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宗教を超えた愛に触れた話

 仰々しいタイトルだが、実際は昨日久しぶりに同人誌即売会に参加してきましたよ、という内容のくだらない備忘録だ。ちなみにネオくん(彼氏)には一切そんなことは告げていない。ずーっと楽しみにして、沢山準備をしてきたが、まさかそんなことを言えるわけがないから内緒の活動である。

わたしは拘り強めの腐女子

 これを読んでくださっている方がどれほどオタク文化に精通されているのか分からないが、わたしは腐女子だ。つまりは男同士のBLを愛している。それも、ガチガチの左右固定派で、自分の中の解釈に真っすぐな、面倒くさいこだわりを持つ腐女子。自分の性癖を詰め込んだ数百ページの本を何冊も頒布する女──『だった』
 これまでの長い腐女子人生の中で、攻め(タチ)だと思っていた男を受け(ネコ)にポジションチェンジしたことはなかった。腐女子の中で最も大切なのはカップリングの左右である、とわたしは思う。
 ちんちんを突っ込む人と突っ込まれる人。そこにおけるポジションは大切だ。個人的には解釈だとか精神の優位性だとか話の雰囲気だとか、そういうことを論ずる以前に、まずはどちらがちんちんを突っ込むかを決める必要があると思う。
 だってそうでしょ、お父さんがお母さんにディルドで犯されてるの、嫌でしょ。いやそういう愛の形もあるのかもしれないが、わたしは嫌なのだ。だから受けと攻めははっきり決めておきたい。それが最も好きなキャラクターであれば、猶更のことだ。

突然異教に目覚める

 わたしの中の一押しカプであるA×Eと、サブ推しであるB×E、気が向いた時に書くC×E、D×E……とE総受けを中心に、A×FなどA攻めも幅広く楽しんでいた。わたしの中ではAとBとCが攻めで、Eが受けであれば組み合わせはなんでもよかった。
 そうして毎日小説を書き、沢山の人から楽しんでもらい、名前を知ってもらった。筆が早いためか、pixivのフォロワーさんも増え、同人誌も自分の中では沢山手に取って頂くことが出来た。リアルで遊ぶ友達も出来たし、差し入れもいっぱいいただけるようになって、嬉しいことしかなかった。わたしはきっと、ずっと、A×Eを中心にE受けの人として生きていくのだと信じていた。
 だが、公式からのあまりに的確な性癖爆弾が投下されたことによって、わたしは唐突にA×Bに目覚めてしまった。そして、E受け界隈に生きてきたのにA×Bを推す『異教徒』となってしまった。

 腐女子にとって、カップリングは宗教だ。『ABなのか、BAなのか』その記号の左右が入れ替わっただけで戦争が起きるほどの憎しみと嫌悪が発生し、Twitter学級会まで起こすこともある世界である。
 そんな場所の最前線で「リバはNG」「攻めのメス堕ち(つまりは受けへ転身することや、元から受けとして設定されている他所の作品を指す)は無理」と誰よりも言い続けてきたわたしが、『A→E←B(これは攻めであるAとBが一人の受けEを取り合っているという意味)』を書いて、いろんな人に喜んでもらってきたこのわたしが、まさか攻め同士をカップリングとして成立させてしまうことになるとは思わなかった。
 自分が自分ではなくなったみたいだった。何度も目を逸らしたが、日々気持ちは大きくなっていった。したことはないが、まるで不倫をしているときみたいだと思う。だめだ、好きになってはいけないと強く願うたびに、どんどんABが好きだという気持ちが強くなっていく。目を逸らそうとするたび、ABの作品が視界に入るようになる。そうすると、もう抗うことは出来なかった。

異教徒は迫害される

 すると、最初は様子を見ていたフォロワーも、わたしの異教徒っぷりに嫌気がさして、徐々に離れていった。これは当然だ。わたしだってきっとそうするだろうし、そのことについて責める気はない。
 実際、別にE受けが嫌いになったわけではないし、苦手になったわけではないが、自分の中では『やりきったもの』になってしまったような気がして、どうにも筆が進まない。
 だが、わたしがE受けの中に及ぼした悪影響はひとつではなかった。恐らく、E受けの中には『隠れB受けオタク』が多く潜んでいたらしく、わたしがABの話を公然とするようになった瞬間皆が話に乗っかりだすようになってしまった。わたしは嬉しかった。今までE受けの世界の中で生きてきたわたしにとって、B受け界に友達はいない。だから話をしてくれる人がいるのだと思うと、凄く有難くて、沢山話をしてしまった。
 ──となると、どうなるか。当然だ。わたしは純粋なE受けのみを愛好する教徒にしてみれば、邪魔で不快極まりない異物になってしまったのだ。自分の宗教の中で異教を布教しようとする女がいれば、こぞって排斥しようとするのは当然だった。そしてわたしは「BEの女をABに誘導しようとする悪魔」として迫害され、村を追われた。
 仕方のないことだと思う。すべてはわたしが悪いのだ。いや、もしかするとわたしも悪くないのかもしれない。CPの切れ目が縁の切れ目、そういうことなのだろう。オタクの出逢いも一期一会。そればかりは仕方がないので、イベントはABでスペースを取ることになった。

