歳のYちゃんと3歳のRちゃんの夏のパジャマを買いに行きます。

Mちゃんの千羽鶴とYちゃんとRちゃんのパジャマを箱に入れて、郵便局から大阪に送る予定です。
三人の孫ちゃん達、喜んでくれるかな。

秋には二女サヤの赤ちゃんも産まれます。

これから先も突然何があるかわからないけど、いつも自分が元気で楽しくなることを探していこう。

Mちゃん、ばぁばをお空で見守っていてね。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?