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まいにちをいきる

  風呂上がりに下着姿でアイスをかじるのが好きだ。誰の目を気にせず、雫を垂らしたバサバサの髪のまま、肩にタオルをかけたまま、冷凍庫を開ける。その瞬間が好きだ。全てから解放された、自由を感じる瞬間。
ベランダへと続く網戸の前に座って、カーテンが揺れるのを眺めながら、アイスをかじる。今の季節ならフルーツ系のシャーベットが美味しい。濃い藍色の夏の夜闇と、眩しいオレンジ色のアイスが目の前で溶けて、コンタクトを外した裸眼では月の輪郭はぼやけていて、初夏の濡れた緑の匂いとオレンジの香りが混ざりあって、そんな時間が好きだ。

今年度に入って好きな時間が極端に増えた。
例えば毎朝起きて1番に入れる味の安定しないミルクティーだとか、永遠に無くならない大きなジャムの瓶だとか、3合しか炊けない小さな炊飯器、大音量で流れるシャッフル再生の好きな曲、深夜に焼き上がるスコーンの匂い、取り込まれてない洗濯物、今日の晩御飯のレシピのサイト、脚の伸ばせない浴槽、宅飲みした後のお酒の瓶、好きな柔軟剤の匂い、嫌いなものがひとつも入っていない冷蔵庫、そして物音1つしない静かな夜。そういうものが、私の心を揺さぶる。




22歳になって初めて、親元を離れた。日に日に忙しくなる専門性の高い課題と実験の日々は私を蝕み、親と衝突し、結果、一人暮らしが始まった。
過保護気味の両親に育てられた箱入り娘の私には、毎日が新しいことの連続だった。洗濯機の回し方は知らないし、食器を洗うにも食洗機は無いし、廊下の電球が切れても買い置きはない。寝て起きたって朝ごはんのポトフはテーブルの上に無いし、雨が降っても迎えの車は来ない。疲れて帰ってきても部屋は真っ暗で、大きなリュックの奥底から鍵を探し出さなきゃいけない。

でも、そんな新しい忙しい毎日は、思ったより私に合っていた。朝起きたら窓を開けて換気をする。今日食べたいものを好きなだけ作る。時間がある時はお弁当のおかずを作り置きしておく。ご飯を沢山炊いて小分けにして冷凍する。3日に1度床掃除をする。洗濯は洗濯機が8割埋まったら。そういう細々とした、自分の為の生活は私に向いていた。他人の目を気にしない、自分の為だけの生活。疲れたら夕食は素うどんだけでいいし、乾いた洗濯物なんて床に放置してても構わないし、1週間掃除しなくたって死にはしない。そもそも家にはほとんど居ない。

QOLの高い日々の生活は専業主婦の母親譲りだ。脅迫にも近い「丁寧な暮らし」のレッテルは頑固に私の価値観に張り付き、実家を出たところで簡単に無くなるものでは無い。モデルルームのような物のない部屋に住み、手作りのジャムをパンに塗り、上下揃った下着を着て過ごしていた。それが当たり前だと信じて疑わなかったから。

一人暮らしをして初めて、これが普通でないと、気づいた。




かじりかけの棒アイスが溶けてゆく。濡れた髪が冷えていく。素肌を夜の風が撫でていく。
母親が見たらはしたない、なんて言うだろうか。だらしない、かもしれない。

垂れたアイスをひと舐め、素早くお腹に収めて立ち上がる。髪を乾かして服を着て、夕御飯で使った食器を洗わなくては。食器は全て2人分あるし、1日くらい洗わなくったって困りはしないけど、でも。

風呂上がりに下着姿でアイスをかじるのが好きだ。誰の目を気にせず、全てから解放された、自由を感じる瞬間。
鳥籠へは、もう戻れない。そりゃもちろん、少しは恋しいけれど。

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