故郷が恋しくなる

 そうして住み慣れた場所から移動したわたしは、ABの村で寂しく独り暮らしを始めることになった。既にABはABの中での結束があり、異教徒であるわたしを受け入れるような空気感はない。だからわたしはひとりだった。原稿をしてもひとり、サンプルをアップしてもひとり。
 いつもなら「楽しみにしてます!」「通販はいつですか」「絶対に感想を送ります」と言って励ましてくれる人がいる。事前通販をすれば沢山の予約が入る。「差し入れは何がいいですか」とイベントに来る気でお手紙を書いてくれる人もいる。だが、今回は本当の本当に誰もいない。かつて暮らしていたE受け界のみんなが楽しそうに準備している中、わたしは黙々と壁打ちを続けた。ひたすらに孤独だった。
 こんなことならB受け界に来ず、E受けのままでいればよかった、と思わなかったわけではない。だが、わたしのB受けへの愛もまた、本物なのだ。
 ネオくんと付き合うかどうか、という逢瀬を重ねていた時期が丁度原稿期間にぶち当たっていたので、わたしにはもうBLオタクから足を洗って、彼氏の為に生きる可愛い女性になりたいな、原稿とかカップリングとかそういう世界とはもうおさらばしたいな、と逃げようとしたこともある。
 だが、ABの本を世の中に一冊でも放ちたいという思いで、頑張った。
 幸い、サンプルを出したらあれだけ名前が知れていた筈のE受け時代よりもずっと多くのブクマがついた。それはすごく嬉しかった。だが、誰も楽しみにしています、と言ってくれない。E受け時代のフォロワーと比べて数倍のブクマ数を得てみても、何の意味もない。誰ともイベントの話が出来ない。自業自得なのだが、それがとても辛かった。

宗教を超えた愛に触れる

 迎えた当日。緊急事態宣言発令中ということで、周囲には多くの欠席が目立った。わたしは知り合いが一人もいない中で誰が来てくれるのだろうと不安に思いつつ、席に着いた。
 そして最初に会いに来てくれたのは、E受け時代のフォロワーさんだった。その次も、その次も。ABを許容出来ると言ってくれた方が沢山会いに来てくれた。勿論、ABを愛好している方も来てくれたが、E受け時代のフォロワーさんを見つけるたびになんだか酷くほっとする自分がいた。
 本当はB受けのスペースなんて近づきたくもないだろうに、わざわざ来てくださって「B受け駄目なので宗教上の理由で本は買えないんですが……」と前置きしながら、差し入れだけ持ってきてくださった方もいた。
 みんな「またE受けで出してくれることを夢見て待ってます」とか「これからも頑張ってください」と笑顔で声をかけてくれた。本当は「ABに行ったんですね。さよなら。二度と戻ってこないでください」くらいの暴言を吐かれても仕方ないと思っていたのに、みんな凄く優しかった。
 
 今回は本当に参加している人数が少なかったので、ABの方からも「いつも見てます」とか「サンプルを見てすごくおもしろそうだと思って」とか、ゆっくり声をかけてもらうことが出来た。わたしも相手が身に着けているイメージグッズに触れて話をしたりと、とても楽しい時間を過ごさせて頂いた。
 新刊は通販を含め、完売を迎えた。嬉しいが少し早すぎるので、再販することになると思う。いつもいつも、有難い話だ。
 次はどちらで出ようかな、と考える。ありがたいお言葉に応えたいのでE受けでもいいし、枯れ木も山の賑わいということで、少しでも数を増やしたいB受けでもいい。なんならどっちも出してもいいかな(スペースをどうするかは考えないとだめだけど)なんて浮かれてるあたり、やっぱりわたしはまだまだ腐女子として、優しい人たちに囲まれて、優しい世界を生きていくつもりのようだ。

ところで明日は。

 散々オタクの話をしたところで、明日はネオくんとのパークデートである。今まで沢山奢って貰ったりしたのに、遅刻したりティッシュを持っていなかったりと女子力皆無な振る舞いを見せつけ続けてしまったので、見出し画像に設定したとおり、クッキーを焼いてみた。普段あまり料理をしないクズなので、これ美味しいかな……と今から不安だが、まあこういう分かりやすいものも必要ではないか? ということで……。
 まとまらない記事ではあるが、この辺で終わりにする。ありがとうございました。

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