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映画「ディア・ファミリー」※ネタバレあり


映画「ディア・ファミリー」の内容・感想です。
以下、ネタバレを含みます。


公式サイトよりあらすじを引用します。

生まれつき心臓疾患を持っていた幼い娘・佳美は
[余命10年]を突き付けられてしまう。
「20歳になるまで生きられないだと…」
日本中どこの医療機関へ行っても
変わることのない現実。
そんな絶望の最中、
小さな町工場を経営する父・宣政は
「じゃあ俺が作ってやる」と立ち上がる。
医療の知識も経験も何もない宣政の
破天荒で切実な思いつき。
娘の心臓に残された時間はたった10年。
何もしなければ、死を待つだけの10年。
坪井家は佳美の未来を変えるために立ち上がる。


【起】

物語最序盤は、宣政が授賞式のインタビューを受けるところからはじまります。

それから回想で物語は進み、どのような功績を挙げたのか?佳美はどうなったのか?を遡って紐解いていきます。


【承】

引用でも書いてあるとおり、佳美は心臓の疾患で20歳まで生きられないと告げられます。

人工心臓を作ることを決意した宣政は、医療に関する知識を集めながら医師に助けを求めます。

「不可能だ」「無理だ」と協力を断られながらも、なんとか数名の医師の協力を得ることに成功します。

当時、日本や海外でも人工心臓の研究は人間に使えるレベルには到底至っていませんでした。

それでも宣政は諦めずに医療の知識を取り入れながらモノ造りの技術を駆使して人工心臓の完成を目指しました。


【転】

しかし、国からの認可をもらうための実験費用や実験を行う人材、さらに時間もまだまだかかることや人工心臓が完成したとしても佳美は助からないと医師から告げられます。

悔しい思いでいっぱいの宣政に娘の佳美は「私の心臓は治らない、だからその知識を苦しんでいる人のために使って」と告げる。

それから宣政は海外製のバルーンカテーテルによる医療事故が頻発していることを知る。

人工心臓のために得た知識をバルーンカテーテルに応用し、実験を繰り返してついにIABPバルーンカテーテルを完成させた。

しかし、病院側は医療経験の無かった宣政が造ったモノは実用できないなどと文句をつける。

挫折しそうになった宣政を支えたのは、佳美の日記だった。

佳美は小さい頃から日記を書いており、家族一人一人に感謝を綴っていた。

家族に背中を押された宣政はバルーンカテーテルを使って、苦しんでいる人々を救うという佳美との約束を果たすために行動する。

窮地を救ったのは、宣政の人工心臓の研究を降りた富岡という医師だった。

富岡は宣政の人工心臓研究に否定的だった。

その後、カテーテルの研究に取り組み宣政とも協力して研究を進めていた。

そんな富岡が病院でバルーンカテーテルを使用し、それをきっかけにバルーンカテーテルは認められ、他の病院でも実用化できた。


【結】

宣政は佳美との約束を守り、多くの人々を救った。

娘の佳美は23歳で亡くなってしまったが、宣告されていた余命よりも生きることができた。

そして時系列は授賞式に戻り、授賞式前にインタビューしていた記者が過去にバルーンカテーテルによって助かった患者だったことがわかる。

宣政はその記者に「ありがとう」と告げ、記者はお礼を言うのはこちらの方だと返す。

「お礼なら佳美に」と宣政は言い残し、授賞式に出向くところで物語は終わる。


〈感想〉

●家族を大切に

どれだけの時間を家族と共に過ごせるのかと考えたとき、家族の大切さや一緒にいられる時間は貴重なのだと再確認できました。

病で突然別れがきてもおかしくなく、永遠に一緒というわけにはいきません。

時間に限りがあるからこそ大切で尊いのだと改めて思いました。


●常識という壁

物語の中でも「医療の経験が無い」「10年では実現できない」などの常識的な考えが立ちはだかり、上手くいかないことも多く出てきました。

「不可能」「できない」などの常識に捉われず、試行錯誤し続ける。

それは難しく、心が折れそうになることもあると思います。

しかし、誰にでも常識を破る力はあると思います。

実行に移す場合に重要なのは、好奇心や興味、宣政のような「助けたい」とか「約束だから」という強い気持ちなのでしょう。


●信頼を得る

一生懸命に取り組むことで、周りの人達に信頼される。

本当に困ったとき、挫けそうなときに周りに助けてもらえるような人間になりたいと思えました。

そして、自分も誰かを助けることで信頼関係が繋がっていけるような人間関係を築きたいです。


●時代背景の再現度

1900年代後期の日本の時代背景を感じることができます。

例えば、電車の中でタバコを吸っていたり、
通勤ラッシュのサラリーマン、当時流行していた髪型など忠実に再現されています。

当時はスマホやインターネットはもちろん普及していなかったため、宣政は東京や長野、はたまたアメリカまで医師に直接会いに行っていました。

現代ではネットで世界ともつながれ、資金などもクラウドファンディングで集めたりと便利になったと感じました。



〈気になった方はこちらもどうぞ〉

映画ディア・ファミリー サイト

https://dear-family.toho.co.jp/

主人公のモデルとなった父親の思い
YouTube動画リンク

https://youtu.be/ANGned7DrAA?si=DDpeDdQV9U58csVX

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